六一日目



とある異能者の死によって所有者不明となった裏金を巡り、関東一円の組織という組織が我先にと手を伸ばし大規模な抗争と成った『龍頭抗争』。勿論私の所属するポートマフィアも例に漏れずこの抗争に参加していた。
血を血で洗う抗争が激化の一途を辿り、六一日目を終えようとしている今、ある人からの連絡により私はその場所へと向かっていた。

昔よく使った抜け道を辿り訪れたのはなんの変哲もない宝石店。しかしそこは私の記憶にある場所とは打って変わり、荒れ果てた惨状と化していた。
この宝石店は、かつて私が所属した『GSS−ゲルハルト ・セキユリテヰ・サアビス』の謂わば金庫である。資金洗浄を兼ねた保管庫であるこの場所は、かつてまだ所属していた頃に護衛として訪れたことがある。「いつか、忍嬢がその日を迎えられたら、いっとう美しい金剛石をご用意致しましょう」そう微笑んだ老年の男性はもう記憶の中にしか存在しない。何故なら、もう既に事切れてその場所に横たわっていたからだ。見知った顔はまだある。天井に引っかかっている武闘派幹部は、私がまだ組織にいた頃に上司から庇ってくれた人であった。誰が、どうやって。噎せ返る鉄の匂いが意識を霞ませ、頭痛が酷くなっていった。
不意に何処からか音がする。二人の男の話し声と靴の音。声の鮮明さや音の感覚から、此方に向かっているようだ。私は腰袋から釘を取り出し掌に忍ばせる。
廊下に現れたのは赤い髪の長身の男。その顔に私は覚えがあった。

「織田さん?」
「明野、なんでお前が」

驚いた顔をするその人は、太宰さん経由で知り合った構成員の一人だ。驚く織田さんに近づくと、私は経緯を話した。

「今来たところです。監視からの報告があったから急いで向かってくれと太宰さんから連絡がありまして」
「そうか。……しかしこれは」
「壁際で死んでいるのは有名な殺し屋。廊下で千切れているのは大戦で活躍したという熟練の傭兵。天井に引っかかっているのはGSSの武闘派幹部。他にも名前を挙げたらきりが無いですよ。皆、戦闘系の異能を持った方々ばかりです」
「嗚呼。恐らく彼らは宝石を守る番人だろう。そして強盗に殺された。だが一体誰が、これほど強力な異能者たちを」
「そんなに驚くほどでもないだろう」

知らない声だ。現れたのは長い白髪に赤い目の男。その男が現れた瞬間、不協和音の様な違和感が心の奥底からまるで霧のように胸に広がった。言葉にできない、云い様のないそれに私は臆して、一歩後退して織田さんの服の裾を掴んだ。織田さんは私のその様子に不思議に思いながらも、何か問うこともなくその男に何故と問う。

「今は大規模抗争の真っ最中。今この瞬間にも、外では人がばたばたと死んでいる。異能者の死体なんて、異能者そのものよりありふれていると思うが」
「あんた、ヨコハマは初めてか?」
「嗚呼。何故?」
「この街を知っていれば、この殺しが『ありえない』と判るからだ。
彼らGSSは、今回の抗争には絶対不干渉を貫いている。彼らの金庫を襲う奴は、眠れる獅子の口に頭を突っ込む間抜けだ」

織田さんの言う通り。GSSの現総帥は冷徹な異能者で知られている。今回の抗争の目玉である所有者不明の裏金五千億円は確かに魅力的ではあるものの、多額の負債を被ってまで取る必要はないと、あの方なら考えるだろう。だから今回の抗争に絶対不干渉を宣言し、自衛でのみ動いていた。勿論、それは周知されており、織田さんの例え通り、眠れる獅子の口に態々頭を突っ込む輩などいない、筈だった。

「では、これは間抜けの犯行ということだね。…面白い」

白い男はくつくつと笑った。真意の読めない赤い目と意味深な言葉が胸に引っかかった。
何故と問おうとした時、織田さんが「そうか、これは『奴』が殺したのか」と呟いた。どうやら、思い当たる人物がいるようだ。

