光る星に導かれ

中也さんのお仕事は不定期だ。出社する時刻も退社する時刻も日によって違う。特に休みについては決まっておらず、全くと云う程無い月もあれば、大きな仕事が終わった後にはまとめて貰っている様で、互いに時間の合わない事の方が多い。それは行事ごとにしても同じである。
深夜近くにお仕事から戻られた中也さんは深く溜息を吐いて「悪ィ」と申し訳なさそうに眉を下げた。鞄と背広を受け取った私は、一体何の事を謝られているのか心当たりが無く首を傾げる。

「えと、何がでしょう…?」
「二十五日、休み取れなかったわ」

嗚呼、成程。合点がいった。結婚して最初の降誕祭で、何処か外食でも行こうかと先週話していたが、残念ながら、中也さんはお休みが取れなかったようである。十二月の、年の最後の月が忙しくない訳がないのだから、仕方のない事だろう。

「気にしないでください。今年は私が腕によりを掛けますね」
「…おう。楽しみにしてる」

申し訳なさそうな表情の中也さんにそう笑いかければ、その人は少し表情を和らげて、頬に手を伸ばして唇を寄せた。いつもなら一回で終わるのに、今日は何度も、小さく音を鳴らしながら寄せられるものだから、声を上げようとするものの、開いた唇に中也さんの唇が重なる。

「んぅ、んッ、は、ぁ」
「はぁッ、あー…。涼子、」
「…何でしょう」
「飯も風呂も後でいいか」

意味を察したが、きっと否と答えても私を云い包めるだろうし、抑々その表情は止める心算なんてないだろう。一瞬迷ったものの、視線を外して答えれば、腰を抱かれ再度唇に深く口づけられ、それに応える様に私は中也さんの背中に腕を回した。





二十五日、その日の朝を迎えた。中也さんは朝早くからお仕事へと向かわれ、私は昼少し前から出勤である。毎年、この日は季節限定のメニューが人気で、デート中の恋人や夫婦が多く訪れる為、店はとても混む。私もそれを見越した特別勤務で、退勤時間は夕方でも、店の混雑状況ではそれは叶わない。その為、今日の夜メニューは出勤する前に仕込む必要があった。メインは帰ってきたら焼くだけに済む様下ごしらえを、味付けやソースは既に混ぜ合わせて置き、スープは既に作り、後は帰った時に煮込むだけに準備をして、すべてを終わらせる頃には良い時間に、出勤する時刻となっていた。
準備は万端。後は帰る時間にケーキを取りに行くのみ。仕事着に着替えて出勤し、一年で一番忙しい今日を乗り切るために気合を入れた。

一番忙しいのは昼間である。その時刻に出勤すれば店内はてんやわんや。大忙しである。店内の席はすべて埋まり、その何倍もの持ち帰りのお客様が列をなしていた。男性店員は店の外までも続く列の整理に駆り出され、厨房は勿論注文カウンターも店員で詰められていた。あっという間に時間は過ぎるが、人の波は引く気配はなく、まだまだお客は入ってくる。例年通りなら、六時を回った時点で客数は減るのだが、今年は如何も減る様子が無く、気が付けば終業時間が迫っている程であった。やっと客足が減り始めたのは九時に迫ろうという夜中である。学生など若い女性店員は既に帰らせているので、店員は真島君のような社員と後は私などのパートタイマ―の女性、そしてクリスマスに予定が無く咽び泣く大学生のフリーターくんだけだ。
ひと段落してほっと息を吐くと、真島君に肩を叩かれる。

「お疲れ様です。こんな遅くまですみません島崎さん」
「ううん。今年は例年と違って忙しかったね」
「何でも、港の方でイルミネーションがあったらしくて、それを見に来る人が多かったみたいです。…港の方って遠いから、眼中になかったなぁ」
「嗚呼、それで。来年もあるならまた考えないといけないわね」
「本当に、勉強不足で申し訳ない…」
「ふふふ、そんな気負わなくてもいいのよ。私も出られるんだから」
「うぅぅ。島崎さんに頼りっぱなしは…。って話してる場合じゃないですね。退勤してください退勤。旦那さんに俺今度こそ殺されちゃう」
「…真島君、中也さんの事如何思ってるの?」

カラン、と扉に付いた鐘が鳴る。嗚呼お客が見えた。振り向こうとすると、真島君に肩を押されて奥の部屋へ促され、彼は注文口へとついた。お言葉に甘えて、奥の、スタッフルームへと入り、着替えを済ませて荷物を取った。途中、まだ勤務中の従業員に声を掛けて店の裏口へ出ると、見知った黒い影が車の前で煙草を吹かしていた。驚いて傍に駆け寄ると、その人は青を細めて笑う。

「お疲れさん」
「中也さん…!え、何時から」
「安心しろよ、そんなに時間は経ってねェ。先刻店に行ったら、丁度真島の奴が涼子を帰したって云ってたからよ、裏に車回して一服してた」
「お仕事でお疲れなのに…すみません」
「気にすんなよ。ほら、」

