彼女は相手の体力を奪って戦うヒーローだが、実は逆に自分の体力を他人に分け与えることも出来るため、ばあさんの治癒に耐えられそうにない患者の体力を補佐するという役割を果たしているのだ。
そんなみょうじ先生に、俺は嫌われているらしい。
元々授業を受け持たないみょうじ先生はいつも保健室に引きこもっているから、顔を合わせること自体がまず少ないのだが。初めて会った時に挨拶を交わした際、俺は面と向かってこう言われた。
「ごめんなさい、近寄らないでください」
突然の拒絶に目を丸くしていると、ばあさんが彼女の代わりに理由を説明してくれた。
「なまえはね、真っ黒なものと、小汚いものと、陰気臭いのが苦手なのさ。あんたは全部当てはまってるから……」
初対面でそれは酷すぎないか。さすがに傷つくぞ。隣で爆笑しているマイクの脛を蹴り飛ばすと、みょうじ先生は更に一歩下がってハッキリ言った。
「すぐ暴力に訴える人も生理的に無理です」
この人にどう思われようが正直どうでもいいし関係ないのに、生理的に無理という言葉は意外とグッサリ来た。
あれから彼女とは全く会っていなかった。進んで傷つきたくはないし、向こうだって俺を見るのは嫌だろう。反りが合わない人に無駄に関わるのは合理的じゃない。だから出来るだけ保健室とその周囲には近寄らないようにしてきた。
ところが。
今日は珍しく、保健室から外に出ていたらしい。ここに何の用があったのかは知らないが、1Aの教室前の廊下でばったり出くわして。挨拶してもしなくても気まずい空気になるのを覚悟したのに、みょうじ先生は思いもよらない行動に出た。
「っ、!?」
近寄らないでくださいと言った本人からスススと近付いて来て、ピタリと体を寄せてきたのだ。何も言えず石のように固まる俺など気にせずに、すんすんと鼻を鳴らしながら俺の周りをゆっくり1周して。
「いいにおい……」
小さい声だったが、確かにそう呟いた。
意味わからん、どういうことだ。香水の類などつけてはいないし、シャンプーもボディソープも無香料のものを使っている。加齢臭フェチかとも一瞬疑ったが、今朝シャワーを浴びたばかりだし匂ってないと信じたい。
「すぅ、はぁ……」
俺の背中に張り付いて匂いを嗅いでくるみょうじ先生ははっきり言って変態くさい。変な人だとは思っていたがこの人大丈夫なのか。俺はあなたの生理的に無理な人種なんじゃなかったんですかね。
そんなことを思っていると、みょうじ先生の顔がずるずると下がっていって、今度は腰のあたりを嗅ぎ出した。ぎょっとして首を捻って背後を見ると、彼女はもはや床に膝立ちで俺の腰にしがみつく様な姿勢をとっていて。
そこでハッとした。ひとつだけあった。今日の俺が何か匂うとしたらそれは。
「いい湿布使ってますね……はぁ……」
やっぱりそうだったかと嘆息する。どういう趣味してるんだ。湿布のためなら嫌いなやつにも縋り付くのかこの人は。
「んん……ポーチが邪魔」
「ちょ、おいっ」
どんだけだよ。ポーチを外そうと手探りで腰回りをまさぐってきた手を慌てて掴んで、ぐいっと引っ張り立ち上がらせる。みょうじ先生の物足りなそうな表情に不覚にもどきっとした。じっと見上げてくる視線に居心地の悪さを感じていると、みょうじ先生が急に手を伸ばして俺の前髪をさらりとどける。
「相澤先生ってもしかして、わざとみすぼらしくしてるんですか?」
「みすぼ……。あー、いや、まあ、わざとというか」
「だって、こんなにかっこいいなんて今まで気付きませんでした」
「は?」
至って真面目な顔をしているので多分本音なんだろう。そうでなければ相当の役者だ。前からそうだが、思っていることをそのまま口に出すのはやめた方がいいと俺は思う。
「あ、でもイレイザーヘッドはアングラ系ですもんね。確かに、小汚く見せてないと目立っちゃいますよね。かっこいいから」
ストレートな褒め言葉(でいいんだよな?)にじわじわと照れが襲ってくる。
「えーと、まあ目立たないようにってのはそういうつもりですが、容姿については自分ではなんとも……」
「相澤先生はかっこいいと思います」
かっこいいってこの短時間で何回言うんだよ、恥ずかしいわ。
「それと、ごめんなさい。わたしの"苦手三原則"に全部当てはまってたのも、ヒーロー活動のための理由があったんですね。生理的に無理なんて言ったの、取り消させてください」
「はあ、どうも……?」
「こんなにかっこよくて、湿布のにおいが似合う人初めてです」
湿布のにおいが似合う人ってなんだ。喜んでいいことに聞こえないんだが。
「ああ、どうしよう、わたし……」
「え?」
「あなたのこと好きになっちゃいそう……」
は?
ええ?
えええ??
それを本人に言うのか? 声に出しちまってること自分でわかってんのか?
みょうじ先生はうっとりしていた顔をはっと引き締めると、腕時計に目をやり、名残惜しそうに俺の匂いを――というか湿布の匂いを――くん、と1回嗅いで、一礼した。
「わたし保健室に戻らないと。では、相澤先生、また」
「は、はあ、また……」
去っていくみょうじ先生の後ろ姿を見送りながら、この熱い頬をどう冷まそうかと途方に暮れた。こんなツラで教室には入れない。突っ込まれるに決まっている。絶対に。
それからどうにか気持ちを落ち着けて1日を乗り切った俺が、散々悩んだ挙句、翌日から痛くもないのに湿布を貼って出勤し出すのはまた別の話である。
(イレイザー、最近毎日湿布くさくねェか?)
(……うるせぇ)