セピア色の青写真



※原作十二話より


ポートマフィア、構成員である私の仕事場は二階の通信保管所である。
外部から内部へ、或いは内部から外部へ、日夜様々な通信が行われ、その記録を保管する場所であるこの部屋の守りと雑務を任されている。期日の過ぎた情報は徹底的に廃棄し、新しい情報を棚の中に保管するだけの仕事だ。簡単だが、実はかなり地道で誰もやりたがらない仕事を任されているに過ぎない。
私は組織に入ってから、この仕事をしている。


陽も傾き始めた頃に、私は雑務を処理せんとその部屋に引き篭った。最近だと、北米の組織関連の情報が多く、遊撃隊隊長である芥川さんがよくこの部屋に訪れていた。彼は割と真面目で、几帳面なのか逐一この保管所に来てくれるので処理を楽々に進める事ができる。本当、昔の上司である何処かの誰かさんとは大違いで感謝しかない。よくあの人の下についてこんな人材が生まれるものだ。否、あの人の下だったからかもしれない。
段ボール箱に詰められたファイルの束を抱えて、その場所へ向かう。途中黒服の構成員の方に荷物を持とうかと云われたが、今は例の人虎だとか、地下に繋がれた人のこととかで忙しそうなので気持ちだけ貰って保管所へ来た。セキュリティの暗証番号を入力して中に入ると、そこには既に先客がいた。嗚呼、頼むから丁重に扱ってくれよ、何て思いながら「お疲れ様でーす」と形だけ労っといた。そして積んだ段ボールを部屋の中に入れ終わったところでその人物の顔を初めて視界に入れる。

「やぁ」
「え?あ、はぁ」
「久しぶりだね」
「…待って待ったアンタなんで此処にいんだよ!」

思わず胸倉を掴むのも仕方ない事だと思う。
だって、そこにいたのは芥川さんでも、一緒にいる樋口さんでも、黒服の構成員でもない、地下に繋がれていると聞いていたマフィアを抜けた男その人だった。
見慣れない砂色のそれをはためかせ、変わらない包帯だらけの肌と整った顔立ちはそう世間に何人もいないだろう。

「口が悪ーい。あと手も悪ーい」
「えぇぇ地下から如何やって、否アンタなら朝飯前か…そっか…」
「四年経っても変わらないよね、そういうところ」

ゆっくりと胸倉を掴んでいた手を離し、手で顔を覆った。最悪だ、もう一生出会わないと思った男に鉢合わせてしまった。
かつての上司であり旧知の仲であるその男、太宰治はにっこりと笑みを貼り付けて目の前に立っていた。これどうするべき?取り敢えず連絡するべきだろうな…。
通信端末を取り出そうと衣嚢を漁るが、端末がない。そして気づいた、私は今何の考えもなく目の前の男に不用意に近づいてしまったと。
案の定、私の端末はその人の手の中にある。

「返して欲しい…」
「駄目〜。だって報告するんでしょ」
「当たり前じゃ何云ってんの」
「こっちの台詞だよ。私が帰る時に返してあげる」
「さっさと帰って…」
「懇願しないでよ…寂しいなぁ」

そう云いながら、彼は鼻歌を歌って棚の中を捜しはじめる。もういいや、仕事しよ…さっさと帰りたいし…。
持ってきた段ボールを自分の机の近くまで運び、仕事を始める。そちらに集中し出せば、太宰の事など視界にも、思考にも入らない。情報の分類分け、日付記入、処理を進めて段ボール一つ分を片付けたところで、彼が私の目の前にいた事に気付いた。
じっと私のことを見つめているその双眼に、首を傾げると彼は漸く口を開いた。

「ねぇ、」
「何か?」
「私と一緒に行こうよ」
「は?」

何云ってんだこいつ。突拍子もないことを云い出す目の前の男に、目を見開いて驚いていると、彼は私の手に持っていた万年筆を抜き取り机の上に転がっていた蓋をする。そしてじっと私を見つめるのだ。

