モルモットだよ水曜日
俺たちの生活に一匹のモルモットが迷い込んできた。
名前は名字名前。
不運にも狐久里がターゲットを間違えてしまったせいで巻き込まれた可哀そうな一般人だ。
確かにターゲットとはどことなく顔が似てはいるが…、狐久里が距離を詰めようとしたら足を早めたりと、まあ不運な偶然が重なってしまったがためにこうなったというわけだ。
健康状態良好。経歴に問題なし。
ヤク漬けにして放り出すことも考えたが、これだけ真っ白な経歴にそんなことをすれば確実に事件を疑われる。
ひとまずはディビジョン・ラップ・バトルの第一地区予選が終わるまで監禁して今後の方針を決める。それが俺と堂庵さんの意見だった。
「滴下実験のセット終わりました。一応確認お願いします」
「ん。ありがとう」
ただ置いておいても勿体ないと色々仕事をさせてみて分かったこと。
名字名前は要領がいい。
基本的に一度言えば期待通りの行動を行える。観察眼も悪くない。
だからこそ解せないのは、今の時代に反する自己肯定感の低さだ。女で他人より仕事ができるのであれば、あの内閣行政官のように高慢な態度をとってもいいものだが。
猫を被っている、ということか。しかも俺が見抜けない?
「ふぅ…少しくらいなら堂庵さんも怒ったりはしないだろう」
机の小瓶に目をやる。
新作の自白剤だが、試してみる価値はある。
本来は対戦チームの下っ端に酒などに混ぜて飲ませ、後は狐久里の口八丁で気づかないうちに戦闘スタイル、拠点、さらには弱点に至るまで話させるという代物だ。途中の記憶はなくなるので、自分が何を話したのかも自覚がないところが良い点だ。
一体お前はどんな人間なのか。柄にもなく人間に対して興味が生まれた。
__________
「今日も堂庵さんたち、行ってしまったんですね」
「少し立て込んでいるんだ。まあ、心配しなくてもいいよ」
夕飯を終え、2人がまた次の対戦チームを潰しに行くと、名前はそう言った。
それ以上深くは追及せず、彼女は「そうなんですね」と答えた。こういうところも妙に聡いというか、良くわきまえている。
「コーヒーいれますね。蛇穴さんは砂糖3杯ですか?」
「いや、今回はブラックでいいよ」
「あれ?でもいつもは…」
「朝は脳に糖分をやるために砂糖を入れてるだけだ。今は別に必要ない」
「そうなんですね。てっきり甘いものがお好きなのかと」
いれたてのコーヒーのマグカップを2つとも持つ。
驚いた顔を無視し、「せっかくだから少し話そう」と言って俺はラボへと進んだ。疑問を持ちつつも名前は後を着いてくる。
こうした無警戒さは当然一般人で、俺が薬をコーヒーに入れたことに彼女は全く気付かなかった。
「ここの生活は慣れてきたみたいだね」
「はい…可笑しいかもしれませんが、皆さん良くしてくれますし」
「くくっ、油断してくれてるようで何よりだよ」
5分経過。
カップの残量は40%程。
「会社ではどんな仕事をしていたんだい」
「個人営業を…してまし、た」
「君の担当者で著名な人を教えて」
「……シンジュクの…神宮寺、寂雷さん…。笹川建設の…島田常務…、あと…」
客の個人情報を開示。
薬は効いていると判断する。
しかし、神宮寺寂雷と知り合いだったとは。下手にマイクや薬で対処しなくて正解だった。
「堂庵さんのことをどう思っているか教えて」
「堂庵、さん…やさしそうな、人です…でも、蛇穴さんや狐久里さん、より…立場がうえ…だから、気を付けないと、いけない…」
「……へえ、じゃあ次。狐久里のことをどう思っているか教えて」
「狐久里さんは…、表裏が、あまりなくて…一番わかりやす、い…。でも…」
「でも?」
「私に…わるいなって、思ってない…から、きっと…わるいことに、なれてる…」
認識を修正。
今後与える情報は細心の注意が必要。
堂庵さんが俺たちのリーダーであることは明白だが、狐久里のこともよく観察している。そのうえで違和感が出ないように接しているということは、ある程度肝も据わっているということか。
もう少し深く探ってみる必要がありそうだ。
「悪いことって、狐久里は何をしていると思う」
「……、わから…ない、です。…ごめんなさい」
筋肉が強張った。緊張しているのか。
自白剤の効果は十分だから嘘はついていないと思うが。何かほかに理由がありそうだ。
一度別のカードも切ってみよう。
「ここから出たいと思ってる?」
「わからない、です。今は…居心地がいいし…会社は、しんどい…でも、ずっとここには、いられない」
「営業成績はトップなのにどうして辛いんだ」
「ずっと、がんばらなきゃ…いい子でいないと…、きたいに、応えないと」
「誰の」
「………?」
回答不全。自分でも良く分かってないようだ。
このあたりに何かありそうだ。もっと確信に迫っていこう。
「君は誰に認めてもらいたいの」
「誰…、だれ?……みんな、私にきたい、する…人、みんな」
「君にとってそれは苦しいものじゃないか」
「くる、しい?」
「……ここの生活は4人だけだから心地いい?」
「あ…」
感情と理性の齟齬による垂泣。このあたりが確信のようだ。
検体を落ち着かせるため尋問を中断する。
「よしよし、いい子だね。俺は君に期待していないし、何も求めていないよ」
「……、さらぎ、さん」
「俺の心臓の音を聞くといいよ、そう、いい子だね」
名前の隣へ移動し、落ち着くように背中をトントンとリズムよく叩く。
今までの話を総合するに、期待されればされるほどプレッシャーになっていたのに誰にもそれを打ち明けられずにいた可哀そうなモルモットだったということらしい。
この期に及んでも泣いている理由さえ分かっていない様子が滑稽で、なんとも可愛らしい。
心と体と才能の歪なバランスに鼻歌でも歌いたくなる。
俺は君に一番欲しい言葉を与えられる存在だ。君の理解者だ。そんな俺が一番欲しい言葉を上げているのに、この子は俺の背に手も回して来ない。
「君に期待しない俺のこと、どう思う」
「……さらぎ、さん」
「君にとって蛇穴健栄はどういう存在」
「……、さらぎ、さんは、…心地いい…」
「そうだね、君にとって一番居心地のいい飼い主だよ」
自分に懐いてくる無知な存在は愛らしい。ウサギも、マウスも、モルモットも。
そして、俺を裏切るなんて思考もできなくなった検体が優秀であればあるほど、好ましい。
「君はずっと落ち着ける住処を探していたんだよ。安心できる、君によりかからない絶対的な飼い主を」
「……あん、しん」
「俺は君に期待しない、求めない、失望しない」
弱った心にほしい言葉を浴びせる。
薬のせいで思考力の落ちた名前は俺にあやされるがまま、ボーっと俺の鼓動に耳を傾けたまま言葉を聞いていて、俺が捕食者の網を張り巡らせていることに気づきもしない。
「君はただ、思考停止して、俺に従うだけでいい。俺からの飴だけを受け取って生きればいい」
「さらぎ、さん…だけ……」
あまり暗示をかけすぎても堂庵さんたちに怪しまれる。
誰かを思い道理に操る愉悦感が俺の気持ちを高揚させる。すぐに名前は俺から逃げられなくなる。
唇だけで薄く笑うと、俺は初日のように名前の瞼を閉じさせた。
「さあ、いい子は眠る時間だよ。今日のことは忘れて、明日になったら君はまたいつもの朝を迎える」
「……、さら…ぎ…、さ…」
「おやすみ、名前。良い夢を」
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