散々だった木曜日
また知らないうちに仮眠室に運ばれていた。
いくら何でも不用心すぎないか私。きっとまた蛇穴さんが運んでくれたんだ。
……蛇穴さん?あれ、なんだろう、何か蛇穴さんについてモヤモヤするような。
「あれ?私、蛇穴さんと何話したんだっけ…」
昨日の夜のことがいまいちよく思い出せない。気づかないうちに疲れていたってことなのかな?
モヤモヤが晴れないままリビングに降りると、今日は堂庵さんが新聞を読んでいた。
「あ、おはようございます。今朝食作りますね」
「おはよう。ありがとう」
「いつもいらっしゃらないのに珍しいですね」
「蛇穴が朝少し出る用事があったから、俺が代わりにここにいるんだよ」
いつものように、トースト、目玉焼き、付け合わせのサラダを用意し、テーブルにつく。
堂庵さんは「いただきます」と手を合わせるとトーストを齧った。
蛇穴さんも無言で食事をするが、堂庵さんも特に何かを離すでもなく食事を進める。いつもと違うせいか、どことなく居心地の悪い気持ちを紛らわせるように視線を彷徨わせた。
「名前ちゃん、今日蛇穴に何か頼まれたりしてる?」
「あ、いえ、特には」
「じゃあ気分転換に外に出てみよっか。俺と一緒にだけど」
「え、いいんですか…?」
「逃げたりしないだろうし、ちょっと話したいこともあるから」
それじゃあ着替えておいで、と堂庵さんは私の分のお皿まで下げてしまった。
一番偉い、であろう人に皿洗いを取り上げられてしまい、どうしようか戸惑ったが、それこそ外出に遅れるわけにはいかないと思い、自室になっている仮眠室へと駆け上がった。
__________
狐久里さんが持ってきてくれた服の中で一番外出によさそうなものを身に着ける。
化粧を整えて下に降りると、堂庵さんは既に準備ができているようだった。
「すみません!」
「待ってないよ。それじゃあ行こうか」
車に乗せられほどなくすると見知った通りに差し掛かった。
堂庵さんの意図が読めない。アジトの場所が分かっても大丈夫なんだろうか。一体どこへ行くんだろうか。
花柄のスカートの模様を眺めながらぐるぐると考える。もしかしてこの後コンクリートに固められて海に沈められるんじゃ…。
「着いたよ」
「ここって…」
「そう、君の家だね」
見知った自宅のマンションから少し離れたところに堂庵さんは車を停めた。
マンションには規制線が張られ、警察が何人もたっている。一体どういうことかと堂庵さんの方を見ると、新聞を手渡される。
「実は君が俺たちの関係者だと勘違いされたみたいで、ここらの野良チームが君の家に奇襲を仕掛けたみたいなんだ」
新聞には見知った自宅と私の名前が載っている。
顔写真は載っていないが、名前を公開された時点でそんなのは時間の問題だろう。
詳細記事には会社の同僚と思われる人のコメントも載っていた。「真面目そうだったのに危ない人物と交友関係があったなんて思いませんでした」私が裏社会の人間と接点を疑われている。
有耶無耶にしていた現実が眼前に突き付けられる。こんな時に思い出すのはあの夜に見たエンブレムに描かれたNBの文字だった。
「North Bastardって…やっぱり堂庵さんたち…」
「そう、俺たちはアカバネ・ディビジョンのNorth Bastardだ」
いとも簡単に肯定されてしまった事実に眩暈がした。
ここで大声を出しても警察には聞こえない。
「名前ちゃんのことは…実は少し調べたんだけど、家族もいないんだよね」
「……はい」
「実は俺も家族がいなくて…だからって訳じゃないけど君のことは同情してる。蛇穴には反対されたけど、やっぱり現状を知らせようと思ったんだ」
「でも、」
「俺たちのせいで巻き込まれてこんな事になってごめんね」
どういえばいいのか分からなかった。きっとこの調子だと会社を解雇されるのも時間の問題だろう。
なにせ反社会的勢力とのつながりが疑われている社員のレッテルを貼られてしまったんだ。今まで誰にも迷惑をかけず、いい子で生きてきたのに、こんな理不尽だ。
だからってどうすればいい?誰も助けてくれない、自分で道も開けない、助けて、だれか、蛇穴さん。
