振り向いても誰も居ないし、尾行されているような足音もしないのに、どうしたって見られている気がするのだ。
ここまで姿を確認出来ないでいると、ストーカーにつけられているというより、そう、まるでスナイパーに狙われている気分。殺気は特に感じないけど……。まあ、こんな平和な世の中でぼんやり生きているわたしがそもそも殺気なんて感じられるのかと聞かれたらそれまでだ。
とにかく、正体不明の視線に四六時中悩まされていることだけは確かで。酷くストレスの溜まったわたしを今一番癒してくれるのは、一枚の写真。それを待受にしてあるスマホの画面を、にやにやと眺めながら歩く。
ああ、ほんと、やばい……。
緊張で顔が強ばっているわたしと、何かに酷く困惑しているような男の人とのツーショット。先日のコミックイベントでの一枚だ。
普段はそういうイベントに行ってもコスプレイヤーさんに声をかけたことはなかったわたしが、どうしても我慢出来なくなって写真をお願いした人。
だって、あまりにも完璧な相澤先生だった。
メイクもしてないし、衣装も着慣れた感じで作った感じが一切なくて、まさに原作から飛び出てきたんじゃないかって思ってしまうような。
わからないのは、そんな人がそこにいるのに、誰もが彼を素通りしていたこと。完璧すぎて話しかける勇気を誰も持てなかったのかな。彼自身もそういう扱いに慣れていたのか、写真を頼んだわたしにすごく驚いていたのが印象的だった。それが写真を撮るときにも顔に出てしまっているのが惜しい。
しかしおかしいよなあ。なんで話題にならないの、こんな完璧なレイヤーさん。名前や活動についても聞きそびれてしまったし、今度はいつどのイベントで会えるだろう。そんなことを考えていたわたしは、目の前の信号が赤だったことに気付けなくて。
突如としてガクン、と後ろに引っ張られたわたしの目の前スレスレをトラックが通り過ぎて行く。
「……、ぇ、?」
「っぶねぇな……!」
びびびびびびっっっっくりした……。もしやわたし今死ぬとこだった?
心臓がバクバク鳴って、汗もぶわりと噴き出してくる。そこで、そういえば自分のじゃない声が聞こえたことをようやく思い出して、更に誰かに寄りかかっていることにやっと気が付いた。
「ご、ごめんなさ……あれっ?」
慌てて離れようにも、何か布が体に巻き付いていてそれはかなわない。後ろの人はそれを察したのか、しゅるしゅると拘束を解いてくれた。きっとこれで引っ張ってくれたんだ。
自力で立ち直したわたしは、命の恩人にお礼を言うべく振り向いて、そのまま間抜けな顔で固まった。
「助けていただいてありが……!?」
そこに居たのは、どうしたって見覚えのある人で。
「ちゃんと前見て歩け馬鹿!」
「す、すみません……」
それは間違いなく、わたしが会いたかった相澤先生のレイヤーさんだった。なんでここに居るのかとか、なんでこんな何でもない日でもコスプレしてるのかとか、捕縛武器の使い方上手くねとか色々言いたいことはあったけど、すごい形相で睨まれてしまっては謝ることしかできない。
「俺が居なかったらどうなってたと思ってんだ。前から言いたかったんだが、あんたは注意力が足りなすぎる」
「はい、すみませ……、ん?」
「これ懲りたら歩きスマホなんてもう二度と……、なんだ」
「い、いえ、あの……前から言いたかったっていうのはどういう……」
「あ」
しまったという顔でサッと目を逸らした彼に、まさかと疑念が沸く。いやいや、まさかなんてそんなまさかね。
「……すまん。実はずっとあんたを見てた」
まさかだった。
「いつどうやって話しかけようか機会を伺ってたんだが……不快な思いをさせたよな。申し訳ない」
「ま、まあ気味は悪かったですけど。ていうか、どうして……? 逆にわたしがあなたをストーカーするならわかるんですが……」
「――俺に話しかけてきたから」
「はい?」
あのイベントでのこと、だよね。
「理由になってない気が……」
「いや。俺にとっては重大なことだった。あんたも見てただろ、誰もが俺を無視して通り過ぎて行くのを」
たしかにそれは、わたしも疑問に思っていたことだ。彼は伏し目がちに続けた。
「俺の姿は誰にも見えてないんだよ。声も聞こえてない。どこへ行ってもそうだった……あの日あんたに出会うまでは」
「えっ、……ゆ、幽霊ですか!? わたし霊感とかないですけど!?」
「違ぇ。いや、断言は出来ないが……死んではいないはずだ」
成仏出来てない幽霊が言いそうじゃない?
死んだ覚えがないとか言いそうじゃない?
じり、と距離を取ろうと後ずさると、彼は焦ったようにわたしの腕を掴んできて、そのまま引き寄せられた。背後でバイクの音がする。……そういえば横断歩道だったここ。
「っあんた、馬鹿にも程があるぞ! 勘弁してくれ、心臓がもたない」
「ほんとすみません……」
「あんたを失うわけにはいかないんだ」
「うぇ?」
ものすごいドキッとして変な声出てしまった。だってそんな、まるで相澤先生みたいな姿で、声で、……あれ、声まで似てるなんてそんなことある?
「……ハッキリ言おう。俺のこれはコスプレじゃない。れっきとした俺自身のヒーローコスチュームだ」
「え」
「俺はイレイザーヘッド。本名、相澤消太。……そういうことだ」
そういうことだって言われても、どういうことなの。タチの悪い冗談? 二次元キャラに恋する馬鹿で哀れなわたしをからかって遊んでるの?
でも目の前の相澤先生(仮)は、これ以上ないくらい真剣な顔でわたしを見つめていて。近さも相俟って顔が熱くなる。
つまり逆トリップ……ってやつですか。そんなの二次創作の話でしょ。そんな非現実的なこと、このつまんない平凡な世界で起こるわけない。
でも、わたしに触れている温もりはたしかに本物で。
「わたし、脳腫瘍でもあるのかな」
「……は?」
「都合のいい幻覚なんじゃないかと……」
腫瘍によって視る幻覚は、時には触れられるほどリアルだという。もしかしたらそれかもしれない。今度検査してもらわないと、なんて思ったりするのは現実逃避だろうか。
「幻覚、ね。……まあ、信じられん気持ちはわかる。俺だって未だにどうしてここに居るのかわかってないしな」
相澤先生は、自嘲気味に笑って。
「あんたが幻覚だと思うならそれでもいい。それでもいいから、時々でいいから……頼む。俺と会ってくれないか」
誰とも話せないのは案外キツいんだ。そう言った彼の顔は疲れ切っていた。
「……わたしの幻覚なら、わたしの家に来ればいいんじゃないですか」
思わず、そんな提案をしてしまうほどに。
「え……」
「実家住みなので、両親と祖母、それから犬がいますけど。わたし以外には見えないなら問題ないですよね」
「いや、」
「じゃあ、帰りましょうか」
「あ、おい……」
戸惑う相澤先生を連れて、わたしは家へと歩き出した。抵抗はされないから、嫌ではないんだと前向きに考えて。いや、幻覚なんだからわたしの意に沿うのは当たり前か。
そうだ。わたしの幻覚なら、この相澤先生はわたしだけのものなんだから。わたしだけの相澤先生がここにいるなら。
いつか視えなくなるその日まで、この非現実を堪能させてよ。
(側に置いてくれるなら、幻覚と思われていても)
(側に置いておけるなら、それが幻覚だとしても)
((それでもいいや、))