黎明の海


忍や。私の名前を呼ぶ声がする。艶のある高い声は私の上司その人で、報告書を書く手を止め顔を上げると、事務室の扉に居るその人と目線が合う。すると、その人は目を細めて私を手招いた。招かれるままに、私は椅子を降りてその人の元へ向かう。

「はい、紅葉様」
「先程首領から聞いたぞ忍。また成果を上げたらしいのう。ようやった」
「現場仕事は得意です!…でも報告書とか書類は苦手で」
「よいよい、これから学び慣れれば良いのじゃ」
「はい。精進します」
「さて、お主に一つ頼みたい事がある」

優しく私の頭を撫でていた手が離れ、紅葉様の後ろから一人の少年が現れた。多分、私よりも年上な気がする。海みたいな青い瞳がとても綺麗だと思った。

「新しく入った坊主じゃ。お主が一番年が近かろうから、仲良うしてやっておくれ」
「初めまして!明野忍です。よろしくお願いします」
「…中原中也だ。よろしくな」

手を差し出すと、名前と共に手を握られる。ちゃんと返してくれるあたり悪い人ではなさそうだ。
ちょっと前まで何もなかった私の隣に事務机があるから一体どうしたんだろうとは思ったが、新しい人が入って来たのか。
この事務室は紅葉様直麾部隊の人が報告書だとか書類整理の為に設けられている一室だから、彼もその一人ということになる。私以外は皆大人ばかりだから、年上だろうと年の近い人がいるのは少し嬉しい。

「会合の時刻までまだ時間がある故、私は部屋で仕事を片付けねばならん。忍や、坊主の相手をしてやってくれんかのう」
「はぁい!」
「お主は真、元気が良いのう」
「唯一の取り柄なので!」

無い胸を張ってみたが無いものはなかった。紅葉様はまた私の頭を撫でてから自身の執務室へ繋がる扉を潜っていった。事務室の扉は人の出入りが多くなるので、取り敢えず私の机、そして彼の新しい机へと案内した。

「もう少し雑な扱いかと思ったが、そうでもねェんだな」
「うーん。紅葉様は割と部下思いの人だから、よっぽどのことが無い限りはそれなりに扱ってくれますよ」
「そうか」
「うん。ところで申し訳ないんですが報告書が終わるまで待って頂いても良いですか……」
「おう」

中原さんから許可を頂いたので、私は早速ペンを片手に机に向かった。途中まで書きかけであった場所からペンを走らせるものの、流石私、語彙力とか構成力とかなさ過ぎてすぐに躓いた。*ーん゛と唸る私に中原さんが報告書を覗き込んでくる。

「手前文章力無さ過ぎだろ…」
「う゛ぇーーん…」

半ベソをかく私に、そして私の文章力に引くのは大変分かる。私自身でも引いてる。もうちょっとマシな文章が書けると思っていた時期もあったけどそんなものは夢のまた夢だった。急募文章力。もし生まれ変われるなら言語が必要ない生物を所望する。それくらい無理。出来ないのだ。
中原さんは私の報告書を取ると、少し眺めた後ペンを所望された。すかさず私は手に持っていたペンを渡す。私のきったない字を追いかけながら時折何かを書き込むこと数分。ほら、と報告書とペンを戻された。

「もう一回それで書き直せば良い。素人の校正だがまだマシだろ」
「ありがとうございます……」
「そんな頭下げることじゃ、否、手前はそうか…」
「このご恩は忘れません…」
「それよか手前その文章力どうにかしろよ。よく今まで出来てたなそれで」
「だって今までこう言うものとは無縁でしたもん」

新しい紙を取り出し、中原さんの校正が入った前の報告書を見ながら書き直す。ものの十数分で報告書は完成し、出来たものを先輩に見せ、判子を貰って紅葉様に提出した。褒めて頂いたので事のあらましを話すと、紅葉様は後で坊主も褒めてやらねばな、と言っていた。そしてご褒美に饅頭を二つ貰った。中原さんと一緒に食べていろと言うことらしい。とても嬉しくなりながら給湯室でお茶を作って机に戻ると、中原さんが暇そうに待っていた。申し訳ねえ。

「紅葉様から饅頭を頂きましたよ!」
「良かったな」
「中原さんのもありますよ!食べましょ!」
「手前が食べてェだけじゃねェか」
「だってお腹空きましたもん」
「正直か」

私の机とは違い綺麗な中原さんの机にお茶と饅頭を置いて、早速頂く。自然な甘さのこし餡が口に広がり、任務と報告書の疲れを癒す。堪りませんわ…。ぺろりと平らげると、中原さんはお茶を啜りながら不思議そうな顔で私を見た。

「手前いくつだ?」
「十三です。中原さんは私より上ですよね」
「嗚呼、十五だ。二つ下か」
「わあ、お兄さんだー」
「…なんでマフィアなんぞやってんだ」

真面目な質問に、私はんー、と悩みながら茶を啜った。

「前は違う組織に居たんですけど、すんごい偶然で此方にお世話になることになって。やっていたことは前と変わらないのでいいかなって」
「そうか」

微妙にはぐらかして話したことが伝わったのか、中原さんはそれ以上聞いてこなかった。

「あと、その″中原さん″はやめろ。呼ばれ慣れてねぇ」
「えぇー。じゃあ中也さん?」
「…まあいいか」
「私のことは適当に呼んでください」
「忍」
「はい中也さん」

よろしくお願いします。と頭を下げると、彼はさっきもやっただろ、と笑った。海みたいな瞳が細まる。私もつられて笑っていると、紅葉様が執務室からおいでになった。どうやらこれから会合があるらしく、その会合に中也さんは連れて行かれるようだ。私は私で次の任務がある。先輩に呼ばれて私たちはそこで別れた。まだ真新しい外套を羽織り、先輩の元へ駆け寄る。これが一番最初にはじめて中也さんに会った時の話。