置いて行かないで
「ななみん、おはよう」
「あ、環くんおはよう!」
あの日以来、前と同じように挨拶や話をしてくれるようになった環くんと、挨拶を交わす。
今日はIDOLiSH7の雑誌の撮影で、ありがたいことにヘアメイクを担当をさせてもらっていた。いつも通りみんなのメイクを終えて、山田くんと道具を片付けに取り掛かっていると、オサムさんからちょっと。と呼び出しをされた。
山田くんに一声かけて廊下に出れば、オサムさんに、ん。っとA4サイズの紙の束を渡される。
「なんですか?これ」
「急で悪いんだけど、お前に頼みたい仕事が入ってさ。その企画書と詳細」
「はぁ…。TRIGGERのライブと、ドキュメンタリーと、PVの撮影…ですか」
「あぁ、なんか向こうでいろいろあったらしくて、人手が足りないみたいでさ。急遽うちに声かかったんだよ。しばらくこっちの現場は俺とたくみと他のやつらで回すから、お前しばらくその仕事についてくれ」
「えっ?」
あまりにも私が神妙な顔をしていたのか、オサムさんは、ぷっと吹き出して大声で笑い出した。
「大丈夫、そう心配すんなって。その仕事が終わったらちゃんとこっちに戻ってもらうから」
「べっ、別にそういうつもりじゃ」
「顔に書いてあったぞ〜?環くんと会えなくなるの寂しいなぁ、って。お前ほんと環くんの事好きだよな。まぁ、仕方ないか。かわいいかわいい弟だもんなぁ」
「ま、まぁ…。人からそう言われるとなんか照れますね…。それにしても、なんで私なんですか?最近TRIGGERとはあまりお仕事してませんけど…」
「あー、なんでも楽くんからの指名らしい」
「八乙女さんの?」
「そう。と言うか、本人にはもう話してある。って言ってたけどな」
お前聞いてたんじゃないのか?そう言われて、私は先日の粗相へのお詫びのラビチャのへの返信を思い出した。
-詫びとかいいから、今度また俺達と仕事してくれよ。
あれって、このことか…。と呟けば、まぁよろしく頼むわ!と、オサムさんはスタジオへ戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、手元の資料に目を落とし小さくため息をついた。
「それにしても、一気に3つも回すかな…」
1つずつの期間は短いが、合わせると1ヶ月ほどだろうか。オサムさんの意向で専属の仕事を受けないうちの事務所は、その分まとまった仕事が入ってくることもそう珍しくはない。
オサムさんのネームバリューありきの珍しいタイプだとは思うが、まだまだ新人の私がこのタイプの仕事を1人でうけるのは初めてで、正直言うと少し気が重い。
まぁ、まだ知ってる相手でよかったか。と、メイクルームに戻った。
「あっ、奈々美さん。おかえりなさい!片付け終わったので、荷物まとめておきました」
「へっ?あ!ありがとう、ごめんね私物も広げちゃってて…」
「全然大丈夫ですよ!あれ、それ何の資料ですか?」
「あぁ、オサムさんが私に回してくれたお仕事の資料なの」
企画に関係ないスタッフに企画書を見せるのは憚られるため、私はそう言いながら自身の鞄へその資料をしまった。
「へぇ……。奈々美さん他の現場行っちゃうんですか?いつからいつまでですか?撮影場所は?何時から何時まで?」
「えっ、えっと…期間は1ヶ月くらいかなぁ。現場とかは、ほら、あまり口外しないのが決まりだから…。そういえば、まだ誰かは聞いてないけど、こっちは私の代わりもちゃんと来るみたいよ?」
「そう、なんですね……。あ、そう言えば、IDOLiSH7のマネージャーさんが、片瀬さんの事探してましたよ」
「え?紡ちゃんが?」
山田くん曰く、急ぎの用があるから楽屋に来て欲しいと伝言を受けたらしく、私は山田くんにお礼を言いながら、足早にIDOLiSH7の楽屋へと向かった。
紡ちゃん、何の用かな?なんて考えていたら、あっと言う間にIDOLiSH7の楽屋に着いた。
中から賑やかな声が聞こえてきて、私のノックがこの空気を壊しちゃわないかな。なんて考えていたら、ヤマさんまじやめろ!と騒いでいる環くんの声が聞こえてくる。
環くん、みんなと仲良しなんだな。なんて微笑みながらドアをノックしようとした時、環くんの声が響いた。
「俺、ななみんのことお姉ちゃんなんて思ってねぇから!」
その言葉を聞いた瞬間、ノックをしようと上げた手が、動かなくなった。
「え…?」
無意識のうちに声を漏らし、呆然と立ちすくんでいると、奈々美さん?と声をかけられた。視線をずらせばそこには紡ちゃんがいて、心配そうにこちらを見ている。
「あの、どうかされました?顔色があまり良くないみたいですけど…」
「えっ…?あっ…だっ、大丈夫!なんでもないよ!それより、紡ちゃんが私に用があるって、山田くんから聞いて来たんだけど…」
「えっ?たくみさんですか?今日はまだ、ご挨拶しかしてないはずですが…」
そう言いながら考え込む紡ちゃんに、なにもないなら大丈夫だよ!と伝え、私は足早にメイク室に戻った。
そこには誰も居なくて、1人の空間で…それを認識した瞬間、さっきの言葉が頭の中をぐるぐると回りはじめた。
あれは間違いなく環くんの声で、ななみんは間違いなく私の事で、私が弟のように可愛がっていた環くんは、私のことをお姉ちゃんと思ってなくて…。
考えれば考えるほど、過去のことを思い出す。
誰の子かも分からないんでしょ?
