「ふわあ。」


「欠伸してんじゃねえよ。」


「いたっ。」


「ほら、部活行くぞ。」


「……もう。頭叩くことないじゃん。」



眠たい昼下がり。午後の授業はホームルームとか数学とか日本史とかわたしの眠気を誘うものばかりで。授業は何とか頑張って起きていたけれど、ホームルームの途中から記憶がない。いつの間にか眠ってしまっていたらしく、気付いた時には帰りのショートホームルームすら終わっていて、みんながやがやと放課後の予定を立てているところだった

口を手で押さえることもせずに大きな欠伸を一つ漏らして、伸びをした瞬間に後ろから衝撃。ぱしん、と後頭部を叩かれて振り返る必要もなく、わたしの前へと先回りした二口がバレーシューズを左手、エナメルバッグを右手にしながら顎を体育館に向けてしゃくっているところだった



「あ、二口。」


「おー?」


「なんか一年生、呼んでんだけど。」


「一年生…?」



どこかで聞いたようなやり取りだなあ、なんて頭の中はまだ夢現。廊下へと向かっていく二口の背中をぼんやりとした頭のまま視線をやって、見つけた姿に一気に覚醒する頭



「どうかしたか?」


「ちょっと、いいですか。」


「あー……篠山。」


「あ、いいよ。監督と茂庭先輩にはわたしから少し遅れるって言っておくよ。」


「……悪いな。」


「ううん。」


「篠山先輩、ありがとうございます。」



小さくわたしにお辞儀をする倉田さんが、二口の背中を追い掛けて廊下の奥へと消えていった。じゅくじゅくと膿んだ胸の痛みが、また、蘇ってくる。かさぶたができそうだった傷が、じゅくじゅくと


ああ、言うしかなかったもん。


それでどうやって止められるの?わたしにはその権利があるの?部活が優先でしょ、なんて言うのは簡単。でもそれって、本当にそう思って言えるのだろうか?邪な気持ちが100%ないと言い切れるのだろうか。なんて頭の中はぐるぐると嫌な奴。本当、嫌な奴

少し俯いて唇を噛み締める。やめよう、色々考えるの。部活に行こう。そうだ、そうしよう、なんて鞄を取ろうと屈んだ時に聞こえてくるクラスメイトの言葉



「なあ、あれきっと告白じゃねえの?」


「だよなー!二口もずりーよな。」


「あの一年生、可愛かったよな。前から結構こっちに顔出してたろ?ちょっと気になってたんだよなー。」


「断る理由ねえだろ。だってあんなに可愛い子に告白されて断る男なんていねえよ!二口、彼女いねえし。」


「付き合ったらお似合いだよなー。二口の性格にちょっと難があるけど。」


「やっぱずりー。」


「お前そればっかじゃん!」



ばか笑いしている男子。女子は「嘘でしょー!」とか「認めないし!」とか悲鳴を上げて騒いでいる。突き刺さったのは、お似合い、という何ともありふれた言葉。倉田さんは可愛いし、断る理由はない。それは男子たちの言葉に頷きたくなる自分がいて。お似合いかどうかなんてわたしにはわからないけれど


わたしは、そんな風に言われたこと、あったかな。


鞄を握り締めて考える。立ち上がって、停止した思考が進む。一歩踏み出して、言われた言葉を思い出す。お似合い、ね。わたしはお似合いと言われたこと、なかったなあ、なんて。そんな声、聞こえてこなかったよ、一回も。あんなに長く二口と一緒にいたのに、わたしは一回もそんな言葉聞いたことなかったよ



「あれ、篠山先輩?」


「あ、作並くん。」



ぼんやりと外の景色を見ながら歩いた廊下。なんでこんなにもつまらないんだろう。いつもは早く着いてしまう体育館が、こんなにも遠い。騒がしいはずの廊下も何故かしんと静まり返って

角を曲がって、渡り廊下。一歩踏み出そうとしたところで後ろから名前を呼ばれて振り返った先に頭を下げて挨拶をしてくれる作並くん。次いできょろきょろと辺りを見渡し、首を傾げて一言



「あれ、二口さんは?」


「あ、ああ、二口ね。ちょっと、野暮用。」


「そうなんですか?」


「うん。」


「また、喧嘩でもしたのかと心配しましたよ。」


「心配?」



どうして喧嘩でもしたのかと心配するんだろう。よくわからなくて今度はわたしが首を傾げる番だ。作並くんが何を言いたいのかちょっとよくわからないや



「だって、篠山先輩と二口さんはいつも一緒じゃないですか。」


「…そんなことないよ。」


「あー!小夜さんだー!!ちわーっす!!」


「黄金川くん、廊下走っちゃだめだよ。」


「おっ、悪い悪い!あれ、小夜さん一人っすか?」


「二人して何なのー。もう。」


「小夜さんが一人なんて珍しいなあって。だっていつも一緒、じゃないっすか?あ、また喧嘩でもしたんすかー?」


「……ぷっ、何それ。」



急に笑い出すわたしを何で笑いだしたのか心底よくわからないといった様子でわたしを見返すコガネ。作並くんはにっこり笑って、「元気出たんですね」なんて色々見抜かれちゃっていて余計におかしくなっちゃった