「君にはマフィアじゃなくても出来る仕事は目一杯ある。此処じゃなくても別に良いじゃないか」
「…それは」
「私が一緒なら抜ける事は容易だよ。ね?」

だから行こう、と彼は云う。その瞳に、あの時の「一緒に死のう」といった暗さはなく、代わりに何処か懇願めいたものを見た。どうしてそんな事を云い出すのか、さっぱり理解は出来ないが、きっと、何か思う事があったのだろう、と容易に想像はついた。この四年で、色々な事が変わった。彼も、そして私も。

「生憎だけど此処から出るつもりは毛頭ない」
「理由を聞いても?」
「理由なんてないよ。ただそうだな…抜けたら後が面倒臭そうだから」
「私が一緒にしてあげるから」
「自殺嗜好者に云われても…」
「ねぇ、行こうよ。お願い」

異様に食い下がるその様子に、本当にこの人太宰治かと疑問に思った。私の知る太宰治は、食い下がる事はせず、手を変えて貶めるという印象が強い。訝しげなのが伝わったのか、彼は眉を八の字にして、「昔と違うって思ったでしょ」と私の心境を見透かした。

「そりゃそうでしょ。どしたの本当」
「…だって、君が本当に変わらないものだから、」

四年前と変わらないものだから。私への態度も、思考も、性格も。
そんな訳あるか、と嘲笑した。昔の私なら裏切り者を見つけた時点でさっさと部屋から退出して黒服を呼びに行ってるし、不用意にアンタに近づく様な事はしなかったよ。そう云えば、彼は苦笑して「そういう所だよ」と云った。

突然、機械的な電子音が鳴る。彼の掌にある私の端末だ。画面上に出ている名前に、太宰はげぇっと顔を顰め、私はある意味げぇっと思考を巡らせた。さて、どうやって云い訳をするべきか。着信に出ないのは不味いと、彼は良く知っている。仕方がないという風に、端末を私に差し出した。その様子に苦笑しながら、着信に出る。

「はいはーい。如何されました?」
『おう、悪ィな。その…今何処にいる?』
「はぁ、保管所ですけど」
『あ゛ーーー。そうか……そうだよな…』

歯切れの悪い電話の主に、さては、と横目で太宰を見る。彼は大変楽しそうな顔をしているので、多分、ここに来る前に電話の主で遊んだのかもしれない。さてどうするべきか。直球過ぎるが、まぁ、一切合切は隣の男の所為に出来るので、会えて言葉をそのまま伝える事にした。

「言伝」
『あ?』
「黒い蛞蝓に宜しく」
『ンだとッ!?』

返答を聞く前にぶちりと電話を切って更に電源を落とした。恐らく次付けた時にはかなりの履歴が残りそうだがそんな事は知らない。後の自分が如何にかしてくれるだろう。隣の男は腹を抱えて笑っていた。屈託無く笑うその表情は、かつての彼では見た事はない。

「お調べ物が終わったならさっさと帰った方が良いんじゃない?」
「うふふ、そうするよ。ちっちゃな蛞蝓が突撃してくるからね」
「さぁさ行った行った!」

私よりも高くなったその背を押し込み出入り口へと歩かせる。
蓬髪に乗っていた遮光眼鏡を掛けて、彼は部屋の扉のノブに手をかけたが、一度ぴたりと固まってから振り向くと正面から私の体を抱きしめた。

「なん、」
「今回は諦めるよ。でも覚えておいて」

絶対、私は君を此処から引っ張り出す。
耳に唇を寄せてそう云った後、彼は痛い程に私の体を抱きしめた。その背中に腕を回すべきか迷っている間に、体は解放されて何事もなかった様に彼は出て行く。
残された私は、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。最後に目に映った、彼の見慣れない砂色だけが、頭の片隅にこびりついて離れない。