奇襲にあった月曜日
コツ、コツ、と疲れた足音が夜道に響いている。
終電に何とか間に合いすっかり静かになった人気のない夜道を私は帰路についていた。
H歴が始まり、女性が優遇される世の中になったとはいえ、全員がその恩恵にあやかっているわけでは当然なくい。私は日曜にもかかわらず休日出勤をこなしようやく家へ帰ることが叶っている。
「(はぁ…また休日出勤、しかもこんな時間…。今週もシンドイ一週間になりそうだなぁ…)」
溜息を突きながら足早に道を進む。
家に近づくにつれ繁華街からは離れ、人気がなくなってくる。毎日のことながら少し怖い。
最近はここ、アカバネで恐ろしいラップチームができたらしく、数日前もこのあたりを縄張りにしていたチームが病院送りになったと噂で聞いた。
ヒプノシスマイクどころかラップもろくにできない私など、会えば即死に間違いない。
嫌な想像を振り払おうとさらに足を早めた、その時、ようやく私は後ろから迫る足音に気が付いた。
「お姉さん、そんなに慌ててどこ行くの」
グラリとゆがむ視界。地面。あれ、私、倒れてるの?
息苦しさに助けを求めるように必死にその声の方へ視線を上げる。
赤い髪と、手にはヒプノシスマイク。ああ、私、襲われたんだ。ゆがむ視界の中、どうか生きていられますようにと祈りながら私は意識を手放した。
__________
「……、ったよ……、て、…言って…」
「…脳なし……、どう……ったく……」
遠くで男の人の声が聞こえた。恐る恐る目を開く。知らない天井と布団。
試しに指を動かしてみる。大丈夫、麻酔なんかをされているわけではなさそうだ。
少しでも状況を把握して、すきをついてここを出なければ。
「あー!だから!俺が悪かったっていってんだろ!」
「いいや、貴様は何もわかっていない。だからこんな不注意が起こせるんだ」
「やっちまったもンは仕方ねえだろ!」
「狐久里。今回は俺も蛇穴と同意見だよ。ターゲットの写真もあってどうして人違いなんてしたんだ」
「うっ…それは…、すんません」
「ちゃんと反省するように。…さて、蛇穴。あの子はどうする?」
「そうですねぇ……」
グルリと勢いよく金髪の、蛇穴と呼ばれた男がこちらを向いた。
鋭い瞳と急に目が合い、呼吸が止まる。男は蛇のような目をニッコリと笑わせ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「眠ったままならどこかに捨ててくればいいかと思ったけど…。俺たちの顔、見ちゃったんだね?悪い子だ」
獲物を追い詰めるようにゆっくりと、言い含めるように、男はそう言う。
喉からはヒュウと恐怖から息が漏れる。
カタカタと震える私をあざ笑うように男は私の頬に手を添えた。
「泣いているのかい?可哀そうに。俺が恐ろしい?」
恐怖から溜まった涙を男の親指がぬぐう。
その指が、いつ私の目玉を抉るのか怖くて、でも目を逸らしてしまえばもっと恐ろしいことが待っていそうで。
恐怖に固まったまま動けないでいると、意外にも救世主は現れた。
「やめろ蛇穴。怖がらせたってしょうがないだろう」
「………。そうですね、すみません」
「ケケケッ、怒られてやんの」
「は?お前に言われたくないんだけど」
「全く…。怖がらせて悪いね、こんな状況で俺が言うのもなんだけど、危害を加えるつもりはないから安心してほしいな」
コーンロウの男が声をかけると、あっさりと男は私から手を離した。
緊張の糸が途切れ、全身から力が抜ける。
男は見た目とは反して優しそうな雰囲気を醸していて、心配そうにこちらを見ている。残りの2人もこちらを見てはいるが、先ほどのような突き刺さるような恐ろしい目は向けていない。
「あ…あの…、家に帰らせて…ください…。警察に行ったりしませんから…」
「うん。ありがとう。でもそれはできないかな」
目の前の男は、申し訳なさそうにしつつも、きっぱりと突っぱねてきた。
後ろで赤髪の男がやれやれといった仕草をしながら近づいてくる。
「お姉さんがそうは言っても、警察へ行かない保証はねぇだろ?俺たちの顔を見られたからには帰すわけにはいかねえってことだよ」
「そ、そんな…わたし、明日も仕事が…!」
「君は明日と言っているが、もう月曜の深夜だよ。相当疲れていたのか全く起きなかったからねぇ」
「え!?うそっ」
慌てて携帯を取り出そうとするも、鞄は見当たらない。そういえば持ち物も取り上げられているようだ。
無断欠勤なんて絶対に山のように電話が来ているはず。どうしよう、私のせいじゃないのに。
「さて。悪いけどそういうことだから、どうするか決めるまで君にはここにいてもらうことになる」
「まっ、要するに監禁生活ってわけだな」
「かん…きん…」
「ちょうどモルモットが欲しいと思っていたんだ。この狐は使えないけど、君はどうだろうね」
「はぁ?どういう意味だよ」
狐、の意味は分からないが、モルモットの意味は察しが付く。
私は人体実験でもされるのだろうか。男の目が先ほどのように鋭く私を突き刺す。
真面目に生きて、こんなになるまで働いて、その結果が訳の分からない人体実験だなんて絶対嫌だ!
