ループ


「おす。」


「……おす。」



欠伸を噛み締めながら放った言葉に、呆れたような顔をする木葉にむっと唇を引き結べば、木葉が「そんな顔すんなよ」と言いながらわたしの膨れた頬をぐりぐりと指で潰した。指圧で頬が痛い。「やばいかも、頬に穴ができたかもしれない」なんて至極真面目な顔で言えば、木葉はけらけら笑いながら「そんなわけないだろ」と言って、人一人分空いているわたしの隣へと腰掛ける。その間もわたしの欠伸は止まらない



「相変わらず眠そうだな。」


「めっちゃ眠い。本当眠い。まじ眠い。朝が憎いくらい眠い。」


「何だそれ。」


「本当尊敬するわー。わたしならやってられない。」


「べつにそんな大したもんじゃないだろ。」


「わたしは早起き苦手なんで。」


「なまえ、いろいろ矛盾してんぞ。」


「うん、知ってる。」



自分でもよくわかっている。だって、木葉と同じこの電車に乗っている時点で、わたしの言っていることは破綻している。早起きが苦手で、今もこんなに眠いのに、朝練がある木葉と同じ電車に乗って、欠伸をしているわたしは他人からばかだと言われても「はい、そうですね」と頷くしかないくらいのおばかさんだってことも



「そんなに眠いなら、この時間の電車に乗らなくてもいいだろ。もっと遅い電車でも余裕で間に合うんだろ?」


「んー。」


「おれみたいに朝練があるわけじゃねえんだしさ。」



木葉の言っていることは至極真っ当な意見。でも、わたしはこの時間帯の電車がいいのだ。だって、いつだってゆったり座れるし、息苦しくなくていい。ぎゅうぎゅうの寿司詰め状態の満員電車の中で、おじ様方の素敵な匂いによって呼吸困難になるよりは、少し眠くてもこっちの方が息が吸えるし、何より断然健康的な気がする

そんな言い訳じみた解答を披露すれば、木葉は呆れたように笑った。わたしも他の誰かがそんなことを言っていたら、今の木葉のように呆れたように笑ってしまうだろう。ばからしい、とさえ思って口にしてしまうかも。でも、木葉はやれやれと肩を竦めながらただ笑って「そうですか」とわたしの答えを受け止めるだけ



「木葉。」


「んー。」


「バレー、楽しい?」


「まあ、それなりになー。」


「夏休みに入ったら、合宿なんでしょ。」


「おー、今年もなまえの学校のとこでな。」


「あ、今年も森然なんだ。そうか、夏合宿は森然で毎年やってるね。」


「そ。もしかしたら、学校で会えるかもな、なんて。」


「夏休みだから学校行かないよ。」


「部活とかは?」


「わたし部活やってないし。知ってるでしょ。」


「じゃあ、補習とか。」


「なっ。そ、そんなばかじゃないし!」


「車内ではお静かにー。」


「むぐっ。」



思わず出た大声に木葉が茶化した声を上げながら、わたしの口を手で覆う。確かにここで今の音量の声はまずかった、と反省をするわたしを楽しそうに見ながら、すうっと手を離して、その手をそのままわたしの頭の天辺へ。ぽんぽんと軽く撫でるその手の平の暖かさに、調子が狂う


木葉の、ばか。


大声を出させたのは木葉の方なのに。ていうか、絶対それを狙ったに違いない。まんまと乗せられてしまった自分が悔しい。次はもっと冷静に返してやる。木葉の思い通りになんかならないし、思い通りにならないわたしを見て悔しい顔すればいいんだ!そうしたら、その顔を見て、今度はわたしが思いっきり笑ってやるのに!!



「ほぼ毎年森然で夏合宿だけど、部活とかやってなかったら一回も会ったことねえのは当たり前だよな。」


「ま、そうだね。」


「せっかく森然でやるんだし、見に来れば?」


「え?」


「おれの格好良いとこ、見たいだろ?」


「だ、誰が!」


「冗談だっつーの。そんなムキになるなよ。」


「う、うううるさい。ムキになってないし。」


「そ。べつにそれならいいですけどー?」


「む、むかつく!」


「そりゃどうも。」



何を言っても、飄々とした態度で木葉には響かない。それが悔しい。わたしばかりが乱されて、木葉はいつだっていつも通り。平常心。どうしたら、そのむかつく笑みをその顔から剥がすことができるんだろうか。たぶん、わたしでは無理なんだろうけど


でも、確かに、木葉がバレーをやっている姿、見てみたい、かも。


わたしは木葉のこと、全然知らないから。わたしが知っている木葉なんてこの、電車で話す時間の中の木葉だけで。きっとそれは木葉のほんの一部なんだろうと思う。ここで知り合って、木葉のことを知って、バレーをやっているって聞いて、チームメイトのことを話す。他愛もない話ばかりをして過ごす、そんな時間がいつの間にかわたしにとってかけがえのないものになっていて

