七X日目



抗争が始まり二ヶ月半、抗争に参加する各組織のビルや建物が爆破され、又太宰治が消息を絶ち数日が過ぎた。
未だに各地での抗争は激化しているが、前と違うのは各組織の潰し合いからある一つの組織に標的が絞られた事であった。
件の『白麒麟』率いる組織である。居場所、目的、異能全てが謎に包まれたこの組織と『白麒麟』に翻弄され、ヨコハマの黒社会は疲弊し始めていた。
その黒社会に身を置く明野は例に漏れず多忙な毎日を過ごしていた。上司である尾崎紅葉の命だけでなく、首領森鴎外直々の命により幾度なく現場へと出動している。彼女の異能−−空間転移は利便性の高い異能である。彼女の領域内であれば複数の敵を殲滅し、かつ隠密の暗殺にも活用できる異能だ。この抗争に於いて彼女の功績は大きく最下構成員から幹部に至るまで名前が知られ始めていた。
しかし、彼女とてまだ十四の少女である。任務に赴く度、日を追う毎にこの黒社会同様疲弊していた。



「明野は仮眠室にいます。ここ最近根詰めていた様で、帰って来てそのまま机に突っ伏したので仮眠室にぶち込みました」

そう云って目の前の元先輩は視線を文書を作成するパソコンの画面へと戻した。
数時間後に明野との任務を控えていた中原は、打ち合わせの為に尾崎紅葉直麾部隊の事務室を訪れていた。打ち合わせと云っても、事前の資料は互いの手元にあるので相互確認だけである。時刻は昼中で、別の任務で外に出ていた中原は昼飯ついでに打ち合わせをと考えて明野を連れ出そうとしたのだった。
抗争に於ける明野の功績は幹部候補である中原の耳にも届いていた。幹部候補に名を挙げるのも近いだろうとされているが、中原の知る明野は地位や名声になど興味の無い様に見えるので、恐らく周りの人間がそう持ち上げているだけだろう、と推測している。しかし、抗争開始からの任務の量は異常であると云わざるを得ない。特にここ数日、太宰治が行方を眩ませてからの任務の数は夥しい。上司の尾崎紅葉の任務に加え、首領直々の任務も多くこなしているらしい。首領である森鴎外本人から聞いたのだから間違いはないだろう。何故そこまで執拗に任務を受けているのか、疑問に思っていたものの口には出せないでいたのは、幾度見かけた彼女が自然に明るく振る舞うもので、唯他意なく仕事故に受けていると返ってきそうで、聞くに聞けないでいたからだ。
しかし、根詰めていたと聞けば他意がないとは言い切れない。寝る間も惜しんで任務に就く程、明野はポートマフィアに心酔し尽力するような人柄では無かったはずだ。明野は存外、自己中心的な人間である。上司や組織に従順では有るものの、自分以外、特に組織に然したる興味や執着がない、そう云った性質だ。一年だが同じ部隊に居たが故に知り得る彼女の性質で、組織にとってある種の危険性を持つそれが、そう簡単に変わることはまず無いだろう。何が彼女をそこまで動かすのか、中原は唯単純に知りたかった。
機会には恵まれた。昼中であるこの時間に仮眠室を使う人間はそういないので、話をするには丁度良いだろう。
中原はパソコンに向き直った先輩に礼を言った後、事務室を後にし、明野の居る仮眠室へと向かった。


仮眠室はやはり、明野しかいない様であった。薄暗い室内に並べられた寝台で、唯一閉じられた仕切りのカーテンは一番奥の隅だ。静かに扉を閉め足音を殺し近づき、ゆっくりとカーテンを少しだけ開ければ、目的の人物はそこにいた。
かの先輩曰くぶち込んだとはまさにその通りだった。仕事着のまま、掛け布団用に置かれた毛布さえも掛けぬままに彼女は寝台に横たわっていた。ころころと色々な表情を湛える瞳も今は瞼で覆い閉じられうっすらと隈が出来、薄く開いた唇は光沢はなく切れているのか血が滲んでいる様であった。深く眠る様子は起きている時の快活さが微塵も感じられず、此の儘眠りから覚まさないのでは無いかと思える程に身動ぎ一つもしない。辛うじて寝息で上下する肩に安堵を覚えるが、何故こうなるまでに至ったのか、やはり中原は気掛かりになる。中原にとって、目の前の少女は仲間であり、とりわけ自分を慕う可愛い妹分だ。それは恐らく、認めたくは無いが自分と同じ、未だ消息不明の幹部候補も同じだろうが。
叩き起こして問い質そうかと思ったが、この様子を見ては流石にそれは憚られた。任務までまだ時間はある。中原は明野の足元に畳まれた薄い生地の毛布を広げ彼女の身体に掛けた。大人には少し小さい毛布だが、彼女の身体をすっぽりと覆い隠すので大きく思えた。否、彼女の身体が小さく思えたのだ。自分より少し高い背であるのに、彼女の身体はその年齢相応に小さく、幼く見えた。
横髪を払おうと手を伸ばした瞬間、端末の音が鳴り響く。自分の端末かと中原は思い視線を衣嚢に移したが、振動が無い為眠る彼女の物だと知る。視線を彼女に戻すと既に彼女は身を起こし端末に出ていた。

