ベガを待っていた

ラジオ収録も終わって、まっすぐ帰宅して、ふかふかなソファに倒れ込んで。

ヒーロー・教師・芸能人の3足のわらじを履くのは体力的にも年々キツくなってくるが、好きでやっていることだ。酷い事件さえ無ければ、疲労感もなかなか心地良い。

それに、今日は七夕。オレの誕生日だ。

今年は丁度当日だったこともあって、リスナーからのお便りは例年以上に大量で、そのどれを見てもお祝いの言葉が書かれていて。毎年恒例の光景だし、予想はしていたことだったけれど、それでもやっぱり嬉しくて泣いた。公共の電波でずびずびと鼻水をすする音を発信してしまったことは忘れよう。

時刻はもう6時近い。窓から射し込む朝日が眩しい。カーテンを閉めたいのに、身体が重すぎた。手洗いうがいも歯磨きもまだだが、どうせ今日は休みだ。予定があるのは夜だけだし、全部起きてからでいいや。今ならいい夢が見られる気がする。オレは幸せな気分で睡魔に飲み込まれていった。





何か物音が聞こえて、意識が浮上した。覚醒しきらない頭で、何かってなんだ……とぼんやり自問する。今は合鍵を渡すような相手もいないし、自分以外に誰もこの家にいるはずがないのに。

うーん、と呻きながら軋む首を動かして時計を見る。まだ7時ちょっと過ぎだ。1時間しか寝れてねェじゃん。道理でスッキリしない目覚めである。

しかしせっかく起きたんだったら寝る前に出来なかったことをして、今度はベッドで寝よう。そう思って、だるい体を起こそうとした時。するりと自分から何かが床に滑り落ちた。

「……?」

見ればそれは何の変哲もない薄手のタオルケットで。確かにオレのだが、かけて寝た覚えはない。

いやいやいやいや。どういうことよ。

背筋が冷えて意識もハッキリしてきた。どうやら無駄に親切な侵入者がこの家にいるらしい。聞こえた気がした物音は勘違いじゃなかったわけだ。

気配を探ろうと、音を立てないようにゆっくり立ち上がって――危うくずっこけるところだった。探すまでもない、すぐそこのキッチンに、そいつはいた。

こんなに近くにいて、気配を感じなかったなんて。ていうか、いい匂いがする。明らかにごはんの匂いだ。これにも気付かなかったとなるとオレが単に鈍いだけなのではとすら思えてきたが、その侵入者の出で立ちを見て、納得した。

身体のラインがよくわかる、ピッチリとした真っ黒なライダースーツ。ひとつに括られて揺れる、これまた真っ黒な髪。耳で紅く光るピアス。

……おいおい、どういう誕生日だよ。

我が家で勝手に朝食を作っているその女を、オレは知っていた。みょうじなまえ。高校時代、オレと消太のクラスメイトだった。それなりに仲良くやっていたのに、卒業と共に突然姿を消して連絡もとれなくなり。

3ヶ月前、久しぶりにオレたちの前に現れたこいつは、死柄木弔の隣に居た。

「ゴーストライダー、」

何年も捜査と追跡を逃れ、正体不明とされていた敵名を名乗って。不敵に笑って。

オレの呟きを拾ってくるりと振り返った今もまた、同じように笑っている。

「おはよう、ひざし。起こしちゃった?」
「……何のつもりだ? 敵がヒーローの家でbreakfastなんざ」
「冷たいなぁ」

オレがぐっと殺気を滲ませているのに、なまえは再びこちらに背を向けて朝食の用意を再開した。なめてんのかよ。イラッとしたオレはキッチンに足を踏み入れ、その首根っこを掴もうとするも、手が空を切る。

「……チッ」

目の前にいたはずのなまえが、食卓を挟んだ向こう側に現れる。そうだ。これがこいつの個性。体を霧のように扱えて、物理攻撃がまるで効かない。昔オレたちと遊んでいた時と同じように、この個性で逃げ回り、今まで行方をくらませ続けていた。

もっとも、あの保須のヒーロー殺しの事件より少し前から、ゴーストライダーは敵連合からも姿を消していたようだったが、どうせ敵には変わりない。……とオレは思っているのに。

「ちょっと、卵焼き焦げちゃう。邪魔だからそこで座ってて」

なまえはぷりぷり怒って、再びフライパンを手に取った。

なんだこの温度差。もしかして夢なの? 全く戦闘の意思が見られない姿に、オレもだんだん戦意喪失してくる。本当は取っ捕まえるチャンスなんだろうが、どうせこいつに触るなんて消太がいないと無理だ。マジで連絡するか。でもケータイを弄ればなまえはすぐに勘づいて逃げてしまうに違いない。

