言葉にできないから
奈々美と喧嘩をした。
いや現在進行形で、している。
ことの発端は、オレが行為中に付けたキスマークだった。
いつもはちゃんと見えない部分につけるソレを、つい胸元につけてしまったのが原因だ。それでも、普段の彼女の服装を考えれば十分隠れる位置だから大丈夫だろう。なんて少し強めにつけたソレは、どうやらすぐに第三者に見つかってしまったようだ。
-見えるところには、絶対ダメって言ったのに!
-キスマークのこと?ごめんごめん!
なんて、軽く返したのが良くなかったのだろうか。とにかく奈々美は、それはもう珍しく本気で怒り出してしまった。いや、もしかしたらオレが返事をする前からかなり怒っていたのかもしれないけど…。
-しばらく会いたくない。喋るのもやだ!
そう言われてから早3週間。お互い忙しいのもあって、あっという間に過ぎたこの3週間だったが、お互いの仕事柄、文字通り全く会わないわけではなかった。ただ、テレビ局の廊下ですれ違ってもすれ違いざまに軽く挨拶をするだけ。共演の番組でも、カメラが止まると奈々美はオレに背を向けて他の共演者とお喋りを始める。と言った具合だった。
それでもめげずに、隙を見て声をかけようとするも、オレが近付くと奈々美は、マネージャーの元へ向かったりお手洗いへと席を立ったりと、完全にオレを避けていた。
100%オレが悪い、それは認める。
しかし、ラビチャの返事は素っ気ないし(一応返事は来るけど)、直接話そうにも避けられる…ちゃんと謝る機会すら与えてくれないそんな彼女に、オレは少しずつフラストレーションが溜まっていった。
「はぁ…」
音楽番組の収録のため、ユキと一緒にテレビ局の廊下を歩きながら、本日何度目かのため息をつく。何度目か、と言ったけどオレがため息をつくたびにユキが今ので何回目だよ。と教えてくれるからわかる。
今のは、今日ユキと会ってから10回目のため息だ。
「まだ仲直りできてないの?」
「だって向こうがオレのこと避けるんだもん!オレはちゃんと謝りたいのにさぁ…」
11回目のため息を吐きながら廊下の角を曲がれば、男女の楽しそうな声が聞こえてきた。
よく知るその声と姿に、オレは思わず足を止める。
「ふふっ、それ本当ですか?」
「本当本当。それでそん時百さんがさー…」
それは自販機の前で楽しそうに話している奈々美と大和だった。と言っても、奈々美は後ろを向いていて、オレにはまだ気付いていない。
ふと顔を上げたタイミングでオレと目が合った大和が、やべっ。と小さく漏らしたと同時に、えっ?と奈々美が振り返える。
久々に合った視線は、案の定すぐに逸らされた。そして、大和にお礼を言いながら会釈をした奈々美は、逃げるようにその場を後にする。
そんな奈々美の態度に、今のオレが黙っていられるわけもなく、オレはユキに先行ってて。と言い残して、奈々美の背中を足早に追う。
奈々美は昔から逃げ足が早くて、オレが彼女に追いついたのは、外の非常階段へと続く扉がバタンと音を立てて閉まった頃だった。
ゆっくりとその扉を開けば、下の階へ続く階段に腰をかけ、自身の膝に顔を埋めている奈々美がそこにいた。
「…またやっちゃった」
ぶつぶつとひとり言を言っている奈々美は、逃げるのに必死だっただのだろう。オレがここにいるなんて思ってもいないようだ。
次第にひとり言と一緒に鼻をすする音が聞こえ始めて、オレは思わず彼女の名前を呼ぼうと口を開きかけたが、同時に聞こえた奈々美の言葉に開きかけた口を慌てて閉じた。
「モモちゃんと、お話したいなぁ…」
ため息をつきながら、こてん、と手すりに頭を預けてそう呟いた奈々美。
避けてたのはそっちじゃんとか、それはこっちのセリフなんですけどとか、言いたい事はあるはずなのに、その言葉が出るよりも先に口元が緩む。
『会うとすぐに許しちゃうから、本当に怒ってる時は会わないようにするからね!…3日くらい!』
ふと、前に奈々美を少し怒らせてしまったときに、そう言っていたのを思い出した。
今回も本当はもう怒ってないのに、自分から会わないと決めた手前、簡単には会いたいとは言えず、お互い忙しかったのもあって、気付けば3週間が経っていた。というところだろうか。
さっきももしかしたら、大和にオレの話を聞いていたのかも。なんて、都合の良い考えが頭を巡る。
いや、なんだそれ。かわいすぎるじゃんか!