「お願いです…っ、こ、殺さないでください…っ!何でもしますから!」
「ふふふ、何でも、かい?」
「出来ることなら、何でもします…っ」
「モルモットにしてはいい心構えだね」
男は愉快そうに笑うと顔を覗き込んできた。
じっと瞳を覗き込まれる。ひとしきりそうすると、満足そうに頷いた。
「君は分かりやすいね。堂庵さん、分かってましたが完全に白です。嘘の一つもないですよ」
「だから怖がらせるなって…、しょうがないな」
呆れたように男、堂庵はこちらに向き直った。
蛇穴、と呼ばれている男はニコニコとこちらを見ている。
「改めまして、俺は堂庵和聖。こっちは蛇穴健栄、狐久里梁山。君のことは外に出せないけど、アジト内ならある程度好きに生活してもらうつもりだから」
「せいぜい俺たちのパシリ頑張れよっ!」
「またそういうことを…、だけどまあ、そうだね。俺たちはアジトを空けることも多いから、家事周りをやってもらえると助かるかも」
状況を飲み込めないまま、話が進んでいく。
私は監禁されながら、彼らの身の回りの世話をする、ということなのか。
「一番アジトにいることも多いし、君のことは蛇穴に任せる。蛇穴、よろしくね」
「わかりました」
「それじゃあ、これからよろしく。名前は…実は免許証を見て知ってるんだけど、一応君から紹介してもらおうかな」
サラっと持ち物を見られていたことを言うあたり、堂庵…さんも裏の人間なのだろう。
そして今までの会話から、この危険そうな2人よりも堂庵さんの方が立場が上なようだ。
返答を間違えてはいけない、つまり、ここは大人しく言葉に従わなければいけない。
「名字名前、です。よろしくおねがいします」
「名前ちゃん、これからよろしく」
__________
強制的な挨拶の後、堂庵さんは早速蛇穴さんに「アジトを案内するように」と言い、狐久里さんと出て行ってしまった。
恐る恐る蛇穴さんを見ると、向こうもこちらを見ていた。
「行くよ。着いておいで」
「はいっ」
面倒がるかと思いきや、彼はさっさと歩いてドアの前にいる。
早くするようにこっちを急かし、私が追いついたのを確認すると廊下を歩き始めた。
「今は2階でさっきの部屋はチームの仮眠室。この先はシャワールームと、あとは俺や堂庵さん、狐久里の私室。1階はリビングとキッチン。それから会議室にトレーニングルーム」
「皆さんここに住んでらっしゃるんですか」
「まあ、俺は基本そうかな。堂庵さんと狐久里は外と半々ってとこ」
ダイニングやキッチンはかなり広く、3人よりもっと大勢で集まれそうな印象を受けた。
あれこれ聞いて余計に不味い情報を得たくない、そう思ったのが顔に出ていたのか、蛇穴さんと目が合うとニヤリと笑われた。
「君…賢いモルモットだね」
「…ありがとうございます」
「くくっ、俺は狐久里と違って知られちゃいけないことは言わないから安心していいよ」
「はぁ…」
「あ、そうだ」
キッチンから出て地下への階段を案内されたとき、蛇穴さんは思い出したように振り返った。
なんとなく何かを企んでいるような気配を察し警戒する。
無駄なことをと言いたげに鼻で笑うと、蛇穴さんは急に距離を詰めて内緒話をするように耳に唇を近づけた。
「キッチンには包丁があるけど、刺して逃げようだなんて考えない方がいいよ」
「ヒっ!」
へたり込む私を見下ろしながら、悪戯が成功した子供のように蛇穴さんは無邪気に笑った。
確かに包丁があったのは確認していたし、凶器になりえるものに触れさせていいのかとも思ったけれど。そんな私の一瞬の思考も読まれていたのかと思うと、目の前の男が本当に恐ろしく思えた。
もし一瞬でも彼らを出し抜こうと考えてしまったら?もし蛇穴さんが私のことを誤解したら?それが即死につながるという事実に眩暈がした。