どうしたもんかと悩んでいると、ぐぅ、と間抜けな音がやたら大きく響いた。オレの腹から。

「…………」
「ふふん、カラダは正直なようですねぇ。もう出来るから、いい子で待っててよ」

本当に高校の頃と変わらないその雰囲気に、なまえが敵だということの方が夢なんじゃないかと思えてくる。

無言で食卓につくと、間もなく目の前に朝食が並べられた。ほかほかの白米に、出来たての卵焼き、……具がない味噌汁。だがいい匂いが空腹を刺激する。

「お魚も焼きたかったけど無かったの。味噌汁もこんなだし……材料乏しすぎ」
「しょうがねェだろ、あんま料理しないから日持ちしないもんは置いてないんだよ」
「ふうん。まあそういうわけでなんか一品足りない感じでアレだけど、我慢してよね」

なまえは自分の分も用意して、オレの向かいに腰を下ろす。消太や他の奴らに見られたら怒られそうな状況だが、腹が減ったのも確かだ。料理に罪はない。

先になまえが食べるのを確認してから、オレも口に運ぶ。それに目敏く気付いたなまえが、ムッと眉を吊り上げた。

「ひっどい。毒が入ってると思ったわけ?」
「当然の疑念だろ。敵の手作り料理をホイホイ食うヒーローが何処に居るんだよ」
「むぅ」

不満気に口を尖らせる様はやっぱり昔と変わらない。じくりと胸が痛んで、オレは気を鎮めるようにひたすら箸を進めた。




会話らしい会話もないまま早々に食事を終えて、ソファに移動したオレは、当たり前のように食器を洗い出したなまえを見ながら考える。こいつ本当に何しに来たんだ。その心の中の問いに応えるように、なまえがのんきな調子で言った。

「ひざしにプレゼントがあるんだ」
「……What?」
「今日誕生日でしょ」
「お前……覚えてたのか」
「まあね」

カチャカチャと洗い終わった食器を立てかける音がして、水音も止む。一挙一動を睨みつけるように観察していたオレの前にゆっくり歩いてきたなまえはどう見ても手ぶらで、そのライダースーツに何かを隠し持っている様子もない。一体何を、と訝しんでいると、ぼすん、と豪快にソファが沈んで。ぎょっとして隣を見るより前に、なまえがしなだれかかってきた。

「な、なななん、なん」
「どもりすぎウケる」

動揺しまくるオレを馬鹿にするように笑って、なまえはところで、と話を進めていく。

「今は彼女居ないみたいだね」
「ッはぁ!? 何だよいきなり、っていうかそんなこと誰に」
「まあまあ、それはいいから」

よくねェ、というオレの声を無視して、なまえはおもむろにスーツのチャックを胸元まで下ろした。えっ、なに? 混乱しつつ凝視してしまう自分に我ながら呆れ果てる。そこから取り出された1枚の紙を渡されて、畳まっていたそれを開くと、それは、

「は……?」

既になまえの名前が記入された婚姻届だった。

いや、ちょっと意味が分からない。いや分かる、分かるけどそうじゃなくて。

「約束したでしょ。30歳までにお互い相手に恵まれなかったら、結婚しようって。まあちょっと忙しくて1年ズレちゃったけど」
「……、」
「覚えてないの? ひざしが言ったんだよ」

覚えてないわけがない。だけどそれは、こんな関係になる前の話だ。ヒーローと敵に、なる前の。

「ゴーストライダーさんよぉ……オレが今のお前とその約束果たすと、本気でそう思ってンのか?」

怒りさえ湧いてきて、手にした紙切れをぐしゃりと潰す。それでもなまえは、あっ、酷い、なんてオレの怒りなんて屁でもないみたいなむくれ方をする。

ほんと、なんなんだよ、いい加減にしてくれよ。

昔のオレが抱いていた想いを、久々に姿を見た時に思い出してしまったこの想いを、踏みにじられた気がして。怒鳴ってやろうとした時だった。

「せっかく消太が貰ってきてくれたのに」

出しかけていた言葉がしゅるしゅる消えていく。ごめん、今なんて? 聞き間違いかな?

