募る疑問
「えっ?延期ですか?」
あの日から数週間後、例のTRIGGERの撮影について担当者から連絡が入った。なんでも、撮影の開始が1週間延期になるらしい。
『本当にすみません。監督がこだわりの強い方で、まだ構想の段階でして…』
「そうなんですね…。こちらは全く問題がないので、決まり次第ご連絡いただけますか?」
『はい。またご連絡差し上げます!』
それでは。と言う言葉とともに切れる電話に、小さくため息をついた。そして、自身のデスクから様子を見ていたオサムさんがやってくる。
「おう、お疲れ。なんだって?」
「お疲れ様です。なんでも、撮影開始が1週間遅れるみたいで…」
「1週間か…。どうする?忙しくなるだろうし、まとめて休み取っとくか?」
「いえ、特にやることもないので…。もしご一緒できる現場があればお手伝いします」
「そうか?じゃあ、IDOLiSH7のレギュラー番組の…って、大丈夫か?」
IDOLiSH7
そのワードに思わず手に持っていたスマホを落としそうになったところを、オサムさんがキャッチしてくれた。ほら、気を付けろよ。と手渡されたスマホを、お礼の言葉とともに受け取る。
あの日以来IDOLiSH7との仕事は無く、環くんに対して、なんとも言えない気持ちを抱いたままだった。
一人になるといろいろ考えてしまうから、長期で休みをもらうぐらいなら…と、仕事をする方を選んだが、それがIDOLiSH7の現場になるとは…。
とは言え、今更やっぱりお休みください!と言えるわけもなく、そのまま次のIDOLiSH7レギュラー番組の収録の担当をすることになった。
「そうだ。マネージャーちゃんに、お前がしばらくIDOLiSH7の現場離れる事伝えたら、よければ今度みんなで食事でも行きませんか?って」
「え?紡ちゃんがですか?」
「あぁ。向こうはレギュラー番組の後は、基本的に仕事入れないようにしてるらしいからさ。お前が良ければ、次の収録ん時にでもって返事しとこうと思うけど」
正直言って、あまり気乗りはしないのだが、折角の紡ちゃんからのお誘いを断るわけにもいかず、私は2つ返事で返す。オサムさんは、よし!じゃあ連絡しとくわ。と言いながら自分のデスクに戻っていった。それと入れ替わりで買い出しから帰ってきた山田くんが、私のもとに駆け寄ってくる。
「奈々美さん!お疲れ様です」
「山田くん、お疲れ様」
「聞きました、TRIGGERの現場1週間遅れるんですね。まだ暫く一緒の現場に入れるの嬉しいです!」
満面の笑みでそう言う山田くんに、よろしくね。と一言声をかければ、これまた満面の笑みで、はい!といい返事が返ってきた。
ふと、デスクの上に置いている鏡を見ると、リップが取れかけているのが目についた。
今日は少し前まで担当してたドラマの打ち上げがあるのだが、出演者の中に身だしなみに厳しい大御所女優がいる。ちゃんと直してから行かなければと、山田くんに断りを入れて、デスクに置いている私物のメイクボックスに手をかける。
たしか、その女優さんウケがよかった色のリップがあったはず…。とメイク道具を広げたところで、あることに気が付き手が止まった。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「いや、リップの本数が減ってる気がして…。探してたリップも見当たらないし」
「誰かが持って行っちゃったんですかね?」
「う〜ん。でも、使いかけのリップだよ?」
「そうですよね…。あっ!もしよければ、以前僕が取引先からサンプルでいただいたリップ、差し上げますよ」
そう言ってポケットからリップを取り出した山田くん。なんでポケットに入れてたんだろう…?と少し不思議に思ったが、探していたリップの色と似ていたので、お言葉に甘えていただくことにした。
「ありがとう」
「とんでもないです!奈々美さんの役に立てて嬉しいです!」
「大袈裟だなぁ。あ、そう言えば、私達高校と専門が一緒だって知ってた?私、この前オサムさんから聞いて知ったんだけど…」
「え…?」
これは、ついこの間オサムさんから、お前とたくみ高校も専門学校も一緒なのな。と言われて知った事だった。
とは言え、高校は生徒数も多かったし、部活をしてなかった私は後輩との関わりは全くなく、専門学校も2年次には実践的な授業やインターンが多く、1年生との関わりなんてほぼない状態だったから、私は山田くんを知らなかったのだけれど。
でも、高校も専門もそして職場も一緒なんてすごいなぁ。いつか山田くんにも話してみよう。と思っていたのだが…あまりいい話題ではなかったのだろうか、山田くんの表情は少し険しかった。
「あっ、ごめんね。なんかダメな話題だった…?」
「えっ、あっ!いや、そんな事ないですよ!すみません、急にお腹の調子が…ちょっと、お手洗い行ってきますね!」
お手洗いに向かうコート姿の山田くんの背中を見送りながら、そう言えば彼は外から戻ってきたばかりだったのに、話し込みすぎたかな。と、少し申し訳ない気持ちになった。
それと同時に、ふと疑問に思った。
「なんで買い出し行ってた山田くんが、私のスケジュール変わった事知ってたんだろ…」
まぁ、いっか。なんて思いながら、私は山田くんにもらったリップをひと塗りした。
「お疲れ様です」
「おー!片瀬さんお疲れ!席決めてないからさ、適当に座ってよ」
個室に入って早々、現場監督に声をかけられる。一言お礼を伝えて部屋を見渡せば、まだ全員は集まっていなくて、所々席が空いていた。