「奴、とは?」

私は織田さんを見上げる。織田さんは知らないのか。と私に聞いた。その人物の話を、どうやら共通の知人である太宰さんから聞いたらしい。

「数日前に突然現れた、一人の異能者の話だ。そいつは抗争をしている『すべての組織』を攻撃するそうだ。見境なくな。まさに狂戦士だ。呼び名は確か…」
「確か『白麒麟』だな。その姿を見て、生きているものはいないとか。目撃者が生きていないなら、誰がどうやって名をつけたのだろうな?」

白い男は織田さんの話に繋がるように云った。その話を聞けば、確か紅葉様や中也さんがその様な話をしていた気がする。きりん、と聞いて首の長い方の動物を想像して、白いキリンって珍しいなぁ。と思った事が記憶に新しい。その思考は中也さんに見事当てられて訂正された。動物ではなく、空想上の生き物の方だと教えられて、紛らわしい名前を付けたもんだ。と太宰さんに云ったら、大笑いされたのは今朝だった気がする。

「どんな奴なんだ。やはり首が長いのだろうか」
「うむ。……うむ?」
「多分そのキリンじゃないですよ織田さん」
「そうか。間違えた」

自分を棚に上げて云っているが、私も間違えた一人であるからして、やはり間違いは正しく直し拡散するべきだと思うので、一応突っ込みは入れたが、果たして織田さんに対する突っ込みはこれで良いのだろうか。真剣な話の延長線上で真顔で言うものだから、ある意味織田さんも真意が読めない人の一人である。
白い男は織田さんと私のことを見ていたが、目を細め微笑むとくるりと踵を返した。

「宝石強盗犯がその『白麒麟』だとすれば、鑑識ごときの出る幕ではなさそうだ。失礼するよ」
「俺はもう少し調べる。白麒麟の正体ともかく、その目的くらいは知りたい」
「お手伝いします」

太宰さんが私を此処に呼んだというのは、私が此処のことをよく知るが故だ。GSSの隠し金庫や非常用の装備まで、所属する人間しか知らないことは山ほどある。元であっても多少は目星が付くので、それで私を此処に使いに出したのだ。織田さんはそんなことは知らないだろうが、快諾してくれたのでもしかしたら、太宰さんから多少なりとも事情を話されているのかもしれない。
白い男は硝子の破片を踏み割りながら外へと歩くが、途中でぴたりと歩くのをやめ、思い出したかの様に口を開く。

「…ああ、そうだ。助言をひとつ」
「助言?」
「『白麒麟』が強盗をした目的は明白だ」

何故その様に言い切れるのか、疑問を口に出す前にその人はゆるりと此方を見た。そう、私の方を。

「退屈だったからだよ。美しい宝石を見れば、心が動くと思ったんだ」

嗚呼その眼だ。先程まで和らいでいた心がまた締め付けられる様に苦しくなった。これは一体何なのだろう。
言い様のないその圧力に気圧されて、その赤い瞳から、否その男自体から、目を離せなかった。
男は次に、織田さんの方へと視線を変えた。

「気が変わった。君とはまた会いたくなったよ。
生きていれば、また会おう」

男は笑みを深めた後、宝石店から出ていった。
程なくして、よく知った顔が駆け込んできた。黒い外套を羽織り、片目に包帯を巻いたその人は、私たちがよく知る人物だ。

「織田作、忍ちゃん。無事か?」
「太宰か。…こんなところで何をしてる?」
「監視報告があったんだ。今さっき、長髪の男がこの店を出ていったろう?」
「ああ、少し話した」
「よく生きてられたね。……その男が『白麒麟』だ。この抗争そのものを乗っ取ろうとしている悪魔だよ」
「…やはりそうか」

「忍ちゃん?」
「明野、どうした」

二人の声にはっと我に帰った。
呆然と店の外を眺める私を不審に思って、二人は私に声をかけたのだ。何かあったか、気分が優れないのか、と聞く二人に、何故かあの漠然とした違和感を悟られたくなくて、適当に返した。もしかしたら、二人はそんな私の思案など分かっていたかも知れないけれど、あえて根掘り葉掘りと聞くことはなく、私は織田さんの手伝いをする為に頭と手を動かした。