六X日目



抗争が始まり二ヶ月が経った。
各地で上がる抗争に昼夜構わず東奔西走する中、珍しく全くと言って血の匂いの無い仕事が舞い込んだ。渡されたものを、その場所にいる人物に渡しその後焼却処理する事。仕事を告げられ一緒に渡された嚢の中には、先程まで一緒に仕事をしていた、今は亡き仲間の身分証や銃器が入っていた。成程、足が付くものの処分と云うことか。そう云った物を運ぶのに、私のような、未成年の子どもと云うのは利用しやすい。私は云われた通りに嚢を鞄に詰め、返り血で赤く染まった襟衣を着替えて指定された場所へと向かった。

電車とバスを乗り継ぎやって来たのは、湾岸沿いに在る小さな会計事務所であった。日の暮れる黄昏時とあって、帰路につく大人の出入りが多く、また会計事務所の前と云う事もあってか横目で視線を向ける人がいるものの、それはすれ違い様の一瞬の事であった。
意を決して事務所内に入り目的の人物−−坂口安吾の名を告げると、管理人であろう老いた男性はぱちくりと目を瞬かせた後、にこやかに笑ってその場所へと案内をしてくれた。
隠し部屋であろうその場所は、書斎の様な保管庫であった。壁一面の棚は勿論のこと机や絨毯の敷かれた床にも資料のファイルや書籍が所狭しと置かれている。その部屋の奥にある執務机にその人物が居た。万年筆を走らせ書き留める作業の隙間で、私の存在に気づいたその人は訝しげな視線を投げる。その視線にはっと自分の要件を思い出し、私は自分の所属と要件を告げた。

「尾崎紅葉幹部直麾部隊の明野忍と申します。同士の身分証、銃器等所持品をお持ちしました」
「嗚呼、貴女が。嚢を此方へ置いて下がっていて下さい」

云われるが儘に、私は示された机の上に鞄から出した嚢を置くと出入り口近くへと下がった。彼は嚢から一つずつ物品を取り出し事前の写真と交互に注意深く見ると帳簿に書き留めていく。その様子をじっと見つめていた。


暫くその様子を眺めていたのだが、ただ立っているのは性に合わない。周りを眺めたり、棚の書籍や資料の背表紙の頭文字を並べて遊んでいたがすぐに飽きてしまった。未だに坂口さんの記帳は終わらない。次は何をして遊ぼうかと、何か面白いものがないかと今度は注意深く探したが、何にもない。きょろきょろと周りを見渡す私が煩わしく思えたのか、坂口さんは一度視線を此方に向けた。視線が交じりじろりと睨まれたのでこれ以上何かするのはやめようと部屋の隅に膝を抱えて座っていると、何やら扉の向こうが騒がしい声がする。それはどうやら坂口さんの耳にも聞こえたようで、彼はため息を吐いて耳を塞いだ。なんで?
瞬間、大変大きな音を立てて扉が開かれる。入室したのは私もよく知る人物で、何故こんな所にいるのか不思議であった。

「あーんご!捗ってるぅ?」
「貴方が来なければ捗る予定でしたよ。来客があるので後にして下さい」
「来客?……あれっ忍ちゃん何してるの?」
「太宰さんこそ何してんですかってうわぁきもちわるっ」
「酷い!」
「明野も居るのか」
「あ、織田さんお久しぶりですどうしたんですかそれ大丈夫ですか」
「私と扱い違い過ぎでしょ」

血と汚泥と油に塗れた二人は太宰さんと織田さんであった。織田さんは私の言葉に「大したことはない」と云うが、ちょっと見た感じ大丈夫そうではないです。太宰さんは置いておいて。
織田さんの手には私が持ってきた嚢と同じようなものが握られている。つまり、また何処かで死体が上がったのだろう。二人はその死体処理をしていたようである。織田さんは嚢を私が置いたものの隣に置いた。

「今日の分だ」
「分かりました。あと下がって下さい」
「ねー安吾こっちの人生録呼んで良い?」
「やめて下さい触らないで下さい。彼女のように大人しくしてて頂けませんか」

話の内容を聞く限り、このお三方はどうやらお知り合いの様である。私は坂口さんとは今日が初めましてだし、織田さんのことは知っているものの、あまり親しく話したことがないので、黙って聞いていたのだが、坂口さんの言葉に太宰さんと織田さんは部屋の隅で膝を抱えて座る私を見る。急に視線を向けられ肩が跳ねた。

