揺り揺られ
「……どうしてもイヤ?」
「嫌だ」
「1回だけでも?」
「はぁ……何度も言わせるな」
この押し問答を続けて早数十分。何度断っても、でも、でも! と折れない奈々美に頭を抱える。
「トラくんは何でイヤなの?」
「愚問だな。どうして車があるのに、わざわざ電車に乗らなきゃならないんだ」
そう。この女、次のオフに出かける予定を立てている最中になぜか突然、私電車に乗ってみたい! と言い始めたのだ。
「でも、なんだか楽しそうだと思わない?」
「全く」
「そっかぁ……」
しゅんっと肩を落としたのを見て、ようやく蹴りがついたかと安堵の息を吐いたのも束の間。それじゃあ、と奈々美が出した代案はもっとあり得ないものだった。
「じゃあ、現地で待ち合わせにしようか」
「は?」
「トラくんは車で、私は電車で行って向こうの駅で待ち合わせするの!私駅で待ち合わせも憧れなの」
胸の前で両手をぎゅっと合わせて更に目を輝かせている奈々美に、俺は慌てて待ったをかける。
「1人で電車に乗るのか?おまえが?」
「乗り方は勉強していくから」
「いやそう言う問題じゃない。もし変な奴に絡まれたらどうするんだ?降りる駅を間違えたら?」
「トラくんは心配性だね」
くすくすと笑いながらそう言った奈々美に、お前が鈍臭いからだ。とは言えずに再び頭を抱えた。奈々美は変に頑固だからもう折れないだろう。かと言って1人で電車に乗せるわけにもいかない。
「はぁ……わかった」
「え?」
「……俺も一緒に乗る」
「電車に?」
「ああ」
俺の言葉にぱーっと音が聞こえて来そうなほど表情を明るくし、勢いよく抱きついてきた奈々美を慌てて抱き止める。繰り返されるありがとうの言葉を聞きながら、近々トウマあたりに電車の乗り方を聞いておくか。と心の中でため息を吐いたのはきっとバレていないはずだ。
斯くして、電車に乗ることになった俺はこの日に向けて3人にいろいろと教えてもらい、今、駅にいる。わざわざ快適な車から降りて電車に乗るのは本当に非効率的でバカバカしいと思うが、あいつが乗りたいと言うんだから仕方がない。運転手にまた連絡するとだけ伝えて車を降り、俺は待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所は時計台の前。予定の時間より少し遅れたが、連絡も入れておいたし大丈夫だろう。そう思っていた俺は目に飛び込んできた光景に眉を顰めた。
「ねえいいじゃん。もう来ないよ?きっと」
「そうそう」
「えっと、その……もう少しで来ると思うんです」
大柄な男2人に囲まれて困っている女。その女は言わずもがな奈々美で、されているのは明らかにナンパだ。
「デートに遅れてくる男なんてやめておいた方がいいよ?」
「あの、でも」
「俺たちと遊ぶ方が絶対楽しいって!」
そう言って奈々美の肩に腕を回した男から掻っ攫うように、俺は細い腰に手を回して奈々美を抱き寄せた。そして、かけていたサングラスをずらしながら目の前の男たちを睨みつける。
「あんたら、俺の女に何か用か?」
目に見てわかるほど怯んだ男たちは、いや、あの、すみませんでした! という言葉を残しその場を後にした。
「まったく、よくあの顔で声をかけられたもんだな」
「トラくん……?」
「ああ」
「はぁ……トラくんだ。よかった」
そう言った奈々美は俺の手をきゅっと握って、安堵の息を吐きながら笑った。何男に声かけられてるんだとか、他の男に触らせるなとか、口にしようとしていた言葉たちをぐっと飲み込む。奈々美の手が、ほんの少し震えていたから。
「……悪かった」
「え?ううん。大丈夫だよ。トラくんが遅れてくるの、もう慣れちゃったもん」
「いや、俺が遅れたからあんたは怖い思いをしただろ?」
さっきのナンパのことを言われてるんだと気付いたのか、奈々美は困ったように眉を下げて何とも言えない笑みを浮かべた。
「やっぱり、家まで迎えに行けば良かったな」
「駅で待ち合わせしたいってわがまま言ったのは私だから。それに、まさか声をかけられるなんて思ってなかったし……」
「そこらの女よりかわいいんだ、声かけられて当たり前だろ。まあいい。ほら行くぞ」
小さな手を握り直して軽く引けば、大人しく後ろをついてくる奈々美。妙に静かで、もしかしてまだ怖がってるのか? と念のため様子を見れば、さっきまでとは打って変わって頬をほんのり赤く染め、何やら嬉しそうな表情を浮かべていた。
「……そんなに嬉しいのか?」
「え?」
「電車なんて、ただの移動手段だろう」
「うん、あの、電車乗れるのも嬉しいんだけど」
