せんせえ あのね、

※中原さんが幼稚園教諭
※その他は幼児




「今日は榊葉が通う幼稚園に行くからね」

そういって、ままはわたしのおはなのさきっちょをゆびでつついた。

ようちえん、ってどんなところ?

ままにきくと、いろんなおもちゃとかおともだちが、たっくさんいるんだって!
となりのおうちの、りゅうちゃんもいるから、さみしくないよ。ってままはいうけど、でも、わたしがようちえんにいっちゃったら、ままはおうちでひとりになっちゃう。ままとはなれちゃうのは、やだなあ。
ままは、おうたをうたいながら、ぱんをやいている。はんたいに、わたしはすっごくくるしくなって、おめめからいっぱいみずがでた。ままはあわてて、ぱんをおさらのうえにのせて、わたしをだっこしてくれた。ままのおひさまみたいな、だーいすきなにおいがして、またすっごくさみしくなった。ようちえん。たのしそうだけど、ままとはなれちゃうのはやだなあ。






今日は朝一から体験入園の子どもが来る。最近、みなと組の芥川家の隣に引っ越してきたらしく、仲良くなった母親がこの幼稚園を勧めたことで子どもの体験入園をしたいと申し出があった。
体験入園は午前だけ。朝の会と年少組のお遊戯をしている間に親は園の説明を受ける。のだが。

「みなと組の芥川くんを知ってるみたいだから、一緒の方がいいと思うんだ。中原先生にお願いしていいかな」
「あ、はい」

元々俺はみなと組の副担であるから問題はないし、学年担任の森先生の指示なら仕方がない。渡された事前の書類に目を通し家族構成、性格を頭の中に入れながら、玄関口のこども用ベンチへ座ると丁度良いところに仲の良いという芥川が荷物を片付け終えて部屋から降りてきたところだった。

「龍!ちょっと来いや」
「なんでしょう、なかはらせんせい」
「榊葉って子が今日幼稚園に来るんだけどよ。席を手前の隣にしてもいいか?」
「…! 榊葉がくるのですか」
「おう。朝の会一緒にやるからなー」
「…いたしかたないです」
「ありがとなー。お、噂をすれば、」

どうやら芥川も満更ではないようで、目を輝かせている。珍しい。妹の銀と同じ年だからかも知れないが、芥川は他の子どもにあまり興味を持たないから、意外だった。
話している間に、その子どもがやってきた。同年代と比べてやや小さい子どもを抱えた母親が、困った顔をしながらお辞儀をした。

「おはようございます。お子さんを預かる中原です」
「おはようございます。お世話になります」
「ふえ゛ぇ」
「御機嫌斜めですね」
「預けられるのが怖くなっちゃったみたいで…」

榊葉という、その子どもは目を真っ赤に腫らしてぎゃん泣きしていた。まあ、最初は誰でも、親と離れ難くてこうなる。そうだよな、知らないところは怖いよな。
俺の顔をちらりと見た後、また母親の方へと縋り付き一向に服を離そうとしない。こりゃ朝の会は母親と一緒の方がいいだろうな、と考えていると、下から「榊葉、」声がする。芥川だ。

「おくのすなばに、ぎんがいる。やつがれといくぞ」
「り゛ゅ゛う゛ぢゃ゛、」
「銀ちゃんもいるって!奥に行く?」
「ん゛、い゛ぐ」

芥川、手前いつの間にそんなお兄ちゃんらしくなって…。たんてい組の中島とあんなに激しく喧嘩ばっかりしているのが嘘のようである。
感激している間に榊葉は母親から離れ、芥川の手を繋ぎ、園庭の方へと歩いていく。その間、芥川は榊葉の歩調に合わせるやらポケットからティッシュを出して榊葉に渡す(押し付ける)やら世話を焼いていた。やはり芥川に任せてよかった。歩いている間に知っている芥川が居る事もあってか、興味が他の物に移り出したようで、顔が晴れやかになっていく。母親もホッとしたようで胸を撫で下ろしていた。

