朝焼けに映る海の心

※先天女体化
※百合






『間も無く三番線に電車が参ります。黄色線の内側まで下がってお待ち下さい』

ホームに流れる放送に、榊葉は顔を上げた。端末で調べた経路では、次の乗り換えはこの電車に乗って六つ目の駅だ。
自分より頭一つ分低い友人が、榊葉の端末を覗き込む。

「これか?」
「うん。六つ目で乗り換えね」

友人の中原が珍しく上機嫌に鼻歌を歌う。有名な夏の定番曲だ。鼻歌に合わせて歌詞を歌うと、中原は「知ってんじゃねェか」とこれまた機嫌よく挑戦的な笑みで榊葉を見上げた。榊葉は気恥ずかしそうにはにかんで、「これは知ってるよ」と返した。
速度を落としながらホームに電車が滑り込み、完全に停止すると扉が開く。榊葉と中原の並んだ扉から人が出てくることはなく、すんなりと電車内に入れた。冷房の効いた車内は早朝と云う時間もあり人は疎らで席は空いていた。一番近い場所に二人は並んで座る。少しして、扉は閉まり、電車はゆっくりと動き出した。窓の外の風景が流れていくのを見ながら、榊葉は事の初めを思い出した。


『何処か出掛けよう』

最初にそう云ったのは中原だった。端末のメッセージアプリでそう通知が来た時、榊葉は驚いた。彼女がそう云うのは初めての事だったからだ。
榊葉と中原は同じクラスの友人である。髪の色や生活態度があまり良いとは云えない中原と、模範的な優等生である榊葉は何処か馬が合って、一緒にいることが多くなった。三回目の夏休みも終盤に差し掛かり、残った課題を消費するため図書館に行く事が毎度の定番となっていたから提案したが、どうやら別の場所をご所望らしい。芳しい返事は無かった。

『海』

単語だけのメッセージ。どうやら海をご所望らしい。近場の海は最寄りの駅から一本では行けず、何回か乗り換えをしなければならない。調べていると、次の通知で彼女は云う。

『人が多いと面倒臭ェから、始発で』

身勝手極まりないが、しかし、今に始まった事では無いので、榊葉は相変わらずだなあと苦笑して、自分が調べたルートを彼女に提示する。返答は応で、予定を合わせて、二人は早朝に海に行くことになったのだった。

朝日が差し込む電車内は矢張り平時と違って静かだ。乗っている人は昨日終電に乗り遅れた人か、仕事を終えた社会人のみ。
二人の間に、特に会話は無い。端末を弄る事もなく、反対側の窓に映る風景をただ眺めていた。



電車を乗り継ぎバスに乗り込み着いた目的の場所は、海風が優しく吹く海岸だった。まだ朝早いこともあって人気はなく、波も穏やかである。防波堤に出来た遊歩道を二人は歩く。途中に、砂浜に降りるための階段を見つけ、中原は我先にと走っていく。

「待ってよ!」
「さっさとしろ!」

全くもう。呆れながらも、中原の後を追いかけて榊葉も砂浜に降りる。サンダルからでも分かる砂の感触に、海に来たんだと、改めて感じて気分が高揚した。
中原は持っていた荷物を砂浜の上に投げ出して、波打ち際で既に海の水を楽しんでおり、榊葉はそんな中原の様子に、安堵の溜息を吐いたのだった。彼女がこんなこと云うのは初めての事だから、榊葉は緊張していたのだ。
中々来ない榊葉を中原は呼ぶ。

「榊葉!」
「分かってるって。今行くよ」

サンダルを脱いで、中原の置いた荷物の横に自分の荷物を置くと、榊葉も中原の元へ駆けた。
誰もいない砂浜に、昇ったばかりの日が二つの影を作る。波を足で蹴り、互いに掛け合うその影は楽しげに揺れて、笑い合う。
暫く二人はそうして遊んでいたが、釣りから戻って来た大人に咎められ、波から引き上げ防波堤に腰掛け足を乾かしていた。ぼんやりと、二人で水平線を眺めていたが、中原が声を上げた。

「なァ」
「ん?」
「手前、大学組だよな」
「そうだよ。中原ちゃんは就職だっけ。こんな風に遊べなくなっちゃうね」
「……そうだな」
「お休み合わせて行けるといいな」
「……おう」
「どうしたの?」

首を傾げて中原の方へ榊葉が振り向くと、彼女はずっと榊葉の方を向いていた。蒼い双眼が榊葉を射抜く。朝日に照らされるその顔は真剣そのもので、榊葉はどきりと胸が鳴った。少し前から、中原は榊葉を見つめている事が多くなった。一緒に弁当を食べている時、課題をしている時、移動している最中など、今日も、電車の中でじっと榊葉を見ていた。本人は気づいているのかいないのか、榊葉は分からなかったけれど、それを口にするのは何処か気が引けて云うことが出来ないでいた。毎度その度、自分の胸がどきどきと鼓動を早めている事も云わなくてはいけない気がして、それを中原に知られたくなくて、云う事が出来なかったのだ。
暫く、二人は見つめ合っていた。最初に目線を外したのは榊葉だ。えっと、と口籠もりながら、朝日の方へと視線を戻したのだ。中原も、一度目を伏せた後、榊葉と同じ様に朝日に目線を戻した。

「また、来年も来ような」
「……うん。一緒に来ようね」
「免許取るから、車で来ようぜ」
「中原ちゃん運転荒そう」
「抜かせ。超安全運転だっつの」
「どうかなぁ」

榊葉が笑うと、つられて中原も笑った。
ぽつり、ぽつりと人が多くなっていく。時刻は既に九時を優に過ぎたところで、家族連れや友人グループなどこれから海水浴を楽しむ人たちがバスから出てくるのが見えた。足の水気は既に乾いた。帰るか。と中原が呟く。そうだね。榊葉は答える。サンダルの砂をはらい防波堤に立った中原は、榊葉に手を差し出す。掴まれと云う事らしい。云われるが儘に中原の手を取り榊葉は腰を上げた。「ありがとう」そう云って手を離そうとするが、中原はそれを許さず、逆に力を込めた。

「中原ちゃん?」
「良いだろ、繋いだ儘で」

そっぽを向いた顔は見れなかったけれど、彼女の耳がほんのり赤い事に榊葉は気づいて、自分も顔が赤くなるのを感じた。暫くの間は繋がれた儘でいたが、意を決して、榊葉はするりと手を解く。中原は驚き解かれた手がピクリと固まった。しかし、解かれた手が合わさる様に指の間に指を通され、絡まる繋ぎ方に変わる。ハッとして、中原が榊葉を見上げる。

「私はこっちが良いんだけど、駄目?」

はにかむ、恥ずかし気な笑顔で、榊葉は中原に問うた。頬を赤く染めて云う彼女に、中原は指の力を強めてしっかりと、離さない様に結んだ。緩む頬は返答の代わりだ。

「飯食いに行くぞ!海の家くらいやってんだろ」
「焼きそば食べたいね」
「あー、かき氷もあっかな」
「ふふふ、なんか夏っぽいね」
「ばァか何云ってんだ。夏真っ盛りだろ?」
「確かに!」

二人の笑い声が防波堤の遊歩道に響く。
しっかりと繋がれた手と手には、拙い恋と淡い青春が詰まっている。人の多い場所が近くなっても、それが解かれる気配は無く、二人の少女の影は決して離れることはなかった。