似合う、似合わない以前に、ね。


一緒が当たり前だったから。似合うとか似合わないとかそういうものじゃなくて、それが当たり前だったから。ああ、もしかしたら、聞こえていなかっただけかもしれない。だって、二口の横は騒がしいから。本当、そんな声が聞こえないほど。気付いたの、今の二人の言葉で、ちゃんとわかったんだ



「ねえ、作並くん、コガネ。」


「はい。」


「どうしたんすか?」


「わたしも、ちょっと野暮用。」


「野暮用って何っすか?!」


「わかりました!伝えておきますね。」


「うん、よろしくね!」



コガネの質問の答えは作並くんに任せることにしよう。今は、行くところ、があるから。


くるりと踵を翻して、来た道を戻る。急がなくちゃ、なんて気持ちに比例して動く足。途中すれ違った先生に「こら!廊下を走るなよ!!」なんて言われたけれど、「すいませーん!」と言って緩めることのない足。今は見逃してください、なんて気持ちが急いている



「二人は……っ。」



どこだろう。告白をするなら?頭の中はぐるぐる。考えても答えなんて出ないんだから、何となく、こっちにいるような気がする、なんて足が動くままに向かってみる。何段もある階段を一気に駆け上がって、扉の向こう。立ち入り禁止の扉を開ければ広がる青空の下、人影二つ



「あー……悪い。」



足を止めた瞬間、二口のその一言が響いていた。気まずそうな顔で、頭を掻きながら。頭をがしがし掻いている時は心底参ったという時の癖。そんな二口の姿を見て、俯きながら肩を震わせている女の子、倉田さんの背中。顔はここからじゃ見えない


どうしよう、入っていく勇気がない。


ドア口で身を潜めて佇むわたし。盗み聞きみたいで気分が悪いが、この空気の中どうやって入っていく?頭の中で作戦会議を開催しているのも束の間、急に俯いていた倉田さんがふらりと動き始めて



「二口先輩は、好きな人がいるんですか。」


「……。」


「篠山先輩ですか。」


「篠山は、関係ねえだろ。」



倉田さんの質問に、どきりと胸が高鳴った。ぷいっとそっぽを向いて答えた二口。そんな二口に笑い声を立てる倉田さん。そのままゆっくりとした足取りで二口の横を通り過ぎていく。その背中を追い掛ける、わたしと二口の視線。屋上に備え付けられていた柵に倉田さんが背中を預けて、その重みにギイッと錆びた鉄特有の音が鳴った。二口ににこりと笑い掛ける倉田さんが口を開く



「あーあ。わたし、二口先輩に好かれている自信、あったのになあ。二口先輩、やっぱり篠山先輩のこと、好きでしょう。」


「べつに、好きじゃねえよ。」


「二人のことを見ていて色々と腹が立ちます、本当に。素直にならな…っ。」


「危ないっ!」


「篠山?!」



倉田さんの体が急に傾いた。崩れる体勢。柵が腐敗して脆くなっていたらしい。倉田さんの体を支えられず、そのまま柵と一緒に倒れ込んでいくのが見えたわたしは慌ててドアから飛び出し、倉田さんの方へと駆け寄って掴んだ腕。ぐいっと力強く引き寄せれば、宙を舞うような、そんな感覚がした。



助けるだけの手は宙を切る。
きみに向かって伸ばした腕は、もう。


(篠山ーっ!)
(う、うそ…っ!)
(だ、誰か。)
(どうしよう、どうしよう!)
(誰か、誰か助け…っ!!)


宙を舞う感覚。ふわり、なんてそんな感覚、一瞬しかなかった。すぐにブラックアウト。何も見えなくなって、思考も遠いどこかへ。ねえ、わたし、どうなっちゃうの?ねえ、わたしの気持ち、どうなっちゃったの?わたしがきみに伝えようと思った気持ちは。わたしが、気付いた気持ちは。わたしの、夢は。遠くなる意識でそんなことを思った。最後に見た、きみの顔が瞼の裏に焼き付いて離れない。耳元できみの声が微かに聞こえる。「大丈夫、大丈夫。何ともないからな。大丈夫だからな!」なんて。最後まできみはやっぱり嘘吐きだった。


急転直下。そんな感じですね。本当に。


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