「事務室に案内します。これ、お使いください」
「あ、ありがとうございます」

客用のスリッパを出して靴を変えさせて事務室へ案内した後、俺は園庭へと向かう。芥川がみなと組であることもあって、榊葉の周りにはみなと組の連中しかいなかったが、どうやら初めて見る子に興味津々で、樋口や立原も一緒に遊んでやっているようだ。涙の跡はあるもののすっかり満面の笑みなのだから、案外、人見知りはしないようである。

「なかはらせんせー!あのこだぁれ?」
「あ?今日のお昼ごはんまで一緒にいる子だ。手前のがお兄さんだからな、面倒見てやれよ」
「わかった!いっしょにれもんつくろー!」
「かじくん!それぼくがつかってたぁ!」

相変わらず梶井は檸檬に対する興味が強い。否強すぎる。他の子が使っていたものを奪うほどに。どーどーと宥めながら、仲良く使えるように順番こ制度を持ち出し子どもの様子を眺めていた。

朝の会も芥川兄妹のお陰で難なく進み、お遊戯体験も補佐することもそれほど無く進んだ。最初はアレだったが、割と飲み込みの早い子どものようである。
親の説明が終わる時間が近くなり、工作が終わったところで声を掛ける。

「なかはあせんせ?」
「おう。お母さんのお話が終わりそうだからよ。下行こうな」
「りゅうちゃは?」
「龍はまだ終わってないからなー」
「ふん。榊葉のてをかりなくとも、やつがれはおわる」
「そなの?」
「そうだな。龍はお兄さんだもんな」
「しかり」

そうは云うが手前絶対終わらねェと俺は思った。こいつの不器用さはとんでもねェからだ。工作は好かぬと云う癖に、今日は文句を云わずやったのは、きっと榊葉がいるからに違いない。良い格好しいだもんな案外。芥川の返事を聞いてか、悩みながらも、やはり母親が恋しいのか首を縦に振った。それを見て、作った工作を紙袋入れてやって、さよならの挨拶を他の子にしていく。少ない時間だったが仲良しの子は多く出来たようだ。

「さよーなら、たちはあくん」
「またあそぼーな」

手を洗いに行っていた立原にも挨拶を終えて満足したんだろう。俺を見上げる頭を撫でて、抱っこしてやる。

「んじゃ行くか」
「うん!」

流石に三歳の子どもに階段を降りさせる訳にはいかない。抱っこした榊葉はやはり他の子と比べて小さく幼く見える。遅生まれでは無かったと思ったが、身長では人のことは云えないので「小せェな」の言葉は飲み込んだ。

「幼稚園、楽しかったか?」
「うん!えとね、ぎんちゃとね、おすなばでぷりんつくった!あとね、たちはあくんとね、おいかけっこした!」
「梶井から何か貰ってただろ。ポケットにあるか?」
「ん……。あった!れもん!」
「彼奴本当に歪みねェな……」

梶井から貰った檸檬色の折り紙でできた檸檬をポケットの中に大事にしまい、「んへへへ」と笑う顔に、最初の様な涙はない。その様子にほっとしながら、一階まで降りてきたが、どうやらまだ話し中のようで、暫く玄関のベンチで待つことにした。

「ままおそいねー?」
「お話終わんねェもんな。……よし」

事務室の、別の扉から中に入り自分の机から色とりどりのリボンと文房具セット、そして厚紙を持って戻る。きょとんとした顔で見上げる榊葉にリボンを見せる。

「何色が良い?」
「んーとね、あか!あかいろ!」
「よーし。ちょっと我慢、な?」
「ん」

榊葉の首に輪をかけやって長さを調節すると、リボンを切る。そして円形の厚紙にメッセージをマジックで書き、さっき梶井から貰ったという檸檬を貼り付ける。

「女の子だもんな、うさぎさんがいいか」
「うさぎさん!」

ポップでよく見かけるうさぎをピンクのマジックで描いて、あとはハートだとか星だとかシールをつけデコレーションして、先ほどの赤いリボンをホチキスで留めて怪我をしないようにテープで補強すれば出来上がり。