「安吾ってばそう云う趣味なの?いたいけな少女を部屋の隅に座らせて」
「なっ!」
「しかも絨毯が敷いてあるとは云え床に体育座りって」
「ち、違います!そう云う訳では、」
「可哀想にねぇ忍ちゃん。怖かったねぇ」

おーよしよし、とまるで犬猫を可愛がるように私の肩を抱き頭を撫でるが、正直臭いの所為で真顔である。嗅ぎ慣れた臭いだとは思ったが流石にこの近距離は鼻が折れそうだ。やだしんどい……。強張った顔の表情で伝わったのか、坂口さんは哀れみの目で私を見ていた。

「太宰君。彼女の表情が死んでます。その位にしてあげて下さい」
「忍ちゃん本当に鉄仮面だよねぇ。私に抱きつかれて嬉しくないの?」
「いやだ……」
「泣きそうな顔も可愛いね」
「いやだぁ………」

「太宰……」
「太宰君……」

お二人の視線がよほど痛かったのか、何時もならこれで終わらない絡みも珍しく切り上げられ、「冗談だよ冗談。意地悪してごめんね」なんて全く気持ちの篭っていない形だけの謝罪をもらった。嬉しくない。

私から坂口さんに標的を変えた太宰さんは矢継ぎ早に、と云うか一方的に坂口さんに語りかけていた。それでも適当な返事をしつつ記帳をする坂口さんの手際は手慣れており、多分、こう云ったことは初めてではないのだと知る。哀れ坂口さん。今度は私が坂口さんに哀れみの視線を送った。
そんな視界の中で、太宰さんの隣にいた織田さんがちらりと私の方を見ると手招いた。不思議に思って手招かれるが儘に織田さんの方へ行くと、彼は上着の内側にある衣嚢から色取り取りの飴玉を取り出し私の掌へ落とした。

「商店街で貰ってな。明野にやろう」
「有り難う御座います!頂きます!」

「織田作はすーぐ忍ちゃんに餌付けするんだからいけないよ」
「おや、太宰君。拗ねてるんですか」
「だって!忍ちゃんの接し方の違いを見たでしょ!」
「君が構い過ぎるのがいけないのだと思いますよ」
「忍ちゃん可愛いのだもの。素直だし従順だし阿呆だし」
「最後のは……流石に………」
「馬鹿な子ほど可愛いって奴なんだろうねぇ」

なんだか隣から人の事を悪く云ってる様な単語が聞こえてがまぁ気にしない。気にしたら負けだ。何に負けるのかは分からないけど。太宰さんが私の事をそう云うのは今に始まった事ではないのだ。
一丁の拳銃が机の上に置かれ、写真が一つに纏められる。私の持ってきた嚢の分の記帳が終わったらしく、坂口さんは丁寧にそれらを嚢の中に納めると私に手渡した。

「終わりました。指定された処理場へ持っていってください」
「有り難う御座います」

自分の持ってきた鞄の中にその嚢を突っ込んで準備をしていると、太宰さんが私を呼んだ。

「忍ちゃんこれから如何するの?」
「えっと、処理場に行った後ですか?」
「そう。任務入ってる?」
「今日はこれで終わりです。突然の任務が入らなければ、ですけど」

ふぅん、成程ね。そう呟いた太宰さんの顔に冷や汗が垂れる。これはあれだ。何か閃いた顔だ。そして企んだ顔だ。何かまた巻き込まれる様な気がして、足早にそそくさと退出しようとするが、逃げきる事は叶わず襟元を引っ張られ蛙が潰れた様な声が口から出た。

「私達もね、安吾の記帳が終われば今日の仕事は終わるだよ」
「へ、へぇそうなんですか」
「織田作とも話しててねぇ。ちょっと早いけど何時も私達がよく行く酒場に行こうと思ってるんだけど」
「それは、良いですねぇ。お三方で、」
「忍ちゃんも行こうよ」

絶句。満面の笑みを讃える太宰さんの顔に言葉が出ない。見つめること数十分。否、多分数分とか数十秒だったのかもしれない。多分この人の云っていることは決定事項であるからして、未成年だとか倫理観を出しても論破されるし予定をこじつけても言い包められるし単純に嫌だと云ってみても「なんで?」の嵐が降るに違いない。やっと出てきた言葉は諦観だった。

「おさけのめませんけどいいんですか」
「うふふ、いいんだよ」

蛇に睨ませた蛙は潔く飲まれた方が良い。
坂口さんの哀れな視線とため息が忘れられない。多分この人同じ様な目に遭ってる気がする。
鞄を下ろし太宰さんに首元を掴まれたまま、私は元いた織田さんの隣へと戻ったのだった。