今更そんな




「なんで…居んの…?」


予期せぬ人物の登場に顔が強張るのが分かった。ゆっくりと近づいてくる彼と反対に私は後ずさる。


「お前と話したくて待ってたんだ…なぁ奈々美、俺とやり直そうぜ?」
「はっ、はぁ?!何言ってんの?!」
「あいつ、浮気してるみたいでさ。やっぱり俺、お前のほうがいいなって」

なっ?いいだろ?そう言いながら私の肩を掴み、詰め寄ってくる彼に、私の体は固まった。
何都合の良いこと言ってんの?あんただって浮気したくせに!どの口が言うわけ?!自業自得じゃない!そう言いたいのになぜか声が出ない。そして、蓋をしていた気持ちが溢れ出す。


また、やり直せるの…?


4年も付き合って、挙げ句の果てに浮気されて、最低最悪って思うけど、それでも拒めないのは、私がまだこいつの事が好きだからだ。でも、ここで流されたら、私は絶対にまた傷つくに決まってる。そんなの、目に見えてるのに…。お前の方がいい、って言葉に心が揺らぐ。
肩を掴んでいる彼の手を振り払えないでいる私の体が、不意にぐっと後ろに引っ張られた。


「俺の彼女に、何してるんですか?」
「…万理」

耳元で聞こえた万理の声に、少し心が落ち着いたのが分かった。万理の登場にたじろぐ彼だったが、鼻で笑いながら私の手を掴んでくる。

「こいつが彼氏?おいおい。随分男前だな?君、芸能人か何か?ってか、彼氏じゃなくて、どうせセフレだろ?奈々美が新しい彼氏作るとかありえないもんな」
「なっ…!ちゃんと、彼氏、だから…」
「いやいや。だってお前、俺の事まだ好きだろ?仕事中もよく俺の事見てるだろ」

その言葉に小さく肩が跳ねる。

「そっ、そんな訳ないじゃん、自意識過剰すぎ…」
「はっ、嘘だな。お前の嘘つくときの癖、出てるぞ」
「なっ、なにそれ」
「お前嘘つくとき、か「髪を耳にかける。それも決まって右側をね」

彼の言葉を遮りそう言った万理を、え?と振り向けば、目の前に万理の顔が飛び込んでくる。反射的に顔を逸らそうとしたが、首の後ろに回された万理の手によってそれは叶わなかった。そして、あとで好きなだけ怒られてやるから。と耳元でそう囁いて、万理は私にキスをした。


「んっ…!」

触れるだけのキスを何度かして、唇を離したかと思えばそのまま深く口づけられて、思わず腰が引ける。万理はそんな私を逃がさないと言わんばかりに抱き寄せて、舌を絡めてきた。いきなりの事で驚いてうまく息ができない。だんだんと酸素が足りなくなってきて、もう限界だと万理の胸を叩けば、万理の唇がゆっくりと私の唇から離れていった。
肩で息をしている私の頭を自身の胸に抱きかかえながら、万理は彼にこう言い放つ。



「こいつ、もう俺のなんで。諦めてもらっていいですか?」



穏やかだけど有無を言わせないその声色と、くそっ!と言いながら彼が廊下を駆けて行く音、そして規則正しい鼓動を感じながら、私はそっと涙を流した。





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車を近くのパーキングに駐車して奈々美の部屋へと向かうと、部屋の前で一組の男女が何やら揉めていた。それが奈々美とその元カレだと認識するまで、そう時間はかからなかった。こいつが元カレねぇ…なんて思いながら傍観していたが、言い寄られてる奈々美を見てたら、俺は無意識のうちに奈々美の体を後ろから抱き寄せて、営業用の笑顔でこう言い放っていた。

「俺の彼女に、何してるんですか?」

こんな漫画のようなセリフを、自分が言う日が来るなんてと嘲笑しながらも、引かない男に心の中で舌打ちをする。
握られた手を振り払わずに、俺を小馬鹿にするような言葉の後に男が続けた、"お前俺の事まだ好きなんだろ?"という言葉に、小さく肩を跳ねさせながら、右耳に髪をかけて否定する奈々美。
俺はその仕草に、思わず眉間にしわを寄せた。

それは、昔から奈々美が嘘をつくときにする仕草だからだ。

元カレもそれに気付いているのだろう。得意げにその癖を伝えようとする言葉を俺は遮った。そして、驚きながら振り向いた彼女に俺は、あとで好きなだけ怒られてやるから。とだけ告げて同意を得ずにキスをした。

