その笑顔




なんだか、えらいもんを見てしまった。
それが率直な感想だった。


今日はテレビ局の開局記念パーティー。
芸能業界のパーティーなんて面倒でしかないし、正直、このまま参加しなくていい流れにならないかな…なんて思っていたが、現実はそう甘く無かったようだ。
前の仕事が押してラッキーなんて思っていたのも束の間、パーティー会場までの道は、この道を何度も走っているタクシーの運転手さんもびっくりするくらい空いていた。
それはもう、押した時間を多少取り戻せるくらいには。
こうなったらとことん酒を飲むしかないな。なんて頭の片隅で考えながらエレベーターを降りた俺は、会場行く前に寄っとくか。と、トイレに足を向けた。





用を足してパーティー会場に向かう途中、休憩スペースの端っこに女の人がいる事に気が付いた。
その人は俯いたままタオルでゴシゴシと、自身のドレスについた染みを拭いている。時折り、鼻をすする音が聞こえてくるあたり、どうやら泣いてるようだ。
変に声をかけるのもなぁ。と思いながらも放っておけるわけもなく、俺がその人に足を向けようとしたのと同じタイミングで、反対側から百さんが紙袋を片手にやってきた。
そのまま一直線に彼女に向かう百さんに気付かれないように、俺は咄嗟に近くの観葉植物の影に隠れて、隙間から2人の様子を覗き見た。


「…奈々美、大丈夫?」


百さんから声をかけられて顔を上げたその人は、俺達も面識のある片瀬さんだった。
彼女の目が百さんの存在を捉えた瞬間、その大きな瞳からぽろっと大粒の涙が溢れる。それを拭うように伸ばされた百さんの手に頬をすり寄せる片瀬さんと、そんな片瀬さんをそっと抱きしめる百さんに、俺はすぐに理解した。2人はそういう関係なんだな、と。
それを理解したうえで、覗き見るなんて悪趣味にも程があるが、今あの2人の横をしれっと通り過ぎるのも、それはそれで憚られる。
俺は2人が去るまで身を隠す事にし、2人の会話に耳を傾けた。

いや、パーティーがサボれるからラッキーって思っただけで、決して2人の事が気になるとか、そう言うのではないぞと、自分に言い聞かせながら。







話を聞いている限り、どうやら何かトラブルがあって、片瀬さんのドレスが赤く染まってしまったようだ。そして、百さんは元々片瀬さんへのプレゼントとして、色違いのドレスを用意していたらしい。
えっ、なんだそれ百さんかっこよすぎでは?なんて考えていたら、百さんから新しいドレスを受け取った片瀬さんが、隠れている俺に気付かないまま、足取り軽くオレの目の前を通り過ぎて行った。
気付かれないでよかったなんて考えながらも、ついさっきまで目の前で繰り広げられていたやりとりを思い出す。

普段はクールなイメージの彼女は、百さんと一緒にいる時はあんなに柔らかく笑うのか。っていうか百さんがイケメンすぎて、あれ?今ドラマの撮影中だっけ?なんてバカみたいなことを考えてしまうくらいには、柄にもなくときめいてしまったな。
今後どんな感情であの2人に接したらいいんだろうかと暫くぼーっと考えていた俺は、ふぅとため息をつき、ゆっくりと会場に足を向ける。
そのタイミングで後ろから声をかけられた。


「二階堂さん?」


ギクっ!と肩を跳ねさせながら後ろを振り返れば、そこには着替え終わった片瀬さんが立っていた。
えっ、着替えるの早くないですか。と口にしそうになって俺は慌てて口を閉じる。

「あっ、片瀬さん」
「今いらしたんですか?」

お疲れ様です。と、微笑む彼女はついさっきまで涙を流していたとは思えないほど、いつも通りだった。そんな彼女に、前の現場が押しちゃって…と頬を掻く。そして俺は再び彼女のドレスへと目を落とした。そのドレスは、意図せずに知ってしまった片瀬さんのかわいらしさを彷彿とさせる、ピンク地に白の花柄のドレスだった。

「すごく、似合ってます」
「え?」
「あー…あの、ドレスです」

不意に出たこの言葉に嘘偽りはなくて、百さんより先に見ちゃって悪いななんて思ってしまうくらい、それはもう片瀬さんにぴったりだった。

「ありがとうございます。実はいろいろあって、今着替えてきたんですけど…。いつもと雰囲気違いすぎて、おかしくないかなって…」

眉を下げながら、ちょっと心配なんですよね…。と話を続ける彼女はなんだか寂しそうに見える。
クール系のキャラで通し続けている片瀬さんは、いざ着替え終わってから、このかわいらしいドレス姿で人前に出るのが不安になってしまったのだろう。そんな彼女の姿がなんだか見ていられなくて、俺はもう言ってしまっていいか。と口を開いた。