「ふふ、いつまで腰を抜かしてるのかな。地下のラボが一番大事なんだから、集中してもらわないと」
「はいっ…わかりました」
「よろしい」
__________
階段をかなり深く降りてようやく扉が見えた。
扉を開くとまずは書類だったりPCの並ぶ部屋が目に入った。さらに奥には電子制御の鍵がかかった扉と、簡易的な鍵がかかった扉があった。
「私室はあるけど、基本的に俺はここにいることが多いかな。あっちの部屋は本格的な実験室だから俺の許可なく入らないでね」
「わかりました」
「で、こっちの部屋は検体の動物がいるんだけど。餌やりとケージの掃除は君の仕事になる。明日にでも詳しいことは教えるよ」
「動物も飼ってるんですね」
「ああ。せっかくだし見せようか」
鍵を開けて電気をつけるとたくさんのケージがあり、その中にはモルモットや兎が収められていた。
急に明るくなったからか動物たちが目を覚まし、伺うようにこちらを見ている。
蛇穴さんは慣れた手つきでその中の一匹を掴み、腕に収める。以外にもモルモットは暴れず、落ち着いた様子で腕の中に納まっている。
「意外そうな顔をしているけど、毎日餌をやっていたら自然となつくものだよ」
「そうなんですね。……かわいいです」
「そういう感情は俺は持ってないけどね」
ポイっと雑にモルモットを渡してくる。一瞬あばれはしたが、落ち着いて抱っこするとモルモットは私の腕の中でもうまく収まって大人しくなった。
蛇穴さんは満足そうにそれを見ている。
「モルモット同士仲良くできそうで良かったよ。狐久里の奴は扱いが下手で困る」
「あの…、モルモットっていうのは、ちょっと…」
「おや?お気に召さなかったか」
「すっ、すみません…いや…っ、わたしも…その…いつか、実験体にされる…、のかなって…」
そんなことを聞いてどうするんだろう。YesでもNoでも私が無事でいられる確証なんて得られないのに。
そう思うと声はだんだんと小さくなっていく。キューキューと腕の中でモルモットが鳴いた。
「君はどうしようもないモルモットだね」
「……」
「堂庵さんは君に危害を加えないと言っただろう。だったらそれが答えだ。これで満足しておくんだね」
「あっ…」
一瞬、今までの意地悪な笑いとは違う笑みが見えた気がした。
そう思ったのもつかの間、腕の中のモルモットを掴むと蛇穴さんはそれをケージに収めた。
モルモット部屋から出るように促され、研究室の端にある申し訳程度の応接スペースにあるソファーに蛇穴さんが座る。
手持無沙汰にしていると対面のソファーへ掛けるように促された。
「じゃ、明日からはこき使わせてもらうよ。君の部屋は用意できないから、寝るならさっきの仮眠室へ行くといい。贅沢はできないけど、普段の君の生活よりマシな生活ができたりしてね」
「否定できないのが悲しいですね…」
「モルモットも手伝いも万全でいてくれないと困る。まだ狐久里のヒプノシスマイクの影響が残っているかもしれない。今日くらいはさっさと休むといいよ」
怖い見た目や第一印象に反して、彼はそう言った。
ゆったりと話す口ぶりに急にまた眠気が押し寄せてくる。ふわり、ふわりと次第に意識が振れ、眠ってしまう前に部屋を出なければ、とわずかに覚醒した部分がそう告げる。しかし瞼も足も重く、立ち上がるのに十分な力が出せない。
「………こんなにマイクの影響を受けやすくて、本当に遊びがいがあるね」
キュインと小さな電子音が遠くでなった気がした。
脱力した体が天井を見上げる。影になるように蛇穴さんが私を見下ろす。
思考がぼやける。辛うじて開けていた目は、蛇穴さんの手によって伏せられてしまった。
「おやすみ、名前」
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