拝啓、明日を担う君達へ

※『時間は残酷だ』『時間の使い方は、』の夢ちゃんが(なんとなく)出ます。



その部屋は、組織の中でも限られた人間しか入る事の出来ない特別な場所だ。
毛足の長い上質な絨毯に、美しい曲線を描く調度品の数々、そして何より目を引くのが、横濱を一望できる全面硝子張りの窓である。陽の光が差し込むその部屋に、部屋の主人であり、組織の頂点に立つ人物が、初めてお会いした当時と変わらない真意の読めぬ柔和な笑みで私を見つめていた。そしてその傍には、黒い背広の包帯を巻いた少年と黒い帽子を被った少年の二人がいた。流石の私も知っている。太宰治と中原中也だ。

「間瀬です。ご用件は」
「待ってたよ、間瀬ちゃん。実はね…」

全く困ったものだ、と云う様に大袈裟に溜息を吐き眉を下ろす首領の話を聞く。曰く、彼らの補佐をしていた人間が次々と辞退を申し出たと言う。つまり、どうやら私は期待の二人組の、所謂お世話役として指名されたらしい。

「間瀬ちゃんに賭けるしか、もうなくてねえ」
「はあ……」

それは一体どういう意味なのか。問おうにも
組織に属する人間ならば、誰もが知っている暗黙の掟がある。上の人間の命令に逆らわない事。つまり、頂点に君臨する目の前の人物に“頼まれた”のなら、抑も拒否権というものは存在しないという事だ。

「宜しくしてあげてね」

そう云う首領の顔は 疲労困憊であった。




鬼才とも恐れられる頭脳を持つ太宰治と、強靭な肉体で前線に出る中原中也の二人組が有名なのは、実力よりもその仲の悪さである。主に中原が太宰の被害に遭っている様だが、しかし、彼らはやったらやり返しを繰り返していて中原は太宰の一方的な被害者ではないのだと、お目付役という世話役を任されて数ヶ月後に分かった。

「ちょっと聞いてよ間瀬さん!」
「あ゛っ、手前ェ!」
「はいはいどうかされましたか?」

執務室にて書類の整理をしていれば、二人はあーだ、こーだ、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら部屋に入ってくる。
また始まったかと、溜息を吐いてパソコンのディスプレイから視線を外し、太宰治の方を向けば、なんとまあ、鼻から血がぼたぼた流れ、彼の首からは頑丈そうな紐が垂れていた。しかも輪になった状態で。そしてなんか生臭い。

「ビルの最上階から首吊り自殺をしようとしたらこの蛞蝓に邪魔された!しかもご丁寧に紐を切って落ちてきたところを鳩尾を馬鹿力で蹴られて死に損なったんだよ!お陰で昼に食べた鯖定食全部戻したし顔から壁に激突して鼻が折れた!」
「けっ、青鯖野郎にはお似合いだろ」
「ははあ。取り敢えず鼻血止めましょうね」

近くにあった備えてあるティッシュの箱を持って応接用のソファを指差せば、彼は素直に云う事を聞いて大人しく座る。そして箱を差し出せばそこから何枚か遠慮なく抜き取って鼻を押さえた。下を向くように指示して、換えの服があるか確認すると同時に、扉の前でそっぽを向いて立っているもう片方の肩を叩く。

「やり過ぎないで下さいね。死なれると困るので」
「…うるせェクソアマ」

可愛くないのは此方である。ああ云えばこう云う。あまり口が達者では無いものの人の事を舐め腐ってるのは変わらず、我が強いのなんのって。
恐らく、この二人組の補佐を辞退する人間が多い理由として挙げられるのは、太宰治の自殺癖を止めて仕事をさせる事と、中原中也の我の強さだろう。人の話を聞きやしない二人組に体力を存分に削られてしまうのだ。仕事が出来る優秀な人材であるのは確かだが、性格に難があり過ぎて一日と経たず辞退を申し出る人はさぞ多い事なのだろう。
太宰治に関しては、割と人の話を聞くが聞いた上でのらりくらりとかわされてしまい、さっさと趣味とも云える自殺検証の方へと向いてしまう。しかしどうも、運が良いのか悪いのか、ほっといても死にはしないと分かったので最近は放置するようにした。
そして此方の小生意気な米粒どチビにもそれなりの対策はしてあり、流石の私もここまで来ると堪忍袋の尾が切れる。ジャケットのポケットから端末を弄り、ある番号を選択する。