母親に捨てられたって?
子ども置いて男と逃げたらしいわよ
かわいそうに
かわいそうに
かわいそうに
お前には本当の家族なんて居ないんだよ!
お前はこの先もずっとひとりだ
コンコンッ
ヒュッと息が詰まりそうになった瞬間に、ノックの音が部屋に響いた。乱れた呼吸を整えて、額に滲んだ汗を慌てて拭っていると、今一番聞きたくない声が耳に入る。
「ななみん、いる?」
環くんだ。
その声を一瞬でも聞きたくないと思った自分に幻滅しながら、いるよ。と応えればゆっくりとドアが開いた。
メイク室に入ってきた環くんの髪はぐちゃぐちゃになっていて、どうしたの?と聞けば二階堂さんにやられたのだと言う環くんが、ものすごく申し訳なさそうに謝ってくれるから、私は思わず笑ってしまった。
そしてふと目に入った鏡の中の自分の笑顔に、安堵の息を吐く。
あぁ、よかった。いつも通りに笑えてるじゃない。
環くんを鏡の前の椅子に座らせ、乱れた髪を直していると、ふと視線を感じて顔を上げる。
その視線の元は勿論環くんで、鏡越しに私をじっと見ていた。
「…ななみん、俺なんかした?」
突然の質問に思わず、えっ?と間の抜けた声が出た。そんな私に環くんは眉を下げる。
「なんか、元気ないから…また俺がなんかしちゃったのかなって…」
その言葉に、心臓は大きく脈を打ち、額に汗が滲む。
いつも通りに笑えてると思ってたのに、なんで環くんにバレてしまったんだろう。
そう考えれば考えるほど、うまく笑えなくなる気がして、私は頭を空っぽにして再び笑顔を作った。
鏡に映る環くんの顔は訝しげで、その後も本当に大丈夫?とか、いろいろ聞いてくれたけど、正直今は何も聞かないで欲しかった。
なんだか居心地悪く感じてしまって、兎に角早く終わらせようとセットする手を早め、終了の旨を伝えて私は早々に片付けに入る。
そんな私を他所に環くんは、あのさ、ななみん。と私を呼んだ。
振り向かない私に不安を感じたのか、環くんはそっと私に後ろから抱きついてくる。久々に感じた環くんの体温と少し早い心音に、不思議と心が落ち着くのがわかった。なかなか話を切り出さない環くんに、どうしたの?と尋ねれば、環くんは、あの、さ…。と話し始める。
「なんか悩みとかあるなら、俺聞くから。…聞いたところで、あんま良い事は言えないかもだけどさ。聞いてもらうだけで、楽んなったりするじゃんか」
環くんの言葉に、私は底知れぬ焦燥感を感じた。
薄々は気付いてた。あの時から変われてないのは私だけなんだって。環くんは少しずつ前に進んでいるんだって。一緒に頑張れる仲間がいて、応援してくれる沢山の人がいて。
きっといつかは、私を必要としなくなるんだって。
ゆっくりと振り向けば、な?と首を傾げる環くんが目に入る。先ほどの言葉も相待って、その顔がなんだか大人びて見えて、私は無意識のうちに呟いていた。
「なんか、環くん大きくなったね」
その言葉とは裏腹に、お願い私を置いて大人にならないで。そんな思いを込めながら、私はそっと環くんを抱きしめた。
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