彼の仕事

拠点としているアパートの一室で、先日購入したカメラを分解する。パーツを組み換え、録音機を組み込み動作を確認した。明日行われる軍の凱旋で、協力者と情報を交換する手筈は整った。
その他の持ち物もそろえ、結城は一つため息をついた。
諜報活動は順調、だが肝心の日独情勢は順調とは言い難い。加えて的外れなことに彼をやっかむ連中にも気をつけなくてはいけない。

「先が思いやられるな・・・」

ソファーに寝転がり、そのままタバコに火をつけた。
白い煙がユラユラと上っては消えていった。
表向きは記者として働いているが、結城の本来の身分は日本の帝国陸軍所属の中尉であった。

「(そういえば、今日は朝から何も食べていなかったな)」

ぼぅっとタバコを吹かせていた結城は、思い出したように空腹を覚えた。
基本的に何時でも部屋を後にできるよう、買い置きの類はしていない。
しばらく逡巡し、タバコの火を消すと結城は立ち上がり、部屋を後にした。

__________

昼下がりの人が疎らな喫茶店で、結城は今日初めての食事をとった。
学生らしい若者や、暇を持て余したご婦人がテラス席に座っている。
目立たない死角となった席で気配をコントロールしているが、できれば早く立ち去らなくてはいけないな、と食後のコーヒーを取りながら結城は頭の片隅で考えた。
空腹は満たせた。時間は17時過ぎ。辺りを散歩したら適当に家に部屋に戻ろう。
そう結論付け、結城は立ち上がった。

「Danke(ありがとう)」
「Bitte(また来てください)」

代金を払い短く挨拶し、店を後にした。
途中テラスに座っている女学生が視界に入るが、皆どうにも一様に感じられる。

「(そういえば、あの仔はずいぶん大人びていたな)」

そこまで考えてはっとする。
あのパン屋の娘とここにたむろする女学生に何のつながりがあると言うんだ。
どうにも今日は特段に疲れているらしい。

__________

店を出てからは適当に公園を散歩し、露店で売っている新聞に目を通したりして気づけば18時頃となっていた。
そろそろ部屋に戻るかと立ち上がったところで、部屋には明日の朝口にするものが何もなかったことに気付いた。
明日は記者として軍の凱旋につきっきりとなる。まあ、実際重要なのはその中で協力者と情報交換をすることなのだが。

「(いつもの店に行くか)」

新聞を適当なゴミ箱に入れる。
足取りは当然のように、件のパン屋へと向かっていた。

__________

店先ですれ違ったご婦人に軽く会釈をすると、結城は音もなく店内に入った。
カウンターでは椅子に座っているであろう、いつもの彼女がぼぅっとしていた。
どうやら疲れているようで、俺には気づいていないようだ。

「(あえて声をかけるほどじゃないし、そのうち気づくだろう)」

何食わぬ顔で数点明日の食料を見繕いレジへと向かった。
レジに落ちた俺の影に気付いたのか、慌てたように彼女は立ち上がった。
その様子がおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。

「休憩中悪いね」
「え、ああ!すみません!」
「いや、謝らなくていいよ。いつもお疲れさま」

つい「お疲れさま」と口をついていた。
俺の観察眼からすれば彼女がつかれていることなど明白だが、些か不自然だっただろうか。
俺の心配をよそに、特段気にした様子もなく彼女は会計を告げた。

「お会計が4.5マルクです」
「はい、いつも通り残りは取っておいていいよ」
「いつもありがとうございます」
「はは、気にしなくていいよ。君、学生だろう?こんなに働いて偉い君へのささやかな応援さ」

安心する反面、少し面白くなくてつい、口が勝手に言葉を発していた。
彼女が一瞬驚いたような表情をする。
今日の俺はいったいどうしたんだ、らしくない。余計なことを言って印象に残れば後々面倒になる、そう思っていたのは他でもない自分なはずだ。
急に冷静になり、彼女が何か言葉を発する前に軽く手を上げて店を後にした。
慌てたように「ありがとうございました」と彼女の声が聞こえた。

「(そういえば、何故俺はあのパン屋の常連になっているんだ)」

疑問に対してチラつくのは先ほどの彼女の顔。
非合理だ。だが、気分は悪くない。
考え事をしていたら部屋までの道はあっという間だった。侵入者がいないことを確認し、ドアを開ける。
パンを袋のままテーブルに置くと、ベッドに横になった。
今日は何やら考えさせられる一日だった。日中の作業による集中のせいか眠気が結城の身体を侵食する。
そのまま結城は眠りについた。

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