「…片瀬さんの事を一番知ってる百さんが選んでくれたんですから、自信持っていいと思いますよ」
「えっ?」
「すみません。実は全部見てました」

そう言って俺の隠れていた観葉植物を指させば、片瀬さんはサーっと顔色を変えた。てっきり赤く染まると思ったその顔色は真っ青で、あっもしかしてこれ言わない方が良かったか…?と、俺は焦った。
口元に手をあてながら黙り込んでしまった片瀬さんに、なんと声をかけるべきか悩んでいたら、あの!と、片瀬さんが勢いよく顔を上げた。



「この事、誰にも言わないでください…!」


お願いします!と必死な表情で詰め寄る彼女に、俺は慌てて一歩下がる。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいて、やっぱり言わない方が良かったかー!と心の中で叫んだ。その勢いに押されて、えっ、いや、あの…!とどもる俺をじっと見つめる片瀬さんに、息が詰まる。言わないですよ!と口を開こうとした瞬間、第三者の声が響いた。





「あれ?大和?」


背後からの俺を呼ぶ声に、俺は再び肩を跳ねさせながら後ろを振り返る。そこに立っていたのは百さんだった。
百さんは覗き込むように俺の前に立っている片瀬さんを見て、また泣いてるの?と静かに笑った。そして片瀬さんの後ろに立ち、そう言えばこれ、うちに忘れてたよ。と、彼女の首にネックレスをかける。
片瀬さんは首元のネックレスに手を添えながらきょとんとした表情を浮かべた後、俺をチラリと見る。そして先ほどとは打って変わって、みるみるうちに顔を真っ赤に染めた。

俺の前で"恋人"の扱いを受けているのが恥かしいのだろうか、後ろを振り向いて、もっ百さん!と声を上げた。


「ははっ、ごめんごめん。それより、ユキが心配してたよ」
「えっ!」
「ユキにも早く笑顔見せてあげてよ」

ウインクをした百さんにそう言われた片瀬さんは、百さんの言葉に頷いた後、俺に気まずそうに会釈をした後会場に足を向けようとした。
それを百さんが、あ!ちょっと待って。と腕を掴み止めて、彼女の耳元で何かを囁く。
すると片瀬さんは、今日一の笑顔で頬を染めながら、ありがとう。と言って会場へと駆けて行った。
なんて言ったのかを聞くなんて野暮だけれど、気になってしまうのが人間の性ってもんだ。

「あの、百さん…」
「ねぇ、大和」

片瀬さんの後姿を見送った後、話をかけようとした俺の言葉を遮って百さんが声をあげた。それに返事をして百さんに向き合えば、百さんは珍しく気まずそうな顔をして、あー…とか、うーん…とか、言葉にならない声で唸っていた。

「大丈夫ですよ。誰にも言わないんで」
「えっ?あぁ、いや、それは大丈夫。オレ、気付いてたし」
「えっ?!」

いつからですか?と尋ねれば、最初からだと言う百さんは、大和にならバレても大丈夫だと思った。とあっけらかんと言い放った。信用されてるのは嬉しいが、なんというか、完全に隠れられていると思っていただけに気まずい…。
そんな俺を他所に再び唸り始めた百さんは、頬を掻きながら俺を覗きこむようにしてこう言った。


「素の奈々美みて、どう思った?」
「へっ?」

予想していなかった質問に、思わず間の抜けた声が出る。どうって…と言いながら、先ほどまで目の前にいた片瀬さんの姿を思い浮かべる。まぁ、なんていうか、普通に…

「かわいかったですね」
「…だよねー。そうなんだよね、素の奈々美って超かわいいんだよね」

ため息をつきながら急に惚気はじめた百さんはこう続けた。彼女が楽になれるように、素の姿をみんなに受け入れてほしいけれど、みんなが彼女の事を好きになってしまったらどうしようかと気が気でないのだ、と。
悩んでいる百さんが珍しくて少し驚いたが、この人は本当に片瀬さんの事が好きなんだなと感じた。

「大丈夫ですよ」
「えっ?」
「もし他の人が片瀬さんの事を好きになっても、片瀬さんは百さん以外の人を好きにはならないと思いますから」

そう言いながら思い出すのは、片瀬さんの必死な顔で詰め寄る姿だ。
いろんな人がいる芸能業界、自分の家の事もあったし、男女関係にまつわる良くない噂だって少なくはない。芸能人同士の恋愛なんてみんな本気じゃない。正直俺は、そう思っていた。付き合っていると言ってもほとんどが遊びで、バレたら別れればいい。そんな風に話しているのもしょっちゅう耳にしてきた。
そんな考えの人が多い中、あんなに必死に誰にも言わないでと言われて、普段後輩には弱い部分を見せない人に心配事を零されれば、この2人がいかにお互いの事を大切にしていて、お互いの事が好きなのかなんて、あえて言葉にされなくてもわかるってもんだ。



他人が入れるような隙間なんてこれっぽっちも感じられなかったし、もしも隙間があって無理やりそこに入ろうとするやつがいたら、俺はすかさずそいつを止めますよ。


俺がそう言えば、百さんは、そっか。と嬉しそうに笑った。その笑顔は、今まで見た百さんのどの笑顔よりも、輝いていたと俺は思う。



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