にやける口元を隠しながら、奈々美の横にしゃがみ込んで、じゃあお話ししようよ。なんて声をかければ、奈々美は勢いよく立ち上がった。
「モモちゃん…?!」
「やっほー、久しぶり」
ひらひらと手を振ってゆっくり立ち上がれば、それと同時に後退る奈々美。えっ?!ここ階段の上だけど?!なんて思っていたら案の定、小さな悲鳴と共に後ろにバランスを崩したその身体を、オレは抱き止める。
「…びっくりしたぁ」
「いや、それこっちのセリフだから!」
目を大きく見開き、何度か瞬きをした奈々美に思わずつっこめば、そうだよね。なんてくすくす笑い始めた。ちょっと笑い事じゃないんだけど!と、おでこ同士を軽くぶつける。それに奈々美は、はっ!としたかと思えば口元を手で隠しながら、オレを上目遣いで睨んできた。
「…しばらく会わないって言った」
「そうだっけ」
「喋るのもいや」
「モモちゃんとお話ししたいって言ってたじゃん」
そんな事言ってないですぅ。と、相変わらずオレを睨みつけながら言う奈々美の口元には、未だに両手が添えられている。
「離してください」
「嫌なら押し退けていいよ」
抱き止めた時に軽く腰に回していた腕に、ギュッと力を込めれば、オレたちの距離はさらに近づく。
頑なに口元から離れない奈々美の手にそっと触れれば、その手から逃げるように、奈々美はオレの胸に顔を埋めた。
「本当は久々にこうやって話せるのが嬉しくて、口元にやけちゃってるんでしょ」
返事の代わりに奈々美の腕がオレの背中に回り、ギュッと抱きしめられる。目の前にある綺麗な髪を撫でれば、奈々美は悔しい〜!という声と共に顔を上げた。
「何が?」
「どんなに怒ってても、すぐにモモちゃんに会いたくなっちゃう」
「あ、まだ怒ってたの?」
「あたりまえ!」
も〜!私は怒ってますからね!と、オレの胸にぐりぐりと頭を押し付ける奈々美の両頬をそっと手で包み込み、顔を上げさせる。
「オレはちゃんと謝りたいって思ってたよ」
でも奈々美が避けるから。と言えば、うっ…。と小さく唸って目を逸らす奈々美がなんだかおかしくて、思わず口角があがった。
そんなオレに気付いた奈々美が、何笑ってるの!と再びオレに目を向けたタイミングで、そっとおでこにキスをする。
「奈々美、ごめんね」
「…もうしない?」
「…し…ない」
「今の間は何!」
だってしょうがないじゃん、奈々美はオレのものだって、本当は声を大にして言いたいのに、言えないんだもん。だからキスマークのひとつくらい許して!なんて、そんなのはオレのワガママだから言わない。でもね奈々美、オレはさ…
「不安だったんだ」
「えっ?」
「奈々美、最近いろんな人と仲良くなってきたから」
「うん…」
「だから、奈々美はオレのだよって言えない代わりに、思わずつけちゃった」
眉を下げながら、ごめんね。と再び謝れば、奈々美はオレをじっと見つめてくる。
どんなに周りが大丈夫だと言っても、誰かに取られちゃったらとか、奈々美が離れていっちゃったらという不安は完全には拭えていない。
今回だって、喧嘩にまで発展するなんて思ってなかったし、正直まともに会えてなかったこの3週間、気が気でなかった。
こんな女々しいオレを奈々美はどう思うだろうか。
沈黙に耐えきれず、なんちゃって!と誤魔化そうとすると同時に唇に柔らかい感触。一瞬だけ触れたソレはすぐに離れた。
「大丈夫。私が好きなのは、モモちゃんだけだよ」
優しい笑顔とその言葉に、胸がぎゅっと締め付けられて、涙が出そうになった。
オレは何を不安に思っていたんだろう。
出会った時からずっと、彼女はいつでも真っ直ぐに、オレのことを好きでいてくれてるのに。
彼女の肩口に額を押し付け、ありがとうと呟けば。不安にさせてごめんね。と言われて、思わず奈々美を抱きしめる。
「奈々美が謝ることじゃないよ」
「でも」
「オレのわがままだから、奈々美は悪くない」
そう、奈々美を独り占めしたいっていう、オレのわがまま。ただそれだけ。
「もう奈々美のイヤがる事はしないから」
「…うん」
「許してくれる?」
抱きしめていた腕の力を緩め、少し距離を取る。奈々美の顔を見つめながらそう尋ねれば、うん。と言う言葉の後に、そのかわり…。と、彼女はオレの耳元に唇を寄せて、こう囁いた。
「会えなかった分、いっぱい好きって言ってほしいな」
オレは返事の代わりに、大好きだよと囁いて、彼女を抱きしめる腕の力を強くした。
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