「しょ……消太が?」
「うん。わたし、ちょっと外に出れなかったから、消太が代わりにわざわざ役所まで行って……」
「は???」
「わたしは雑誌の付録でいいって言ったんだよ、でも消太が」
「Stop、待て待てそうじゃない」

落ち着け、落ち着くんだ山田ひざし。理解できないことだらけだが、一番わからないことから解決しよう。

それはなんだ? ――突然の消太だ。

「消太と……会ってるのか?」
「え、うん」
「!?」

めっちゃ普通に肯定された……。

どういうことだ。だってこいつは敵で、姿を現したUSJの時だって、消太をボロボロにした側だったんじゃないのかよ。

オレの言いたいことが伝わったのか、飄々としていたなまえがここに来て初めて、酷く顔を歪めた。

「……わたしが、消太にあんな風に目の前で死にかけられて、平気だったわけないでしょ」
「え、」
「消太に大怪我させるつもりなんかなかった。オールマイトさんが最初からいてくれさえすれば、あんなことになるはずじゃなかったのに」
「なまえ、お前、何を……」
「あ、違うよ、勘違いしないでね。消太の代わりにオールマイトさんがやられればよかったって言ってるんじゃない。あの時の弔と脳無なんかに、オールマイトさんが負けるわけなかったんだから」

開いた口が塞がらない。まるで、その物言いじゃ、ヒーロー側の人間のような。

「消太を助けたかった。庇いたかった。でも出来なかった! まだあの時は、弔に信用されている必要があった……」
「……」
「でも、よっぽど情けない顔をしてたのね。わたしが何をしてるのか、消太に一発でバレちゃった。もう、だからずっと会わないように活動してたのにさぁ」

消太の勘の鋭さにはやんなっちゃう。血だらけで倒れてるくせに、ほっとしたみたいに笑ってくれちゃって、こっちは泣きそうだったよまったく。なまえは穏やかに微笑んで。

ここまで言われて、理解できない馬鹿じゃないつもりだ。

「……今までずっと、スパイしてたのか」
「ん、まあね。雄英卒業してすぐ敵に紛れ込んで、小物から大物まで色んな奴と手を組んで。雇われサイドキックって感じね。敵のだけど。誰もわたしが警察にタレ込んでるなんて疑わないほど、裏社会の信頼勝ち取って」

で、弔に出会って、大物なんてもんじゃない、ヤバいやつの尻尾掴んでさ。敵連合が動き始めるまで、ずっと調査してたの。

「でももう、消太の件で限界だった。こっそり病院にお見舞いに行って、たくさん話して、辞める決心つけたんだ。本当はもっと探っておきたいこといっぱいあったんだけどね」

それからヘマしてついに捕まった、っていうていで敵連合から抜け出して、警察に匿ってもらってたの。

同級生が敵になってたと思いきや、もっとぶっ飛んだ話だった。だけど、心の底から安堵した。じわじわと、やっと身体中に血が巡っていくような。

「だからしばらく外出できなくて、消太が書類を……」
「それでそこに戻るのね……って、じゃあオレに彼女がいないって話したのは」
「消太だよ」
「うぐぐぐぐ」

あいつ、全然そんな素振り見せなかったくせに。なまえと会ってるなんて、これっぽっちも周囲に気付かせる様子はなかった。

途端に黒い感情が湧き上がってくる。自分でも現金なもんだと思った。さっきまで消太の仇として見ていたやつのことで、消太に嫉妬するなんて。

当のなまえはオレから書類を奪い取って、一生懸命皺を伸ばしている。

「……それでお前、もう自由なわけ?」
「大体はね。でもほとぼり冷めるまで大人しく待ってて、その間にひざしに恋人なんて出来ちゃったらたまったもんじゃないから」
「なまえ、」

わたし本気だよ。昔からずっと。なまえの真剣な声に、殺していたはずの気持ちがどんどん溢れてくる。

なまえの顔が見れなくて、というよりオレの顔を見られたくなくて、ソファから立ち上がると、焦ったように背中に声がかかる。

「ちょっと待って、ひざし」
「放せ」
「ひざしっ!」

掴まれた腕を振り払えば、泣きそうな声で縋られて。緩んでしまう頬が恨めしい。

「騙してて申し訳ないって思ってるよ、でもわたしだって事情があって、……お願い、嫌いにならないで、」
「ごちゃごちゃうるせーな」

なまえがヒュッと息を呑む。そうだよ、今までの仕返しに、少しくらい冷たくしてもいいだろ。絶望すればいいんだ。……ほんのちょっとの間だけ。

「放せって」
「やだ、どこ行くの、」

すぐ、笑顔にしてやるから。

「……ペンとハンコ、取ってくるんだよ」

また息を呑む音がして、それから、なまえはわっと泣き出した。おいおい、笑顔にしてやるとかカッコつけたのにどうしてくれるんだ。ガキみたいに泣き止まないなまえに、もらい泣きしそうになる。涙腺脆くなってんだよ、勘弁してくれ。

本当に、とんだ誕生日だ。

今夜の飲み会にはなまえも連れて行こう。きっと消太は驚かないだろうけど。そして報告するんだ。

オレたち結婚します、ってな。


7/7
HAPPY BIRTHDAY!
プレゼント・マイク!
(2018.07.07)