助手席の扉を開けて、顎で中を示される。差される儘に助手席へと乗り込めば、中也さんは扉を閉めて、運転席へと周り、車に乗り込んだ。エンジンが掛かれば、車内はすぐに暖かくなる。止帯を留めて、アクセルを踏めばゆっくりと車は動き出す。

「お仕事、早く終わられたんですね」
「嗚呼。休みはやれねェけど、ってな。昼間に部下が“珈琲店がめちゃくちゃ混んでて吃驚した”つっててよ。もしやと思って寄ったが、当たったな」
「向こうの港の方でイルミネーションをしてるらしくて、今年は例年より多かったです。割と距離があるから全然知らなくて」

苦笑して今日の仕事の話をしていると、信号で車が止まる。ふと、中也さんが考えるような仕草で、自身の顎を抓んだ。そして私を横目で見て口角を上げる。如何したのだろうか。

「行くか。それ見に」
「え?」
「イルミネーションなんてそんな早く終わらねェだろ」

そう云うと、ウィンカーを出して家とは違う方向へと車を進めていく。私自体、横濱に住んでいるけれど港の方はあまり行った事は無く、楽しみではあるが、良いのだろうか。

「あの、お疲れでは」
「あ?見たくねェのか?」
「そ、そう云う訳では!その、楽しみ、です」
「そう云りゃいいんだよ」

喉奥でくつくつと笑う中也さんに、どきどきと胸が高鳴って、顔が熱くなった。多分、夜の暗闇の中でも分かるくらいに。何故なら、中也さんの笑い声が暫く止むことが無かったから。それがまた恥ずかしくて、顔を両手で覆うと、態とらしく「どうした?」なんて聞くものだから、語気を強めて「なんでもないですっ」と答えれば、詫びれもなく謝罪の言葉を返された。徐々に車は大通りから狭い小道へと入っていく。

「もう、中也さんの意地悪」
「悪かったって。拗ねんな拗ねんな。ほら、着いたぞ」

着いたのは、港より少し離れた公園だった。車から降りれば、冷たい潮風が頬を撫で髪が靡く。港の方に向けて遊歩道が続いており、整備された道の足元には仄かな暖色の明かりが灯されている。
 中也さんに導かれる様に、出された手を取り遊歩道へと歩き出す。

「すごい、こんな所在るんですね」
「日中しか人はいねェみたいだがな。前仕事で近くに来た時、見つけた」
「そうなんですね…。あまり港の方は来ないので、新鮮です」
「今度は昼間にするか。近くに美味い伊の店があるから、昼飯がてら」
「ふふふ、楽しみです」

話していれば、直ぐに港へと着いた。様々な色の電飾に彩られた船や木々、広場だろう開いた場所にはツリーが飾られている。遅い時間という事もあってか人の姿はまばらで、その様子を楽しむ事は出来た。

「綺麗」
「派手にやってんなァ…」
「向こうの方見ても良いですか?
「おう」

船の方に近づいて行けば、その大きさと電飾の明かりがよく分かる。柄にもなく気分が高揚して、感嘆を漏らしながら眺めていると、「涼子、」と中也さんが私を呼んだ。そう云えば、いつの間にか握られていた手は離れて、その人は私の後方に居た。
なんでしょう。振り向くと思ったよりも近くにその顔があり、唇に柔らかな熱の感触がした。
最初は触れるだけ、その後もう一度確かめる様に押し当てられる熱に応える形で手を握れば、それは指を絡める繋ぎ方に代わり、ゆっくりと唇を離された。視線が青と交わる。

「外、は、恥ずかしいです…」
「いーんだよ。どうせ他も同じことしてんだから」
「そう云う問題ではなく…!」
「はー、本当可愛いな手前。顔真っ赤」
「だ、誰の所為だと、」

きゅっと手の力を強めると、中也さんは楽しそうに喉奥で笑って、また顔を近づける。ほんの僅かで唇が触れる手前まで。

「俺だな。なあもう一回」
「…一回で終わります?」
「此処ではな」
「じゃあ、」

僅かなその距離を詰めて唇に押し当てる。私が動くとは、中也さんも予期していなかったのだろう、驚いて青い眼がまん丸に開かれていた。唇を離すと、小さく音が鳴って恥ずかしくなって視線を外した。

「中也さんからは、家で沢山して、欲しい、です」
「…手前、そんな事云いやがるか」

底から唸る様にしかし嬉し気に云う中也さんに視線を戻せば、手を引かれ元来た道を戻り始める。偶には私が此の人を振り回したい事だってあるのだ。してやったりと、声を出して笑っていれば、その人は忌々し気に私を睨んで「覚えてろよ」と一言唸った。
冷蔵庫の今日の夕飯はきっと明日の朝か、昼になるだろうな。それと、中也さんの贈答品を渡すのも明日になりそうだ。それでもよかった。別に日に拘る必要はなく、此の人と共に在れる日が、私にとって、すべて特別な日なのだから。