この時間からの関係を飛び出そう、なんて考えたこと、なかった。この時間以外の木葉のことなんて。でも、木葉が楽しそうに話していたバレーのこと、チームメイトのこと、いつものこと、夢物語のように聞いていた木葉の日常が、わたしの現実に入り込む。ちょっと想像しただけで、なんて胸躍るようなことなんだろうか



「おれさ、森然行くと、ここになまえいるんだなーってなんかちょっと嬉しくなる。」


「へ。」


「おれはここでのなまえしか知らないからさ。」


「あ……うん。そうだね。」


「んで、こう思うわけですよ。」


「うん?」


「おれはなまえのことをもっと知りたいし、なまえにもおれのことをもっと知ってほしいな、なんて。」


「……そ。」


「うん、そう。」



飄々としたいつもの木葉の声色ではなく、しっかりした音でわたしの耳に響く言葉の一音一音。胸が、張り裂けそうになった。言葉を発してしまったら、心臓も一緒に出てしまうんではないかと思った。何とか飛び出していきそうな心臓を飲み込んで、ただ肯定するだけの返事をすれば、木葉は嬉しそうな笑みを一つ。剥がしてやろうと思っていた笑みが、わたしの意志に関係なく、急に剥がれてしまってはしてやったりなんて思えるはずもなく


見透かされたのかと、思った。


わたしの心を読まれてしまったのかと。だって、わたしも同じことを考えていたから。まさか木葉がわたしと全く同じことを考えていたなんて。でも、それを言う勇気をわたしは持ち合わせていなくて、ただ木葉の言葉に同調するので精一杯で

自分でもひどく可愛くない女だと思う。可愛い女の子なら、「わたしも」なんて言って頬を染めたりするのだろうか。そうしたら、木葉もイチコロだろうか。でも、わたしにはそうする技量も、度量もなくて。可愛くない女だけれど、返事をするのが精一杯だと知ったら、木葉はまた呆れたように笑うんだろうか



「あ、着くわ。」



無情にも電車は走り続ける。車内に流れるアナウンス。告げられた停車駅は梟谷高校の最寄り駅。わたしも、なんて言えたら、森然で行われる合宿を見に行けるのに。ここじゃない、別の木葉をもっと知る事ができるのに。

一人悶々としている間に、木葉がすうっと席を立つ。いつの間にか増えていた乗客をかき分けて扉の方へと近付こうとする木葉の背中を見ながら、わたしはただ軽く唇を噛み締めるだけ。どうしよう、なんて言えばいいの。せっかく木葉が手を差し伸べてくれたのに。その手を見るだけ見て、掴まずにどうするの。でも、なんて声を掛けたら



「あのさ、木葉っ。」


「なまえー。」


「あ。」


「じゃあ、また明日な。」


「……うん。また、明日。」



ひらひらと片手を上げて電車を降りていく木葉。その背中が人混みに紛れてしまえば、閉まる電車のドア。ゆっくりと、木葉が降りた駅を出ていって、木葉をそこに置いていって。わたしの気持ちも、言葉も電車に連れ去られる



「明日は、言えるかな。」



明日こそは。



「ふわあ。」



欠伸が漏れる。携帯の時計を見れば、まだ7時前。眠いはずだ。少し寝ようか。そう思って、背もたれに体重を掛けて座り、鞄を抱え込んでおやすみ体勢。空いた隣のスペースにスーツのおじさんが座ったのを見て目を瞑る。今日も、電車はきみを置いてわたし一人を運んで行く



ループしていく毎日の中で。
一歩そこから抜け出して、繰り返しの外のきみに会いに行く夢を見る。


(はよ。)
(んー。)
(相変わらず眠そうだな。)
(眠い。本当眠い。超眠い。朝が憎いくらい眠い。)
(どんだけ眠いんだよ。)


あれ、昨日もそんなこと言ったな、そう思いながら欠伸をするわたしを見て、きみは呆れたように笑う。繰り返される毎日。積み重なっていくきみとの時間。午前6時42分の電車内。決まった車両に乗り込んで、席を陣取るわたしの横にきみもまた繰り返す毎日のルールかのようにわたしの隣へ。でも、今日はちょっと勇気を出してみようか。昨日、差し出された手を取ってみようか。高鳴る心臓。あうあうと開閉する口。きみがそんなわたしを見て笑う顔。ループしていく毎日から、違うループを作る瞬間。ねえ、と口を開いたその瞬間から、きっと明日は違う毎日が待っているんだ。

あとがき
眠すぎて何を書いているのかわからなくなりましたが、木葉です。誰がなんと言おうとも木葉さんということにしておきます。断固として!



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