のちに吉日

※現パロ


今日は朝からついていなかった。
まず設定した目覚ましアラームが鳴らなかったこと。それからアイラインが上手く引けなかったこと。朝ごはん用のパンがあると思い込んでいて朝ごはんが食べられなかったこと。コンタクトに傷がついて使い物にならなくなったこと。
朝だけでこんなに運が悪いなんて最悪だった。それだけじゃない。仕事に出てきてもいつもなら絶対しないような不意のミスが多かったり、こんな日に限って嫌な上司に当たるなんてやになっちゃう。そんな日もあるよねって同僚や先輩にフォローされたけど、一度落ち込んだ精神を持ち直すのは容易ではなく、どす黒くて厚い曇天気分で仕事をしていた。しかし、それでも地球は自転して時間が経過する。朝目覚めてからドタバタの一日をやっとのこと終えて帰路に着いた。私の様子を見て先輩たちが夜ご飯に誘ってくれたけど、申し訳ないけれどそんな気分にはなれず、一刻も早く家に帰ってしまいたかった。

借りているマンションの鍵を開けて中に入ると、部屋が明るいことにまず気づいた。嗚呼、急ぎすぎて部屋の電気消す忘れたんだなあ。莫迦だなあ私。なんて、思ったのも束の間、狭い玄関を圧迫する靴があることに気づく。それは私がよく見慣れているものだけれど、ここにあるには不自然なものである。
なんで、と思考が動く前にその人物は目の前に現れる。

「よお」
「立原、」
「あー、悪い。勝手に来て」

ばつが悪そうに顔を背けるその男は、恋人の立原道造で。けれど彼は私の家に来る前は律儀に必ず連絡を寄越す男だ。真逆と思って端末を取り出しメールの受信箱やトークアプリを開く。

「ご、ごめん。私確認してなくて」
「否、今さっき思い立ってきたから、連絡入れてない」
「は?なん」
「取り敢えず部屋入れよ。お前の家だろ」
「…あ、うん」

確かにその通りである。家主が玄関で突っ立っているという状況は側から見たら異様でしかないだろう。扉を閉めて鍵をかけ、履きなれたパンプスを脱いで家へと上がった。勝手知ったるとワンルームのその部屋に入り込むその後ろ姿を見つめながら、ジャケットを脱いでハンガーへとかける。明日は休みなので、スーツが汚れないよう、そして皺がつかないよう部屋着に着替えると、端末を操作し確認したが、彼の云うように連絡は入っていなかった。着替える私に背を向けてカーペットの上に座っていた立原の隣に座ると、彼は弄っていた端末の手を止めて画面を閉じた。そして、私の顔をじっと見つめるものだから、どうかしたのかと問う前に、彼は私の頭に手のひらを置いた。

「お疲れ様」
「なに?どうしたの?」
「酷え顔してるから、嫌な事でもあったんだろうなって」
「……そんな顔してる?」
「おう。今迄で最高に不細工」

そこまで云うのは酷いんじゃ無いだろうか。とは思うものの、自分でも少しばかりは自覚があるのだから口をきゅっと結んだ。だって、何か口に出してもきっと目の前の恋人は見た目の割に、否見た目通りなのかも知れないけれど、ど直球で素直だ。そんな人間が云うのだから、さぞ酷い顔をしているのだし、云い訳も否定も出来はしない。
云い淀む私に、立原はいつもみたいに明るく笑って、無遠慮に頭を撫でる。

「大丈夫だって!まだ見れる顔だからよ」
「そう云うんじゃ無いし。…でもありがとう。元気でた」

先程迄の憂鬱な、どんよりとした気分から一転して、今はぱきっと晴れやかで軽い気分になっている。きっとそれは立原なりに気を使ってくれたからだろう。感謝を口にすれば、彼は一瞬目をまん丸に開いたものの、目を細めて微笑んだ。その表情に、どきりと胸が高鳴って、顔がじんわりと熱くなる。普段見せないその顔は、粗暴な見た目からは全く想像は出来ないもので、この手のギャップに私は弱い。分かってやってるのかと思ったが、当の本人は無自覚の様で私はいつも彼のこういう所に振り回されているのだ。

「立原のたらし」
「は?何云ってんだてめえ」
「何でもない!…それより、何か用事だった?連絡もせずに来るなんて」
「あー…」

思い立ってうちに来たと云っていた事を思い出して話題を逸らす為にそのことを聞けば、彼は小さく声を上げてそっぽを向く。はて、何かあったのだろうか。立原顔をじっと見つめて言葉を待っていると、ちらりと横目で私をみて、ぼそりと呟いた。

「最近、あんま会ってないなと思ってよ」
「うん?」
「その…アレ、アレだ。なんつーか」
「ん、ふふふ。アレってなぁに?」

立原の云いたいことは察したが、私が口にするより、立原の口から聞きたくて態とすっとぼけてみれば、彼は私が察したことに気づいて恨めしそうに此方を睨む。しかしその顔に迫力はないし先程とほ真逆で此方としては気分が良い。

「てめえ分かってんだろ」
「え?分かんないよ」
「嘘つくなよ笑ってんぞ」
「気のせいだって。で?立原はなんで来てくれたの?」
「あのなあ………」

心なしか赤くなった顔にほくそ笑みながら知らぬ存ぜぬと貫き通して聞き返せば、立原はそっぽを向いていた顔を此方に向けて近づけた。必然的に視線が交じり、赤みのかかった茶の瞳に私の姿が写り込む。

「仕事忙しいつってたから、会えねえのは仕方ねえけどよ」
「うん」
「その、……さ、」
「うん」
「さ、みし、かった……………訳じゃねえからな」
「うん。ふふふふ。私は寂しかったから今日立原が会いに来てくれて嬉しい」
「……そうかよ」
「うん、ありがとう」

額を合わせてくすくすと笑いながら告げれば、立原は嬉しそうにそして照れてぐりぐりと額を押し付けるものだから、ちょっと痛かったけれどそんな所が可愛いと思ってしまうくらいには、この恋人に入れ込んでいるのだ。
明日は久しぶりの二人で迎える休日だ。遅めの起床、遅めの朝ご飯。二人でだらだらと怠慢に過ごす朝の一頁を脳裏に浮かべながら、薄く開いた彼の唇に自分の唇を重ねた。