午後六時半




 席に案内をされて早々、ポケットの中のスマホが震えた。相手はこの後会う予定の取引先で、俺は彼女に断りを入れて席を立つ。通話ボタンを押して電話に出ればこの後の予定をリスケしてほしいという旨の連絡だった。
 お互い向こう数週間の予定が合いそうになくて、電話で簡単に決められることだけ今少し話す運びになり、PCを取りに一度席に戻ると奈々美ちゃんと目が合う。

(ごめんね)

 PCを取り出して仕草と口パクでごめんねを伝えれば、彼女は状況を察したのか手で丸を作って俺を送り出してくれた。


 再び外に出てテラス席でPCを広げて仕事を進めながら、時折ウィンドウ越しに彼女の様子を見る。メニューと睨めっこをしている奈々美ちゃんの姿につい頬が緩んでは、電話相手の声で気を引き締めた。数分後、電話を終えてPCを閉じると彼女がこちらを見ていることに気が付いて、腰を上げながら手を振れば振り返してくれる。それだけで心が温まった。



「待たせてごめんね」
「大丈夫。ごめん、もう注文しちゃった。飲み物はホットコーヒーでよかったよね?」
「うん、ありがとう。それより奈々美ちゃん、今日この後は?」
「この後?何もないよ」

 何かあった? と首を傾げた彼女に、あのさと話を続ける。

「実はこの後の打ち合わせなくなって、今日このまま帰れることになったんだけど」
「えっ!」
「良ければ、このままどこか行かない?」
「行く!」

 間髪入れずに頷いた彼女は嬉しそうに口元を手で隠した。こんなに嬉しそうな彼女を見るのは久々でつられて笑顔になる。ここがお店じゃなかったら今すぐ抱きしめるのにな。なんて思いながら彼女を見つめれば、白く透き通っている頬がほんのり赤く染まった。

「……そんな顔で見ないで」
「どんな顔?」
「わかってるでしょ。浮かれてる自覚あるから、恥ずかしい」

 そう言って両手で頬を隠した彼女の姿に、かわいいなあ。と本心が溢れる。そんな甘い空気に、彼女が待ち望んでいた甘い香りが加わった。テーブルに置かれたスイーツはどちらも彼女好みで、確かにこれは選べなかったと言われても頷ける。

「美味しそう……!」
「召し上がれ」
「うん!羽鳥も食べてね」

 いただきますと手を合わせ、目を輝かせながらスイーツを口に運ぶ奈々美ちゃんが本当にかわいくて、今この瞬間だけしか見られないのは勿体無いと思った。スマホを構えて写真を撮ると、彼女は唇を尖らせる。

「撮る時は声かけてよ。変な顔で映りたくない」
「大丈夫だよ。奈々美ちゃんはいつでもかわいいから」
「も〜!いいからほら!羽鳥も食べて」
「うん。いただきます」

 促されるままフォークを手にとって口に運ぶ。その瞬間シャッター音が聞こえて顔を上げる。俺の反応を見て、彼女は悪戯が成功した子どものように笑った。

「貴重な羽鳥の写真ゲット」
「かっこよく撮れた?」
「大丈夫。羽鳥はいつでもかっこいいから」

 俺の言葉を使って返す彼女に、声を出して笑ってしまう。こんな風に笑ったのはいつぶりだろうか。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 二人で笑い合いながらスイーツを食べ進める。お互いの近況を話して、他愛のない世間話をして……たったそれだけの事なのに、重かった体が軽くなっていくのがわかって、今の俺にはやっぱり彼女が足りてなかったんだなと感じた。

「ねぇ羽鳥、この後なんだけどさ」
「ん?」
「さっきはつい即答しちゃったけど、羽鳥は家でゆっくりした方がいいんじゃない……?」

 俺の表情を伺うように、顔はスイーツに向いたまま目だけで俺を見た彼女に首をゆるく横に振る。

「俺気付いたんだけど、やっぱり疲れてたっていうよりも奈々美ちゃんが足りなかったみたい」

 そう言って肩をすくめた俺の言葉に、でも。と開きかけた唇を人差し指で制すれば、彼女はきゅっと口を引き結んだ。

「だから、俺が満足するまで君の時間を俺にちょうだい?」

 どうしても俺を休ませたいのか、まだ渋っている奈々美ちゃんに、俺は眉を下げた。気遣ってくれてることはわかってる。でも、どうしても今は彼女と一緒にいたいから。だから、ずるいとわかってても魔法の言葉を使うことにした。

「誕生日だから。今日は俺のわがまま聞いて欲しいな」

 奈々美ちゃんが絶対に断れない、魔法の言葉を。



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