Sanji
予期せぬ簒奪者
暖かい日和に穏やかな海。
ミルクたっぷりの紅茶に、――それより甘い、甘い鼻唄。
ナミさんとマリモと船番を代わり、今ここには蒼子ちゃんとおれの2人きり。
「わんわん!」
……。
「蒼子ちゃん、これもどうぞ?」
「わ、タルトかわい」
一口大のタルトを目の前に上げて微笑む蒼子ちゃんのほうがクソ可愛い。
穏やかな時間が流れるこの時間は、何物にも代えがたい貴重な時間だ。「おいしい」と笑みを深める彼女を堪能、
「わんわん!」
……うるせェ。
甲板から聞こえてくる鳴き声に内心舌打ちをする。あまり口数の多いほうではない上に、五月蝿い野郎ばかりでゆっくり話もできない彼女との時間を邪魔するんじゃねェよ。
なんて悪態をつくおれの前で、蒼子ちゃんはしなやかな手つきでカップをソーサーに置くと腰を上げた。
「呼んでるから行くね。おいしかった、ごちそうさま」
「あ、ああ。お粗末様…」
スッと伸びた背中を見送って、それでも諦めきれずに視線を動かせないでいるおれの耳に、名前を呼ぶ優しい声が聞こえた。
その口からおれ以外の男の名前なんざ聞きたくないってのに。
「くっそー、羨ましいぜあのクソ犬…!」
あの黒い小さなそれは、彼女が町で預かってきた犬だった。
彼女に懐いているそいつは、どう頑張ってもオスだ。
『すごく急いでたみたいなのに預かってくれる人がいないって言うし、たった2時間らしいし…それにどうせひまだから』なんて蒼子ちゃんは言っていたっけ。そいつの飼い主も、蒼子ちゃんに懐いているそいつ自身も、見る目は100点。
だが、だ。
おれにとっちゃクソ迷惑なんだっつーの。
さっさと洗い物と夕食の下準備を終えて甲板へ出ると、壁に背をつけて眠る蒼子ちゃんがいた。そしてその柔らかい胸には、あろうことか黒い物体が大事に抱えられているじゃねェか。
ぽとりと煙草を落としたってしょうがない。
「、〜〜ッ!!」
蒼子ちゃんを起こさないように気をつけながら奥歯を噛みしめて、そいつを睨みつける。以前蒼子ちゃんに教えてもらった、彼女の世界の法律はきっとこんな状況を取り締まるものだろう。
「独占禁止法っつーのを知らねェのかお前は…!」
「フン」
ヒク、と頬がひきつる。今こいつ、ぜってー鼻で笑いやがった!!
「んの、クソ犬が〜〜…ッ!!」
「……ん…」
「 ! 」
「サンジ?おはよ」
蒼子ちゃんがまぶたを上げて、慌てて作っていた握りこぶしを背に隠した。
「きみも、おはよう」
「くうん」
…なに甘えた声出してやがる!と言えない悔しさはわかるまい。
「ぺろ」
何もできないおれを挑発するように、クソ犬は蒼子ちゃんに顔を寄せ、その愛らしい鼻を舐めた。ぷっちーん、だ。
「こんのクソ犬がァー!!」
「…サンジさん?」
「はいはい、なんですか?」
「なんだか甘えんぼさんですね?」
「そういう気分なんですよ」
お邪魔虫を返却し終わった蒼子ちゃんの太ももに頭を乗せて、そんなやり取りをかわす。みんなが帰ってくるまでのあと少し、こんな時間があったって誰も文句は言わないだろう。
「独占禁止法」
「…は?」
「知らないの?」
蒼子ちゃんはそう悪戯っぽく笑んでみせた。風が彼女の綺麗な髪をさらう。
「おれは、いいんです」
「そうですか?」
「嫌かい?」
「ううん、大歓迎」
ふわりとおれの髪を梳いた手を掴んで、口づける。
「いつから聞いてた?」
「ん?最初から、かな」
「………」