「おらよ。半日よく頑張りました!」
「うわぁああ!ありがと!なかはあせんせぇ!」
「どういたしまして。お、お母さん出てきたぞ」
「あっ、ままー!」

事務室の扉から出てくる母親に全力疾走していく。母親も泣いていた子どもの顔しか見ていなかったこともあり、榊葉の笑顔を見て安堵している様だった。

「これね、かじーくんがね、くれてね、なかはあせんせがね、くっつけてくれたの!」
「そうなの?よかったねぇ。……嗚呼、中原先生。ありがとうございました」
「いえ、あの後から他の子と仲良く出来ていて、ほとんど出番がありませんでした」
「あんね、ぎんちゃとね、ひぐちちゃんがね」
「ふふ、楽しそうで何よりでした。…お話いっぱい聞かせてね」
「うん!」

母親に抱かれて、榊葉は頬を染めながらあれやこれやと話を進めていく。封筒に入った書類を手に持つのを見る限り、どうやら入園の手続きを終えた様だ。
玄関まで送り届けると、今の今まで母親に懸命に話していた榊葉が急にこちらを向いた。

「なかはあせんせ!ありあと、ございま、した!」
「…嗚呼、また遊びにおいでな」
「うん!」
「お世話になりました。また入園に必要なものを買いに参ります」
「はい、お待ちしております。榊葉ちゃん、さようなら」
「さよーなら!」

母親の腕の中で勢いよく頭を振って、そして取れるくらいに手を振る。その様子に呆れながらも、俺も手を降り返せば、榊葉は満面の笑みでいつまでも手を振っていた。流石に母親が可哀想だったので事務室へ文房具やリボをしまいに行くと、丁度太宰が降りてきたところだった。いつもなら機嫌が降下していくが、今日は全くその気がない。

「何?気持ち悪いな……。蛞蝓のにやにや顔なんて教育に悪すぎるよ」
「五月蝿ェ糞鯖。俺は今最高に気分が良いんだよ」
「えぇ…?」

さて。あの子が入園するのは何時頃になるだろうか。最短でも次の始業式か。いや用具を買いにまた来るのだから、今度は即興ではなくちゃんとしたペンダントを用意しておこうと、次回のことに想いを馳せながら、俺は担任をする組の昼飯を運ぶ為に給食室へと向かうのだった。





「そんな頃もあったのになァ」
「中原先生どしたの?アイス食べる?」
「榊葉、僕のホームランは何処だ」
「龍のはこっち。これ私の、って中原先生酷い!それ私の!」

かつての面影が残る学生二人を見ながら、しみじみとあの頃を振り返る。季節が何度も巡り時を経れば、お転婆娘は才色兼備の優等生になるし、不器用な糞餓鬼は″貴公子″なんて渾名が付くほど容姿端麗となる。俺も年を食う訳だ。
園の入り口にある門に凭れながら年月の無情さを痛感して、紛らわせるように奪ったアイスを口にしていると、不意に芥川と視線が合う。しかしその視線はすぐに外され、隣で俺を呼ぶ榊葉の名を呼んだ。

「帰りに僕が買ってやる。行くぞ」
「…分かった。中原先生またねー」
「おー、気をつけてな」
「ありがとー!」

当時から変わり無く元気よく答える榊葉と会釈をする芥川を見送る。隣で並んで歩いていた二つの影は、片方が手を引いた事で繋がり、また片方が応えるように腕を絡めた事で重なった。その光景に、俺は無意識に目が細まった。
手前ずっと其奴の事見てたもんな。ずっと、最初の頃から。