「ほー?そう云う口の聞き方をすると?ほーーん?」
「何だよ」
「いやぁ?何処ぞの誰がそんな口の聞き方を教えとるんだと、ね?」
「はっ、姐さんなら今出張だぜ。残念だったな」

確かに、彼を部隊に組んでいる尾崎幹部は現在他方へ出張中で席を外している。それを彼は知っているから、普段はそこそこ大人しい癖にこう云う時だけ人の事を舐め腐った云い方をするのだろう。
しかし、私の電話の目的は彼の人ではない。
ぽちり、と番号を押して耳に当てれば、彼は訝しげな表情で片眉を上げた。対する私は満面の笑みだ。
数コールの後、よく知った声がする。

「尾崎幹部はお手隙で?……嗚呼、出張で」
「だから云ったろ。姐さんはいねえって」
「なら補佐の方はいらっしゃる?」
「……あ゛?」
「ええ、確か名前は、」

尾崎幹部の補佐をしている、私と同い年の女性の名前を出せば、みるみるうちに中原中也の顔色が変わる。待て、何で彼の人の事。と先ほどの余裕は何処へやら、血相を変えて焦り出すその表情ににっこりと形の良い笑みを深めて微笑めば、彼は舌打ちをして電話を取ろうと身を乗り出す。しかしそれが分からない訳がなく、そして私も一応中堅という立場にあるので、身を翻してそれを避ければ、彼の身体は簡単に床に転がり、そしてその瞬間、保留中だった内線が繋がった。

「嗚呼どうも、間瀬です。ええ、尾崎幹部は出張と聞きまして、」
「おい待てやめろ」
「いえ、少し聞きたい事があったのですが…」
「待て待て待て待て待て」

「はい」
「は、えっ」

私の顔と手渡した端末とを交互に見るその顔は困惑している。その顔に近づいてひっそりと耳打ちした。

「私太宰さんの処置があるんで、貴方が適当に云っておいて下さい」
「は!?」
「じゃ」
「おい待っ、」

彼の名前を呼ぶ落ち着いた女性の声に、彼は叫ぶ声を止めて端末に耳を当てる。その様子をちらりと横目で見てほくそ笑んだ。わたわたと焦りながらなんやかんやと考えて理由を探す様は先程の様子とは百八十度打って変わって見ものである。強い異能と頭一つ飛び抜けた戦闘能力を持っているとしても、その中身は少年なのだ。しかも、幾分も年上の女性に思慕中。これ程面白い物などないだろう。
替えの服を持ってソファへと向かえば、私と同じように意地の悪い笑みを浮かべた太宰治がいた。

「間瀬さんって性格悪いよね」
「貴方程では。替えの服をお持ちしましたから、浴室へどうぞ」
「間瀬さんも一緒に入ろ?」
「絶対嫌です」

年相応とも云えるあどけない顔で上目遣いをする太宰治に断固拒否と掌を見せれば、彼は「云うと思った」と頬を崩して笑い、鼻を押さえていたティッシュを離す。其処に鮮やかな赤は無く、ぽいっとゴミ箱へと放ると、用意した替えの服を手に備え付けてある簡易の浴室の扉を開けた。そして、くるりとこちらを振り向く。

「次の任務は?」
「三時間後に。地下駐車場に車を手配してあります」
「そ。任務が終わったら間瀬さんのご飯が食べたいなあ」
「……用意しましょう」
「うふふ、何が出るか、楽しみにしてるね」

上機嫌に鼻歌を歌って消える影に、溜息を吐く。ちらりと横目でみれば、中原中也は端末の向こうの人物に、心なしか喜色を浮かべて話しているものだから、此方でもまた溜息が出た。しかしそんな彼等に頬が緩む。

十六という齢は全くの子供とは云い難いが、大人というには早すぎる、微妙な齢だとつくづく思う。彼等にはこれから数多の道を選び、決意し、時には捨てて、歩んでいくのだろう。その姿をこうして間近に見る事が出来るのなら、これ程些細な我儘位叶えてやろうと思える程には、私も絆されてきている。明日を担う彼等の為に、私は今やるべき事を処理しよう。
この後のスケジュールを組みながら、私は任務後に彼等の望む食事の献立を頭の中に並べる。そしていつか、彼らが取り仕切るだろうこの組織の事を思い描いた。


あとがき なつめさんへ