なぁ、お前こいつのこともう好きじゃないって、言ってたじゃん。

そんな気持ちを込めながら、奈々美と再会した日の事を思い出していた。
そう言えばあの時も、この仕草してたっけ。
あの時にこの癖を思い出せてたら、こんな修羅場に巻き込まれなかったのかな。でも俺がここに居なかったら、奈々美はまたこいつに傷つけられてたんだろうな…。そんな事を考えれば考えるほど、無性に彼女を離したくなくなって、ここまでするつもりはなかったのになんて頭の片隅で考えながら、薄っすらと開いた彼女の唇に舌を捻じ込み、引けた腰を抱き寄せた。

見せつけるようにキスをして、奈々美の唇を堪能しながら、男に目線を向ければ、なんとも言えない表情で突っ立っていた。そんな男を内心鼻で笑っていたら、奈々美が俺の胸を叩く。それを合図にゆっくりと唇を離し、そのまま奈々美の頭を俺の胸に押し付ける。


「こいつ、もう俺のなんで。諦めてもらっていいですか?」

営業用の笑顔でそう言えば、くそっ!と言いながら男は廊下を駆けて行った。
小物感がすごいなぁ。なんて思いながらその後ろ姿を見送った俺は、奈々美に視線を落とす。溜めていた感情が一気に溢れだしたのだろう。

その後、奈々美はしばらく俺の胸で泣き続けた。








「お見苦しいところをお見せしました…」

ソファの上でぬいぐるみを抱きながらそう言う奈々美の目は赤くなっていて、ほんのり腫れていた。ほら、冷やしとけよ。と冷凍庫に入っていた保冷剤をタオルで包んで渡せば、奈々美は、ありがとう。と素直に受け取った。
そんな奈々美の横に腰掛けて、おまえさ…と話を切り出す。

「あいつの事、まだ好きなの?」
「……そう、みたい。…馬鹿だよね。浮気されてさ、もっといい人見つけるんだ!なんて意気込んだのに」
「…なんで、俺の提案のんだの?」
「嘘でもいいから新しい彼氏ができれば…そしたらあんなやつ、すぐに忘れられると思ったの!なのにさ、やっぱりお前の方がいいって言われて、心揺らいでるとかっ…本当に、ばかみたい…っ…!」

しゃくりを上げながら再び泣き始めた彼女の背中をトントンと叩きながら部屋の中を見回せば、テレビ台の上の写真立てに元カレとの写真が飾られていた。その写真立ての前には指輪が置かれていて、本棚にはピンクの背表紙の分厚い雑誌がしまわれている。

「っ、いつか、結婚、しようって」
「…うん」
「そう、言って…くれて…!本当にっ、嬉しかったのに…っ」

俺の胸に縋り付いてきた奈々美を、俺はただ受け入れてそっと抱きしめる。料理だって家事だって、あいつのために頑張ってきたんだろうなって思ったら、なんだか自分の事のように悔しくなってしまった。

それと同時に、やっぱり恋愛は面倒だ。なんて考えてしまう。
昔からそうだった。男とか、女とか、好きとか、嫌いとかそういもの全部を煩わしく感じてきた。だから俺は、来るもの拒まず、去る者追わず。そんな距離感でしか人と関わってこなかった。そうじゃないと、今俺の胸で泣いている彼女のように、自分が傷つくだけだから。

だから俺は恋愛はしない。
そう、思っていたのに…

そんな事をぼーっと考えていたら、次第に落ち着いてきたのか、俺の胸から奈々美が離れていった。


「あー…もう、ほんと私から誘っといてごめんね!今日もうダメそう、万理ももう家帰ってゆっくりして?」

そう言って奈々美は、無理矢理作った笑顔で俺に笑いかけた。その目元には、拭いきれなかった涙が溜まっている。そんな姿がただただ泣いてる時よりも痛々しくて、俺は奈々美の頬を両手で包み、そっと涙を唇で掬った。


「俺が帰ったら、お前また一人で泣くだろ?」


だから帰らない。そう言えば奈々美はまた目に涙を浮かべ始める。

「なぁ、奈々美」
「……なに?」
「俺が忘れさせてあげるから」

だから。と呟きながら頬に添えていた両手を、奈々美の両耳を塞ぐように添え直し、そのまま顔を上に向かせる。突然の事に戸惑っている奈々美の唇に、俺は許可なくキスをした。

あぁ、こんな時、まともな慰め方を知ってたらなんて、柄にもなく思った。でも、ごめんな奈々美、俺にはこんな慰め方しかできないから。
せめて今この瞬間だけでも、奈々美の中からあの男が消えればいい。そんな思いを込めながら、俺達はソファに身体を沈めた。



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