どこに座ろうか悩んでいる私に、おーい。と、落ち着いているけれど通る声に呼ばれる。
声の主はRe:valeの千さんだった。手招きされているため、そちらに足を向けると、千さんの隣によく知った人物が座っていた。
「千さん!…と、二階堂さん?お疲れ様です」
「お疲れ」
「おー、お疲れ」
そう、なぜかゲストで1話だけ出演した二階堂さんが居たのだ。今回はレギュラー陣とスタッフだけだと聞いていたので、まさか二階堂さんが居るとは思わず驚いた。
その場に突っ立っていると、千さんに座るように促されて、私は千さんの隣に着席した。
「二階堂さん、どうしたんですか?」
「彼の役が好評でスピンオフを作るんでしょう?だから僕が誘ったんだ」
「誘ったっていうか、無理矢理連れて来られたっていうか…」
「え!そうなんですか、おめでとうございます!」
「あれ?奈々美ちゃん、この話知らないの?来月の下旬から撮影って聞いたけど」
千さんの言葉に首を傾げる。そして来月の自分のスケジュールを頭の中に描いて、あぁ…。と呟いた。
「来月は私、TRIGGERの現場に行くことになってて」
「えっ?そうなの?」
「はい。1ヶ月近く。だから私の方には話が来てないんだと思います」
「なぁ、それってタマはもう知ってるのか?」
「いえ、知らないはずですけど」
顎に手を当てながら、そうか…。と呟く二階堂さんとは打って変わって千さんは、へぇ?と私に詰め寄る。
「環くんと仲良いんだ?」
「仲良い…というか…」
弟みたいなものなんです。
いつものように返そうとして、声が詰まる。
そんな様子に千さんが不思議そうに首を傾げたのがわかった。
「えっと…昔からの知り合いなんです」
私の口から出た言葉に、二階堂さんが眉を寄せたのには気付かないふりをした。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、久々に会えて嬉しかったよ」
飲み会がお開きになり、各々解散を始めた頃、私もそろそろ。と声をかければ僕達も一緒に出るよ。と千さんに言われ、3人で店先に出る。
「片瀬ちゃん、タクシー?」
「いえっ、実はここ最寄駅なので、歩いて帰ります」
そう言えば2人に、えっ。と言われ首を傾げる。今日の飲み会は本当に最寄駅で、しかも歩いて15分もかからない。お酒も飲んでいないし、歩くのだって苦じゃないのだけれど、2人は(特に千さんは)それを許してくれないようで…。
「タクシー代出すから、タクシー乗りなさい」
「えっ?!いや、大丈夫です。本当すぐそこなので!」
「じゃあ大和くんに送ってもらいな」
「いや、なんで俺なんですか」
別にいいですけど。という二階堂さんに、いやいや!本当大丈夫ですから!と手をぶんぶん振れば、そんなに嫌がらなくても。と二階堂さんに苦笑いされた。
「嫌とかではなく、ご迷惑おかけするわけにはいかないので」
「別に迷惑なんかじゃないよ」
「いや、千さんそれ俺のセリフなんですけど」
「私と撮られたらどうするんですか」
「別にやましい事があるわけじゃないんだから平気だよ。いくらでもやりようはある」
「え、いやそうなんですけど…」
このままじゃ埒が明かないな。なんてため息をついた二階堂さんに、すみません…と、頭を下げたタイミングで、あれ?奈々美さん?と、よく知る声に呼ばれて、私は振り返った。
「あれ?山田くん?」
「お疲れ様です!こんなところで会えるなんて!」
そう言いながら駆け寄ってくる彼を、私は千さんに紹介した。2人が挨拶を交わしているのを尻目に、腕時計に目を落とせば、結構いい時間になっていた。
「ほら、千さんと二階堂さん。もうこんな時間ですし、早く帰った方がいいですよ」
「それは奈々美ちゃんも同じじゃない」
「私は明日休みなので大丈夫です!」
「いや、こんな時間だからこそさぁ…」
「もしかして、奈々美さんを誰が送るかってお話しですか?」
二階堂さんの言葉を遮って口を開いた山田くんに、そうね。と千さんが答えれば、なら僕がお送りしますよ!と、山田くんが挙手をした。まさかの展開にえっ?!と大きめの声が出る。
「いや、大丈夫だよ山田くん」
「奈々美さんに何かあったら僕、その相手に何するかわかりませんよ」
「そっ、そんな物騒な…」
送ってもらうのは気が引けるけど、これ以上この話を長引かせるのも忍びない…。私は、じゃあお願いしようかな。と、2人に別れの挨拶をして、山田くんに送ってもらう事にした。
「山田くん、今日は1人で飲んでたの?」
「えっ?」
「あの辺飲み屋しかないから、そうなのかなー?って…。あっ、気を悪くしたならごめんね」
「いえ、全然!そうなんですよ、ちょっと1人で飲みたい気分だったので」
そういう時あるよね。なんて話していれば15分の道のりはあっという間で、気付いた頃には自宅が目と鼻の先だった。
「あっ、もうそこだから、ここで大丈夫だよ」
「部屋まで送りますよ」
「え?いや、でも…」
「実は、ずっと黙ってたんですけど、ちょっと気分が優れなくて…」
まさかの発言に、えっ?!と、本日二度目の大きめの声が出た。体調悪いのに送ってもらっちゃってごめんね?と言えば、それは大丈夫です。と笑顔で返された。
「代わりと言っては何なんですけど、奈々美さんの家で、少し休ませてもらえませんか?」
「全然いいよ、休んでって!」
ふらついた山田くんを引っ張るように、私は自宅へと歩みを進めた。
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