好きすぎて




夜中、ふと目が覚めた。
ぼんやりとした意識の中で、目を瞑ったまま隣に眠っている奈々美を抱きしめようと伸ばした手は、温もりに触れることなく空を切る。
不思議に思い目を開けると、そこに奈々美は居なくて、思わず上体を起こす。


「…またか」


オレの声が、静かな部屋に響いた。






ここ数日、どんなに仕事が遅くなっても、オレの家に帰ってくるようになった奈々美。何か悩んでるんだなってすぐにわかったけど、他に変わった様子はないし、もうしばらく見守るか。なんて悠長に思っていたが、どうやら眠れない日々が続いているようだ。

『モモちゃんと一緒に寝る時だけはなぜかすぐに眠れるんだよね』

元々寝付きの悪い奈々美が、随分前に言っていた言葉だ。たしか初めて一緒に寝た時は、一度も起きないで眠れた!!なんて感動してたっけ。
まぁ、何が言いたいかというと、そんな奈々美が、オレと一緒でも眠れない日々が続くほどに悩んでいる、という事だ。




ベッドの下に脱ぎ散らかした服を身につけて、リビングへ向かえば、大きく開かれた窓から月明かりが差し込んでいた。時折吹き込む夜風に、長い髪が揺れている。

「風邪ひくよ?」

窓の前にしゃがみ込んでいる、小さな背中に声をかければ、その背中はオレの声小さくに肩を跳ねさせながら、ゆっくりと振り向いた。

「モモちゃん…?」
「モモちゃん以外に誰かいたら超怖くない?!」

オレの馬鹿みたいな言葉に、そうだよね。なんてくすくす笑う奈々美の横に腰を下ろすと、そこからは月がよく見えた。

「月見てたの?」
「うん…。なんだか眠れなくて…」

えへへと、力なく笑う奈々美の足元に目を落とすと、台本が数冊置かれていた。いくつもの付箋が飛び出しているそれらは、表紙の端がボロボロになっていて、かなり読み込まれているのが一目でわかる。

「…大変な役なの?」
「えっ?」
「それ」

読んでたんでしょ?と、台本を指させば、奈々美は、バレちゃった?と言いながら台本を手に取った。

「何っていうか…役に入り込めてないって言われちゃって」
「そっか…。どんな役なの?」

オレの何気ない質問に、月に照らされている奈々美の瞳の奥が揺らいだ。えっと。と言い淀む奈々美を不思議に思いながら見つめていると、彼女はようやく口を開いた。

「ひとりの人を愛せなくて、いろんな男の人と遊んでる女の子の役」
「…なるほど」

そりゃ言いづらいな。なんて納得しながら、オレは奈々美の話に耳を傾ける事にした。

「今までも似たような役はやった事あるし、前はこんなに悩まなかったのに、なんか今回はうまくいかなくて…」
「…うん」
「それで、最近ちょっと悩んでて…」

なんでだろうね。と眉を下げながら笑った奈々美は、再び月を見上げた。





さぁっと音を立てて吹いた風に、身体を震わせたのを見て、オレは奈々美を後ろから包み込むように座り直し、彼女の肩に顎を乗せる。

「オレは、なんでうまくいかないかわかるけどなぁ」
「えっ?」
「教えてほしい?」

教えて教えて!と、振り返ってオレに詰め寄る奈々美を抱きしめたままオレ上体を倒して床に寝転ぶ。小さく悲鳴をあげた奈々美は、びっくりしたぁ…!と、オレの胸から顔を上げる。ゆっくりと手を伸ばし、頬をそっと撫でれば、奈々美はくすぐったそうに身を捩った。


「奈々美が前よりももっと、オレの事好きになっちゃったから」


オレのその言葉の意味をしばらく考えたあと、奈々美はオレの胸に顔を埋めて呟いた。

「…絶対そうだぁ」
「ふふっ。でしょ?」

オレの胸からコロンと転がり落ちて、オレの横に寝転んだ奈々美に、ほら。と腕を差し出せば、奈々美はそっとオレの腕に頭を乗せた。そしてお互い向き合う様に体勢を変える。少し低い位置にある大きな瞳が、上目遣いでオレを見つめる。

「そっかぁ、そんな簡単な事だったんだね…」
「ははっ、そうゆうもんだよ」
「好きすぎるのも困りものですね」
「オレは超嬉しいけど!あれ、でもこれって、ある意味オレが奈々美の邪魔しちゃってるって事になるのかな……?」
「えっ?!」

バッ!と音が聞こえてきそうなほどの勢いで上体を起こした奈々美を、オレは再び寝転がる様に促す。大人しく横になった奈々美の必死な表情に、思わず笑みが溢れた。

「モモちゃんは邪魔なんかしてないよ」
「うん」
「今だって、モモちゃんが教えてくれなかったら、私ずっと悩んでただろうし」
「うん、わかった」
「だからっ、邪魔なんかじゃないから…!」
「わかった。わかったよ、大丈夫。変なこと言ってごめんね」

話しているうちに奈々美の目に溜まってきた涙を、指で拭えば、うぅっ…。と声を漏らしながら、奈々美はオレにすり寄って、再びオレの胸に顔を埋めた。大丈夫だよ。と言いながら、あやす様にテンポ良く奈々美の背中を叩く。

「モモちゃんはおバカさんだよ」
「そうだね」
「モモちゃんが居なかったら、ダメなんだから」
「オレもだよ」

その後もオレの言葉に文句を続ける奈々美だったが、その声は次第にゆっくりになっていく。そして、問題解決への糸口が見つかった安心感からなのか、はたまたオレが横にいるからなのか、間も無くして規則正しい寝息が聞こえてきた。
オレはそんな奈々美に笑みを溢しながら、起こさない様にそっと起き上がり、窓を閉めて彼女を抱える。そして、寝室のベッドの上へゆっくりと下ろした。すやすやと寝息を立てる奈々美の頬をそっと撫でれば、奈々美はオレの手に擦り寄ってきて、再び笑みが溢れた。





お互いの邪魔になる事があったら、その時はしばらく距離を置こうね。

それは、付き合う時に決めたルールのひとつだった。
今までそんな局面はなかったし、オレ奈々美も、心に余裕がない時こそお互いが居ないとダメだということは、自分達が一番わかっていた。
さっきだって、別に奈々美を不安にさせたいわけじゃなかった。ただ、オレの事が好きという気持ちが、奈々美の役作りに大きく影響する事なんて、今まではなかったし、これからもないと思っていた。だからこそ、思わず口に出してしまったのだ。

どんなに邪魔になってたとしても、彼女のために距離を置いてあげることなんて、もう出来もしないくせに。




「本当、好きすぎるのも困りものだね」



静かな部屋に響いた自分の声を聞きながら、眠っている奈々美の唇に、オレはそっとキスを落とした。



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