不機嫌の理由
「ほら、ちゃんとシートベルトして」
「ん〜?…はぁい」
車に乗るや否やうとうとし始めた奈々美にデジャヴを感じながら、車のエンジンをかける。助手席からのカチャッという音と、しましたー。と言う間延びした声を聞き、俺はアクセルを踏んで車を走らせた。
千に言われた、ちゃんと本気なんだ。という言葉が頭の中に浮かんでは消えてを繰り返す。
昔から恋愛とか男女関係に関する価値観が合っていた俺と千は、まぁ若気の至りもあって、"そういう事"に関しては奈々美の言葉を借りるならば、相当な"クズ"だった。
だからこそ、過去のあれこれに対して千が何か言い出さないか、ヒヤヒヤしながら2人の会話を聞いていた。始めこそ俺の反応を見て楽しむために、過去の話を要所要所に織り込もうとしていた千だったけれど、奈々美と話しているうちにそれが変わっていったのがわかった。千が奈々美自身に興味を持ち始めたのだ。
それがわかってからは面白くなかった。
楽しそうに話している奈々美を見ていると心が落ち着かなくて、自然とタバコの本数も増えたし、タバコに火をつける度に千が俺を見て口角を上げるのにも腹が立った。
認めたくは無いけど、千の言う通り奈々美の事に関しては余裕がないのだ。
柄にもなく、奈々美が千に取られてしまったらどうしよう。なんて考えてしまうくらいに。
そんな余裕の無さも、この"偽りの恋人"という関係から生まれるものだってわかってるし、社長と奈々美が顔を合わせた今となっては、正直こんな関係を続ける必要なんてないのもわかってる。
それでも、この関係が終わったら前みたいに疎遠になってしまうんじゃないかとか、奈々美には新しい恋人ができるんだろうななんて、そんな事を考えたら、嘘でもいいから彼女を繋ぎ止めておける今の関係を、手放す事ができなくなっていた。
まともな恋愛の仕方なんて、とっくに忘れてしまったから。
信号が赤に変わり、ブレーキを踏む。
人の気も知らないで、助手席で小さな寝息を立てている奈々美の頬をそっと指で撫でながら、問いかける。
「…おまえは俺のこと、どう思ってんの?」
返事が返ってこないことなんてわかりきっていたのに、訪れた静寂に胸が締め付けられた。
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ぼんやりとした意識の中、鼻をかすめるタバコの匂い。
あぁ、ここ、万理の家だ。
なんとなくそう思って、私はゆっくりと重い目蓋をあげる。
目の前には一面の白が広がっていて、頭上からは寝息が聞こえる。私の身体を包んでいる温もりと、背中に回されている手から、万理に抱きしめられてるのがわかった。
いつもだったら飛び起きる状況だけど、今日は随分とハイペースで飲んでしまったからだろう、身体を動かすのもだるくて、私はそのまま目蓋をおろす。
今日はそう、万理の元相方の、サキ…ちがう、えっと…そう、ユキ。ユキと3人で飲んだんだっけ。いろいろ話したけど、内容はあんまり覚えてないな。でも思ったより全然普通の人だったし、楽しかったな。ユキは野菜しか食べてなかったけど栄養バランス大丈夫なんだろうか。
そういえば、万理とは?何か話したっけ。
話して、ないな…
そして思い出す、なぜか不機嫌な万理の顔。
起きたら謝らなきゃ。そんな事を思いながら私は再び眠りについた。
「昨日はごめんなさい」
朝一、と言っても朝8時過ぎ。万理がセットしたアラームと共に起きて、おはようの挨拶よりも早く、土下座をする勢いで頭を下げた。
開口一番の謝罪に、万理は少し怪訝そうな顔をする。
「…何が?」
「えっと、いろいろ」
「いろいろねぇ…」
万理は立てた自身の膝の上で頬杖を突きながら、何か言いたげに私を見る。
「な、なに?」
「そのいろいろには、例えば何があるのかなーって思って」
ねぇ?と首を傾げる万理に、思わず目を逸らしながら、えっと…。と心当たりを呟いていく。
「お酒飲み過ぎちゃった」
「他には?」
「…車で寝ちゃった?」
万理の方をチラリと見ながらそう言えば、いつものように、はぁ…。と大きなため息をつかれた。
「えっ、何?」
「残念時間切れ」
なにそれ!と口を尖らせていると、万理は何も言わず、肩を竦ませながら部屋を出て行った。
そんな万理の背中を見送り、私はボスっと音を立てて再びベッドへと横になる。
どうやら万理は未だに不機嫌らしい。
スマホをいじりながら昨日のことを必死に思い出す。昨日は確かに沢山お酒は飲んだけれど、記憶はある。特別変な事をした覚えはない。
その後も友達にラビチャの返信をしたり、物件を見ながらいろいろ考えたけれど、結局これという答えは出ない。
先ほどあげた2点以外に万理が不機嫌になるとしたら…
「…ユキと話しすぎた?」
「そうだって言ったら?」
独り言のつもりの呟きに返事が返ってきて、慌てて起き上がると、身嗜みを整えた万理が、腕を組みながら部屋の入り口に寄りかかってこちらを見ていた。
「そうなの?」
「どうでしょう」
え、なに、万理は私がユキと仲良く楽しく話してるのを見て、やきもち焼いてたって事…?
だとしたら…
「あんたユキの事好きすぎない…?」
「は?」
私の一言で、万理の眉間にシワが寄る。普通に怖くて怯んでると、本日二度目の大きなため息と共に、万理は何かを私に投げて寄越した。
「…鍵?」
「合鍵。今度返してくれればいいから」
失くさないでね。と言い残して、万理は仕事に向かった。もうそんな時間?と、スマホで時間を見れば9時を回っていた。
私は誰もいない部屋に、はーい。と返しながら、どうしたら万理の機嫌が直るのか、暫くベッドの上で考えながら、再び眠りについた。
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