「はい、明野です………はい」

寝起きとは思えぬはっきりとした声だ。
数回の返答の後、彼女は了解しました。と端末を切った。そしてぼやけた目で中原を見上げたものの、輪郭を得たのか目に焦点が合い、驚いた顔、というより焦ったような顔をした。

「え!?やっべもう時間でした!?」
「違ェよ。まだ経ってねェ」

よかったぁ。と安堵のため息を吐き笑う彼女に、先程眠っていた時のような影はない。寝台の頭部分にある柵に凭れ膝を立て座った明野は、掛けられた毛布を見て首を傾げた。

「もしかして、中也さんが掛けて下さいました?」
「……否、俺じゃねェ」
「先輩が掛けてくれたのか……?でもあの人やらなさそう…」
「仮眠に来てた奴が流石に見兼ねて掛けてったんじゃねェか?」
「うわぁそれは申し訳ねぇ」

有り難う御座います、私の知らない誰かさん。と、明野は手を合わせて誰かに礼を述べていた。何故自分だと云わなかったのか、自身でも不思議に思いながら、中原は寝台の縁に座った。ところで、と明野は口を開く。

「中也さんも仮眠を取るところでした?私退きましょうか」
「…そうだな。良し、手前もっと其方行け」
「否退きますから退きますから」

明野の言葉を無視して、靴を脱いで寝台へと中原は上がる。着ていた上着を足元へと放り投げると帽子を寝台の頭に置かれた机に置いて横になった。明野は寝台から下りようとするが、寝台は壁に隙間なく付けられているので、中原の居る方からしか下りられない。つまり、明野を下ろす気の無い中原を超えて行かなくてはいけない訳で、そんな事は出来るはずもなく彼女は暫く唸って縮こまっていた。それを中原が許す筈もなく、彼女を睨み見上げる。

「おら、さっさと手前も寝ろ」
「否っ、私一眠りしたのでそろそろお暇させて」
「あ゛?」
「なんでこの人すぐ怒るん…」
「幹部候補様の命令だ」
「しょっけんらんよう、とかいう奴だ」
「なんとでも云え」

緩々と緩慢な動作で横になる明野に、中原はさっさとしろと明野の腰に腕を回し引っ張る。彼女の身体は思ったよりも勢いよく倒れ、寝台の縁に頭の後頭部を当て鈍い音がした。両手で患部を抑え悶える彼女にさっさとしない手前が悪いと云いつつも、鈍い音が割と大きいかった事とこれ以上頭が隙間だらけの阿呆になる事に少し悪いと思って抱き竦めた後に後頭部を撫でた。最初は強張っていた明野の身体は次第にゆっくりと解け規則正しい寝息が聞こえる。
端末のアラームを任務の一時間前程に設定して、腕の中の緩い暖かさに中原は思惑する。当初の目的は達成する所か触れる事さえ出来なかった。それは眠りを妨げる事に罪悪感が湧いたのもそうだが、聞く事に対して何処か後ろめたさを感じたから。何故そう思ったのか、漠然とした、ぼんやりとした不安感は一体何なのか。中原はそれに明確な言葉を当てはめる事が出来なかった。
ごちゃごちゃと考える事は得意ではない。胸の内に溜まるそれを押し込む様に、目を閉じる。腕の中の規則正しい呼吸音と人肌の温度に誘われ、思考は緩やかに闇の中へと落ちていった。