入道雲でランデヴー


燦々と、太陽の光が降り注ぐ。
抜けるような碧空が天高く広がり、遠くの、海の彼方に大きな白い入道雲が広がる雲を引き連れて流れていた。こんなにいい天気なのに、全く暑さを感じないのは、きっと自分がいる場所が木陰で、優しい海風が吹いているからだろう。お気に入りの白いワンピースの裾が風に靡いた。


「よう、久し振りだな榊葉」

石畳の上を歩く革靴の音と、聞き慣れた青年の声。
振り向けば、其処には優しい青い目をした彼がいる。洒落た黒い帽子は相も変わらず彼の赤銅色の髪の上に乗っかっていて、先程まで此処に居た何処かの誰かさんが彼の事を「帽子置き場」と云っていた事を思い出して少し笑ってしまったけれど、それを彼に悟られない様に「うん。久し振りにだね」と返した。
彼は私の前に腰を下ろす。

「悪いな、この前来てやれなくて」
「忙しいらしいね。聞いてるよ」
「ったく。芥川の野郎がもうちっと、大人しけりゃ良いんだがな」
「あの子の独断専行は多分治らないんじゃないかなぁ」
「首領も護衛を付けずフラフラ歩き回るし」
「其方を重く見た方が良いと思うのだけれど」

姐さんが、梶井くんが、広津さんが、立原くんが、銀ちゃんが。
中也は色んなことを話してくれる。最近あった出来事、探偵社と組合との戦争の事、ある黒幕の思惑により探偵社と全面抗争になる寸前であった事など、聞いていて飽きないが、忙殺される日々に追われていると思うと、私の所に来てもらうのは少し申し訳なく感じた。けれど、それを彼に云う事は出来ない。誰も来ないのは、やっぱり少し寂しいと思ってしまうからだ。罪悪感に苛まれながらも彼の話を聞いていたが、途中で不意に言葉が途切れる。どうしたのだろう。不思議に思って彼の顔を覗き込もうとしたが、彼は「そうだ、」と白い花束を自身の背後から取り出した。

「あ!トルコキキョウ!」
「丁度、来る途中に見かけてな」
「嬉しい。覚えていてくれたの」
「手前が好きだったのを思い出したんだよ。この白いヤツだったよな」
「そう!だって、」
「「とっても綺麗でしょう?」だったか?」

声が重なって、私は目を見開き彼の顔を見た。彼は苦笑いを零して、「手前の云いそうなこった」と呆れていた。何処かの最年少幹部様の云う事では無いけれど、感性のかけらもないのは分かっていたから同意は求めていなかった故に、驚いてしまった。何方かと云えば、貴方は帽子や外套の様な黒が好みで、私とは全く合わないと常日頃思っていたから、余計にだ。なのに、「私の云いそうなこと」まで云うものだから、つい、少しだけ期待をしてしまった。

「ねえ、中也」
「悪い………俺だ」

私の言葉の続きを遮る様に、彼の端末が鳴る。謝りを入れて中也は鳴り響く端末に出た。短い返答を何度か繰り返し、そして舌打ちをして何個か指示を飛ばし端末に浮かぶ受話器の印を押すと、衣嚢に端末を戻し立ち上がって汚れを軽く払う。私を見下ろす青い瞳は優しい色を湛えているが、私を見てはいなかった。

「じゃあな、また来年来る」
「うん。待ってるね」

じっと、私を通して″それ″を見つめた後、彼は踵を返し石畳を歩いて行く。遠ざかる背中が見えなくなるまで、じっと見つめていた。分かっていた。分かってはいたけど、その事実だけがやはり胸に痛かった。
私は、私の名前が書かれたその石に腰掛け、その前に置かれた白いトルコキキョウを眺める。
貴方がいつか贈ってくれると云った花が、真逆こんな形になろうとは、あの時の私は思いもしないだろう。馬鹿みたいにはしゃいだなぁ、と思い出して俯いた。木陰の隙間から漏れる木漏れ日が、座る石を照らしていた。瞬間、一陣の風が吹く。



中原が駐車場へと戻る道を歩いていくと、前から花束を抱えた男女一組に声を掛けられた。曰く、墓地の入り口を探しているらしい。石畳の先にあると伝えれば、二人は礼を述べる。丈の長い白いワンピースを着た女性と恥ずかしそうにはにかむ男性は、どうやら先日籍を入れたらしくその報告をしにきたと云った。一応目出度い事柄であるから「御目出度う御座います」と一言返し別れ、仲睦まじい二人の背中を見送ると、中原も歩みを進め車へと戻った。
車に乗り込むと、助手席に白い花弁が落ちている。先程、榊葉の墓石に供えた花束に纏められたトルコキキョウと呼ばれる花の花弁だ。花弁が多く重なるように咲くその白い花は、何処か、彼女の気に入っていたワンピースを思い出す。風に揺れ靡くあの白は、彼女にしか似合わない。
白い花弁を手に取り掌に乗せた。

「いつか、俺が贈ってやるって云ったのは、こんな形じゃねェ筈だったんだがなァ」

違う意味で、叶っちまったな。と中原は呟き自嘲気味に笑った。先程の二人組の姿を思い出す。もし自分が、こんな世界に居なければ−−。そう考えるけれども、抑も榊葉と出会えたのは今の組織に入ってからで、たらればで考えたらきりがないと早々に諦めた。
何時の記憶だったか、彼女の屈託のない笑顔が頭を過ぎる。彼女は、今もあの夏で笑えているのだろうか。
車の発電機を掛け駐車場を出た。窓の外には突き抜けるような青い空が広がり、水平線の向こうに入道雲が聳えていた。