牧場見学
街中で小さな噂が広がっていた。
隣の国へ嫁いだ娘から便りが届かなくなったという。何でも悪政を強いているとか、治安が悪いとか、はたまた恐ろしいモンスターがはびこっているとか。
テラスから見下ろす街並みに耳を澄ませ、その女性、first name・last nameは静かに執事を呼んだ。
「ここに、控えております」
風に溶けるような呼び声にもかかわらず、影のように男は現れた。
質の良い燕尾服を着こなし、金色の瞳が主を見据える。奇妙なことに、燕尾服の下からは狼のような尾が伸びていた。
「良くない噂が聞こえてくるわ」
「存じております」
「ちょっと様子を見てきてもらえるかしら?」
紅の瞳が男に向き直り、彼女は口角を上げた。
御意に、と頭を下げた男の身体が音を立て変化する。全身が一回り大きくなったかと思えば、黒い毛並みが体を覆い、みるみる間に狼へと変容する。
「いってらっしゃい、ジン」
ジンと呼ばれた狼は、テラスから駆け出した。
目にもとまらぬ人外の速さが風を生む。その風に煽られた髪を抑えると、彼女は満足そうに部屋へと入っていった。
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デミウルゴスの牧場からは、今日も絶え間ない悲鳴が響いていた。
泣こうが喚こうが結末は同じだというのに、スクロール作成部屋に連れてきた羊は毎度毎度デミウルゴスを喜ばせる悲鳴を上げるのだ。
配下の悪魔が皮をはぎ、治癒魔法をかける様を愉快そうに眺めていたデミウルゴスの元へ、一体の悪魔が駆け寄ってきた。
「何事かね?」
「デミウルゴス様!申しわけございませんっ、檻に入れていた羊の数が先ほど点検した際に減っておりましてっ」
「なに?ちゃんと確認したんだろうね」
詳しい話を聞きながら、デミウルゴスは件の檻へと足を運んだ。
直前の出入りは無し、昨日点検時には確かに数が合っていた、そして摘み食いをするような愚かなシモベも存在しない。
「ここか…。檻にはちゃんと鍵が掛かっていたんだろうね?」
「はいっ、それは勿論」
「《逃げ出した羊について話せ》」
檻の中で震える羊に支配の呪文を唱えた。
小さく嗚咽を漏らしながら、一人の羊が声を出す。
「し、しらない男の人が…っ、連れていきました」
「なに?どういうことだ」
「わ、分かりませんっ!急に檻の中に現れて…っ、ヘルセレム出身の者はいないかと、名乗り出た子をつれて消えてしまいましたっ」
デミウルゴスに鋭くにらまれ、少女は隠れるように俯いた。
自分が羊を捉えた土地の中にヘルセレムなどという地名は無かったように記憶しているが、とデミウルゴスは思案を巡らせた。いずれにせよ、脱走は外部の者によるものだと判明した。至高なるアインズからあたえられた任務に水をさす愚か者は早めに始末せねばならない。
「結構だ」
「デミウルゴス様、いかが致しましょう」
「ここまで来るのに兵の一人や二人とは接触しているはずだ。現状からみてどこかで倒れていることだろう、早急に探し出せ」
「はっ!」
「シャドウデーモン」
報告してきた部下に指示を出すと、デミウルゴスは自らの影に人む悪魔を呼び出した。
「ヘルセレムなる地を探索しろ」
影が音を立てて消えた。
デミウルゴスはさらに思考を巡らせる。一体何のためにこの施設に侵入したのか。敵の強さはいかほどか。
何よりも、ナザリックに仇なす者であれば全力でうち滅ぼさなければいけない。
デミウルゴスが施設にいながら賊の侵入を赦し、あまつさえこの施設の内情を知る羊を逃がしてしまった失態をどのように釈明すべきか、デミウルゴスは苛立ちに一つ舌打ちを打った。
「不愉快極まりない」
「それは大変失礼いたしました」
「!!」
直ぐ近くで聞こえた声にデミウルゴスはバッと振り返った。
慇懃無礼な態度で一礼をする執事姿の男は、音もなくデミウルゴスの背後を取りそこにいた。
「…何者だ」
「申し遅れました、ジンと申します」
「何の目的でこの施設に侵入した」
「主から様子を見てくるようにと申しつけられました故…また主様のご所有される領民が捕えられておりましたので、誠に勝手ながら回収させていただきました」