「だけど?」
改札の前で足を止めて、言葉の続きを待ちながらトウマが用意してくれたICカードを手渡す。それを両手で持って口元を隠した奈々美が俺を見上げて呟いた。
「トラくんが」
「何だ」
「かわいいって言ってくれたのが、嬉しくて」
えへへ。と照れたように笑った奈々美に思わず動きを止めてしまった。
「トラくん?」
「……あんた、タチが悪いな」
「え?」
「いや、何でもない」
深く息を吐いて平常心を取り戻す。別にこいつの笑顔に心が乱されたわけじゃない。……いや、正直に言うと幸せそうに笑った顔がやたらかわいく見えてほんの少し動揺したが、そんなこと絶対に本人には言ってやらない。
「それより!いよいよ電車に乗るんですね、虎於先生!」
「ああ。って、おい待て、何だその呼び方は」
「巳波くんが言ってたの、トラくん今日のために電車の乗り方勉強してたって」
「は?」
「だから先生にいろいろ教えてもらってくださいねって」
「くそっ、巳波め……」
頭に浮かんだ巳波の楽しそうな顔と、言うなとは言われませんでしたけど? なんて幻聴が聞こえてきて俺は首を垂れた。
「トラくん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
本当は元から知っていた感を出したかったが仕方ない。こうなったら潔く認めて指導に徹するか。そう心に決めた俺は、見てろよ。とトウマ達から教わった通りに改札を抜けた。改札の中から奈々美を呼べば、先ほどの俺に倣って改札を抜けて、目を輝かせながら俺の元へとやって来た。
「できた!」
「よかったな」
「通ってる時に閉まっちゃったらどうしようかと思った」
「俺も少し思った」
「だよね」
胸に手を当てながらくすくすと笑っている奈々美が楽しそうで、思わず唇が弧を描く。それに気付いたのか、奈々美がただでさえ大きな目を更に大きくした。
「トラくん、楽しい?」
「なっ!……別に、普通だ」
こいつといると飽きないな。ふと感じたその感情を、一瞬で見抜かれた。それが何だか気恥ずかしくて、瞬きを繰り返しながら俺を見上げてる奈々美の頭を少し乱暴に撫でる。
「トラくんやだ。髪ぐちゃぐちゃになっちゃう」
「髪が乱れてたって、そこらの女よりかわいいさ」
「えっ!」
俺の言葉に徐々に顔を赤くしていく様子を鼻で笑って、さっさと行くぞ。と足早にホームへと迎えば、待ってトラくん。という言葉と一緒に、必死に俺を追いかけてくる足音が聞こえてきた。
「ほら、早くしないと置いていくぞ」
階段の踊り場で振り返れば、奈々美が焦った様子でカツカツとヒールを鳴らしながら慌てて降りてくる。そんなに慌てると踏み外すぞ。俺がその言葉を口するより先に奈々美は足を滑らせ、俺の胸にダイブした。
「おっ、おい!大丈夫か!?足くじいたり……」
「トラくん、私今、しっ、死んじゃうかと思った……!」
「……してなさそうだな」
「びっくりしたぁ……」
俺の言葉なんて耳に入っていないのか、胸に手を当てながら気の抜ける笑顔を浮かべて、心臓ドキドキしてる。なんて呑気なことを言ってる奈々美に腹が立って緩み切っている頬をつねった。
「痛い」
「人一倍鈍臭いんだから人の十倍は気を付けろ」
「はい」
「まったく。階段すらまともに降りられないのか」
「いつもは普通に降りられてるよ」
「じゃなきゃ困る」
やっぱりこいつには俺がついてないとダメだな。心の中で大きなため息を吐き、奈々美の手を取ってエスコートすれば、素直に感謝の言葉が返ってきた。
「足は平気なのか?」
答えを聞けてない問いを改めて投げかける。
「うん、大丈夫。ありがとう」
「そうか」
「あっ!トラくん見て、電車来てる!これに乗る?」
「いや、待て、電車は反対方向に乗ったらヤバいらしい。きちんと行き先を確認してからだな……」
「なるほど」
そもそも今俺たちは何番のホームにいるのかとか、目的の駅の名前はなんだったかとか、2人で探りながらようやく乗り込んだ電車は、散々確認したにも関わらず、どうやら目的地とは反対方向に進んでいるようだ。
「電車ってすごく難しいのね」
スマホと睨めっこをしながらため息混じりに呟いた奈々美がなぜだか無性に愛おしく思えてきて、また自然と口元が緩んだ。それに気が付いた奈々美が本日2度目の問いを投げかける。
「トラくん、楽しい?」
俺は奈々美の乱れた髪を直しながら、今度は素直に頷いた。
「ああ、楽しい。あんたと一緒だから、楽しいんだろうな」
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