堅牢な檻


とうに陽の落ちた夜のヨコハマ。あるホテルの大広間にて、企業のパーティーが行われていた。立食形式の食事や飲み物が並べられ、各々が食事や談笑を楽しんでいるが、そこにいる人間は2種類に分かれている。きっちりと着こなされた背広姿の男たちと、ほぼ下着同然と云っても良い程露出した格好の女給たちだ。女給は皆同様に中華服を思わせる衣装で接待をしている。膝の遥か上の丈のスカートや背中や脇を大胆に開けた中華服風の胸部のみを隠す服など、様々だ。開かれたこのパーティーは大陸方面の企業と提携があるらしく、イメージアップを兼ねてその様な衣装をしているのだろう。その中に紛れて、彼女、榊葉は銀のお盆に乗せられた飲み物を片手に人の間を縫う様に歩いていた。髪で隠した耳の通信機から良く聞いた声が、撫でる様に入ってくる。

『そろそろだよ。手筈通り宜しく』

無言で肯定を伝え、中華靴を模したハイヒールを打ち鳴らし目標であるこのパーティーの主催者に接触する。

「失礼します。お飲み物は如何でしょう?」
「嗚呼、有り難う」

下から見上げながら、鈴の声で訊ね、綻ぶ花の笑顔を向ける。陶器の様に白い肌に映える桜の果実に似た色の唇に男は釘付けになった。瑞々しい朱い唇をしたその女は、表情や物腰は成人した女性だが、身体つきはまだ幼さを残すそれで、露出した薄い腹や手足の四肢は折れそうなほどに細く、男の庇護欲を唆り情欲を駆り立てた。
男は武骨な浅黒い手を女の腰に回し、添える。するりと撫でられ榊葉は小さく声を上げた。男はほくそ笑む。

「一時間後にここに来なさい。いいね」

榊葉は熱の篭る瞳で鍵を受け取った。


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定刻通り、中原は太宰に指定された部屋に訪れた。扉の鍵は既に複製したものが掌に存在し、簡単に開けることができる。その鍵を使って真っ正面から堂々と、彼は目標の男と囮役の部下のいる部屋へと侵入した。
部屋の奥へと進めば、そこには榊葉が男の死体を処理している所であった。どうやら、自分が到着する前に痺れを切らせたのか目標を暗殺し終えたようである。首元の襟となる黒いリボンが解けた事により胸部を飾る衣装が乱れ、寝台の脇にある電球の光が彼女の露出した胸を仄明るく照らしていた。気配に気づき榊葉は振り返る。訪問者が中原であることを視覚で知り、彼女は無情な暗殺者から一変し、中原のよく知る、表情豊かな年相応の少女へと変貌した。

「中也さん!」
「…おう。ご苦労さん」
「はい、お疲れ様です」

不自然に空いた間に、榊葉は首を傾げたが、自分を労う中原は特にいつもと変わった様子はない。気のせいだろうか、と考えて、彼女は肌蹴た衣装を整え始める。
榊葉の足元に転がる無残に死した男の亡骸を一瞥し、中原は手首の時計を確認した。そろそろ時間である。事前の台本通り清掃員に扮した部下たちは事務的に男の遺体を処理する。その様子を見届け、榊葉は何事も無く大広間へ戻る、予定だった。

「さぁてもうひと頑張りしてきますかぁ」
「否、その必要はねェ」
「はい?」

中原に肩を押され、榊葉の身体は簡単に寝台の上へと倒れる。何がどうなっているのか、理解する前に中原が榊葉の体の上へとのしかかり、優しい慈愛に満ちた顔で彼女の頬を撫で、耳につけられた通信機を取って掌の中で粉砕した。
無残に粉々になった破片が寝台の脇に落ちる。その様子を見て、榊葉はやっと、何かがおかしいと理解し始めた。

「ちゅ、中也さ」
「チャイナランジェリー、だったか?此れ」
「ぅ、はい。そうですけど…」

ゆっくりと、中原の黒い手袋をした指が、榊葉の無防備に晒された腹の上を滑る。その触れ方は愛撫というより、確かめるような、そんな意図が含まれている様に榊葉は思えた。
中原は未だ、愛おしいものを見るような微笑みで彼女を見下ろしている。

「嗚呼、良く似合ってんなァ」
「あ、りがとう、ござ、い゛ッ」
「だがなァ」

優しい声色とは裏腹に、中原の手は彼女の腹を潰す様に、強く押す。圧迫される腹部に、彼女の身体はみしりと音がした。
一瞬の瞬きの間に、中原の瞳から慈愛が消え憤怒の色が燃え盛る。

「手前は俺のモンだろ。気安く触らせてんじゃねェよ」

表情が一変し、先程の榊葉の様な、無情の貌で彼女を射抜く。
果たして榊葉には、中原が何に怒っているのか、皆目見当がつかなかったが、自分に向けられた明確な殺意より、中原に嫌われることが頭に過ぎり、彼女は涙を溢れさせ謝りを口にする。

「ごめ、なさ、い。ちゅうやさ」
「そうだろ、なァ。云えよ。手前は誰のモンだ」
「ちゅ、ちゅうやさんの」
「あの野郎に腹ァ撫でられて、そんなに善かったかァ?」
「ちが、ちゅうやさんしか、」
「そうだよなァ。俺だけ、だろ?」
「うんっ、だから、」

きらいにならないで、
その言葉に、中原は微笑んだ。そして腹を押していた手を自身の下で泣く彼女の頬に添え、目元に、鼻に、頬にと接吻していく。

「莫ァ迦。俺が手前を嫌いになる訳がないだろ」
「ごめ、ごめんなさ、」
「もう分かったな?手前は」
「ちゅうやさん、ちゅうやさんだけ」
「嗚呼そうだ。良い子だ」

幼子の様に泣く榊葉に、中原は何度も接吻をしてあやした。彼女の中心が自分であることを再認識させ、自分に縋らせる事に成功した中原は、内心ほくそ笑む。これでまた一つ、目の前の少女は自分−−中原中也という檻に囚われるだろう。これを笑わずにいられるだろうか!思わず喉の奥で笑う。それに気づいた榊葉は、不思議に思い首を傾げるが、彼女は自分の状況など分かりはしないし、云ったところで理解もできないだろう。
中原の機嫌良くなったと考えた彼女は、目を彷徨わせた後、ゆっくりと遠慮がちに中原に向けて両腕を伸ばす。

「汚いところ、消毒してください」
「嗚呼、」

中原の指が、榊葉の胸元にあるリボンにかかり、ゆっくりと外され丸みのある双丘が−−−−。



けたたましい警告音が鳴り響いた。一通り鳴いたのは中原の掌にある携帯端末で、それの所有者である太宰は分かっていたのか既に隣で両耳を塞いでいた。
音に驚いたのは中原で、暫く顔を背けて居たが音が鳴り止むと端末の画面を確認する。其処には別のウィンドウで「ここから先は有料コンテンツとなります。」と赤字で表示されていた。突如として表示されたそれは、まさに鉄格子の様に中原の前に立ち塞がった。呆気にとられる中原に太宰は隣でひっそりと笑うと、彼の耳に口を寄せひっそりと潜めた声で耳打ちをした。

「…っていうの作ってみたんだけど、幾らにする?」
「手前ェ………」

青筋を立て拳を握りしめる中原としたり顔の太宰の元に、部下の少女が任務で使うという中華服に似た女給姿で現れることをこの時の二人はまだ知らない。