永久に続く熱

十二月三十一日。一年の最後の日。
中也さんの仕事に年末も年始も関係ない様で、夕方頃に帰られたものの、明日は昼からご出勤らしい。本当は私だけでも実家に帰って来いとは云っていたが、中也さんを一人にするのも気が引けて、両親には断りの電話を入れて今年はマンションで中也さんと年越しだ。

「…本当にいいのか?戻らなくて」

ぷしゅっ、と麦酒のプルタブが開く音と共に、中也さんはそう云う。
付いているテレビからはこれから始まるであろう毎年お馴染みの歌番組がカウントダウンを始めているところだった。今日は何時も食事をする洋卓ではなく、居間にある足の低い洋卓で食事をする事になり、真ん中に置いてある鍋敷きの上にぐつぐつと煮えた鍋を置くと、中也さんの問いに苦笑して、断りの電話を入れた時に母が云った台詞を思い出した。


「『中也くんがいないなら帰ってこなくても良い』って云われちゃいましたから」
「……お袋さんか?」
「父もです。暇な時に二人でおいで、だそうで」
「申し訳ねェな」
「良いんですよ。あ、始まりますね」

カウントダウンが零になる。今年人気を集めた女優と人気アイドルグループの一人、そして古参の芸人の三人が明るい声で番組の開始を告げ、私がエプロンを外して中也さんの隣に座れば、中也さんは鍋の蓋を開けた。今日は魚と野菜の寄せ鍋だ。ワインも良いが、今日は麦酒の気分らしく、それに合ったつまみで、寒いこの時期ならではの鍋にした。残れば明日の朝シメをすれば良い。
おたまで少しずつ掬いながら、ちまちまと食べて出演している俳優だとか女優の話、歌手の歌を聴きながら、中也さんと並んでゆったりと迎えれる年越しの方が、実は実家に帰るよりも有意義だと、私は思ってしまう。

「あ?この女優朝ドラか」
「二つ前の大河もやってましたよね」

「やべェ………コイツら見分けがつかねェ…………」
「う、最近のアイドル分かんない…………」

「あっ、建くんいる」
「そーだな」

ちびちびとガラスのコップに注いだ麦酒を飲みながら鍋の具を摘んでいれば、時間はゆるやかに、しかし確実に過ぎていく。歌手の歴史を振り返るコーナーを見て、嗚呼そんな事もあったなあと、あの時はまだ学生でとか、自分自身の事も振り返っていると、ふと、視線が気になって、隣の中也さんへ首を振れば、優しい微笑みが、細まる暖かな青と視線が合う。

「いいな、こういうのも」
「…そうですか?」
「だらだらしながら、こうやってゆっくり年越すのも悪かねェ」
「なら、よかったです」

去年はまだ交際中で、私は実家に帰省して年を越した。流石に一年後に籍を入れて夫婦になってこの人と年を越すとは、あの時は全く考えていなかったし夢にも思わなかった。一年前の自分はきっと、今の状況を見たら驚くのだろうなと、頭の片隅で考えていると、中也さんの腕が、私の肩を抱く。触れる場所が、視線が熱くて、けれどその熱は私を安心させてくれる暖かな熱だ。
目の前のテレビの内容などもう頭の中に入らず、寄せられる唇に応えながら、中也さんに凭れる。

「ふふ、擽ったい、ですよ」
「ンだよ。嫌か」
「……もう、そうやってすぐ意地悪云うんですから」
「苛め甲斐があンだよ。手前は」
「酷い」
「悪かったって。ほら、もう年明けるぞ」

一足早く鐘を鳴らすお寺の映像が、テレビに流れている。寺の参拝に来た人たちで賑わう境内が映し出され、ここに来てやっと、今年ももう終わるのだと実感した。
色々あった一年だった。この人と籍を入れて、同じ苗字を貰って、交際していた時よりも、もっとこの人の事を知りたくなって、そして決意をして、一度離れてしまう事もあったけど、でも、並んで歩ける様になって、そして今がある。これからも、ある。それが何より嬉しくて、何よりも喜ばしい。肩を抱くその手に自分の手を重ねた。大きく力強くて、頼り甲斐があって、私を安心させてくれる手。けれど何かに怯える様に、或いは戸惑う様に、恐れる様に、この手は冷たく凍える事があると知ってしまった。私は繋ぐ事しか出来ないけれど、熱を与える事ができるのなら、いくらでも、根こそぎ奪われても構わないと思うのだ。

「中也さん、」
「ん?どうした」
「私、今とても、しあわせ」

貴方と共に居られるこの場所が、いっとうに、暖かくて、気持ちよくて、もうこの場所さえあればと思える程に。
まん丸に見開かれた青はその後ゆっくりと細くなって海の様に水をたたえた。

「嗚呼、俺もだよ」

重なった唇は酷く熱く感じた。麦酒のアルコールによるものなのか、それとも違うものなのか。区別はつかない。けれど、そんなものどうだってよかった。この熱をくれるのがこの人ならば。私の熱を奪うのがこの人ならば。

付けっ放しのテレビからは新年の挨拶が聞こえる。もう年が明けた様だ。新しい年を祝うありきたりな言葉が流れる中、私の視界には明るい赤茶と青い双眼しか入らない。頬を撫でる手の甲は壊れものでも扱う様に優しく、私も同じ様に指先で輪郭をなぞれば、くつくつと喉の奥から低い笑い声が聞こえた。つられる様に、私も笑みが溢れる。

「来年は、ちゃんと帰してやる。それまでに一人くらいこさえとくか」
「えっ」
「そうすりゃ、″向こう″も喜ぶだろ」

名案だと云う中也さんにぴしりと体が固まった。その瞳は本気の様で、見下ろす青は瞬きの間に熱が篭っている。正に蛇に睨まれた蛙とはこの事だろう。逃げる事など出来ない。……本音を云えば逃げる気など毛頭無いのだけれど。しかしそれを云うのも、態度に出すのも良いのか悪いのか分からないので、心に留めておくとして、いつの間にか手を掛けられた服と耳を食む唇に身体は簡単に反応する。

「ぁ、」
「秘め始めってのは二日らしいが、まあそんなの誤差だろ誤差。つぅ事だ」

きっちり、やる事はやろうな。
中也さんの出勤が午後である事を恨んだ日は、この時が最初で最後だった。
結局空が白む時間まで付き合って、初詣は行ける筈がなく年始は寝台の中で過ごして終わったのだった。