悪びれる様子もなく告げたジンと名乗る男に、デミウルゴスは焦りを覚えていた。
まさか自分以外にも100レベルの個体がいるとは想定外であった。その上、行動を見る限り彼は攻撃特化型のアサシンのようだ。デミウルゴスの勝算は薄い。
「…主、とやらが誰かは知らないが…この施設知る人間を外に出した罪は償ってもらおうか。ジュデッカの凍結!」
「よそ様の庭で失礼をするわけにはいかないのですが…」
動きを封鎖されたにもかかわらず余裕の表情であるジンを尻目に、デミウルゴスはメッセージのスクロールを使用した。
少し力を入れたような動作をすると、ジンを拘束していた呪文が薄いガラスのように弾けた。
「ちっ…アルベド、聞こえますか?侵入者と交戦しているのですが、至急応援をください。相手も推定100レベルです」
メッセージの向こうでアルベドの動揺した声が聞こえた。頼みましたよ、と一声かけると一方的にメッセージを切る。
鋭くとがらせた爪が眼前に迫っていた。寸前のところで避けようとするも、頬がザックリと切れ血が流れ出る。
「応援を呼ばれるのは少々困ります。貴方一人でしたら何もなかったことにして帰還する予定でしたが…」
「そうはいかないよ…君のような危険人物を放っておくわけにはいかないからね」
「足止めですか。死なない程度に加減するのは得意ではないのですよね…」
「悪魔の諸相、鋭利な断爪」
引き裂きにかかられた爪を、自身の爪で辛うじて受ける。押し負けて壁に吹っ飛ばされるも体制を発てなおし反撃する。
地獄の炎を呼び辺りを焦がすが、いまいち効果があるようには見られない。
とにかく今は援護が来るまでの足止めに専念せねば。
防御のために構えなおした時、またしても光のごとき速さで、ジンはデミウルゴスの目の前に現れた。
「ぐっ」
「爪だけが武器ではありませんよ」
「なっ、…ぐあっ!」
鋭利な牙がデミウルゴスの肩に食らいついた。
骨の軋む嫌な音が聞こえる。何とかジンの腹部を殴り距離を取ったが、右手は当分使い物にならないだろう。
「あ、不味いですね。加勢が来てしまいましたか」
「デミウルゴス、待たせたな」
「ア、アインズ様!?」
最早ここまでかと覚悟を決めつつあったデミウルゴスの耳に、至高の存在の声が聞こえた。アルベドが油断なくその前に立ちはだかり、ジンを見返す。
ジンはと言うと、流石に分が悪いと思ったのか攻めてくる様子はない。
「ナザリックでゆっくり治療するといい。さて、侵入者よ。貴様の目的を聞こう」
「ただ良くない噂を気にした主の命により、様子見に来ただけですよ。対立するつもりはございません」
「ほう、その割には私の部下が随分深手を負っているじゃあないか」
「こちらとて死にたくはありませんので。ですが、命までは奪わぬよう、精一杯加減をしたのですよ」
アルベドの斧を持つ手に力が入る。
ここでようやく、ジンの顔に陰りが生まれた。
「貴方、我が領土にシャドウデーモンを送りましたね?」
「……それがどうかしたかい」
「気に病んだ主がこちらにいらっしゃるではありませんか。何のために俺が派遣されたのやら…」
忌々しくそう呟くと、ジンは懐から一つのポーションを取り出した。何の説明もなくそれがデミウルゴスに投げつけられる。
反射的に受け取ってしまったポーションは、どう見ても回復系の物である。意図が読めず伺っているデミウルゴスに、ジンは苛立ち交じりに口を開いた。
「他人の庭で失礼をしては、俺が怒られてしまいます。さあ、早くその腕を治してください」
「ついさっき噛み千切ろうとした者から貰った薬を素直に飲めると思っているのかい」
「面倒なお人ですね」
ジンが手を叩くと、辺りに蔓延していた炎がぴたりと消えた。そして黒い空間の切れ目が生まれる。
そこからは、見る者の目を奪う女性が姿を現した。
「あれ……、first nameさん?」
「骨…、って、モモンガくん?」
臨戦態勢が維持される中、支配者からは程遠い気の抜けた声が2人から発せられた。
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