「わたし、なんで…」
「うん、ごめん」
堂庵さんが謝っている声が他人事のように聞こえた。
取り繕わなきゃ、返事しなきゃ、と思うのに、私の頭の中は「どうして蛇穴さんがでてきたのか」という疑問に埋め尽くされていた。蛇穴さんは私を誘拐したNBの一員で、悪い人で、私を理解してくれて。
気持ち悪い。私を理解、なんでそんな風に思うの。どうしたの、どうして。
「名前ちゃん」
「……!」
「…ちょっと俺とドライブしようか。もしかしたら少しは気が晴れるかもしれないし」
うつむき頭を抱えていた私の肩に堂庵さんが手を触れた。そこで初めて私は自分がうずくまっていることに気が付いた。
堂庵さんは困ったように笑うと、少し窓を開けてから車を出発させた。
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都会の街並みは気分が晴れるほどの景色とは言えないけれども、ただ無心で眺める景色と静かなエンジン音で私は幾分落ち着きを取り戻した。
そんな様子を察してか、堂庵さんは一度車を停めると少し待っているように告げ車を降りた。
程なくして帰ってくると、手には作り立てのクレープが2つ握られていた。
「イチゴとバナナどっちが好き?」
「えっと…じゃあイチゴで」
「はい」
渡されたクレープをじっと見て、一口齧った。
イチゴの甘酸っぱさとクリームが丁度よくて、素直に美味しいなと思った。
堂庵さんも自分のクレープを齧ると「なつかしいな」と言って食べ進めた。
「昔も来られたんですか?」
「ん?ああ、昔イケブクロに住んでたんだ。その頃に友達だった子と…ここのクレープもよく食べに来たんだ」
「今でも会ったりはしないんですか」
「……どうだろうね、俺もその子も変わっちゃったから」
そう言った堂庵さんはどことなく寂しそうに見えた。
「いやぁ…こんな時、どうしたらいいのか分からなくて…。名前ちゃんに元気出してほしいと思ったのに、何だか気を遣わせちゃったね」
「いえ、あの。うまく言えないですけど、ありがとうございます」
「ええ?」
「別に黙っていてもよかったですし、それなのに教えてくださったのは堂庵さんの優しさですよね」
下手に情報を与えなければ私は逃げないのだから、今回の堂庵さんの行動は非合理的だ。きっと蛇穴さんならこんなことはしない。
蛇穴さんは他人の思考を真綿で絞めて停止させ、ズルズルと戻れないところまで堕とす。そんな人だ。そしてもう少しで堕ちてしまうところを、堂庵さんの、ある意味余計な行動が留まらせた。
きっと私がこうして目を覚まそうとしていることは、誰にとってもいいこととは言えないだろう。堂庵さんにとっても、蛇穴さんにとっても、そして私自身にとっても。
「今日の私は傷心なので、美味しいものが食べたいです」
「…君って子は」
「もうだいぶ暗くなって来ちゃいましたよ。帰りはスーパーへ寄りましょう」
「わかったよ、じゃあ帰ろうか」
「はい、帰りましょう」
__________
朝の用事が思ったよりも長引き、アジトに帰ったのは夕方だった。
さぞあのモルモットは退屈をしているだろう、と扉を開けた先には誰もいない空っぽの空間。
逃げ出した。
その一言が脳内を埋め尽くした。
昨日俺が手すがら暗示をかけたというのに、ありえない。
それにこうならないために堂庵さんに見張りを頼んでアジトを開けたのに。堂庵さんが名前を信用して部屋を空けた?ありえない。あの人はそんな間抜けじゃない。じゃあ堂庵さんが名前を逃がした?
誰に見られるわけでもない焦燥感を隠すようにゆっくりと部屋に入った。テーブルの上には見覚えのない紙きれ。
「名前と少し外出してくる…」
グシャリと無意識に手に力が入った。
得体の知れない不快感と、名前が逃げたわけでない安堵に吐き気がする。
ラックにかけられた食器はもう乾いている。外に出てかなり時間は経っているはずだ、どうしてまだ帰ってきていない。
重い足を引きずって地下のラボへ進んだ。調子が出ない。文字を打って、数値を入力。タイプミス。苛立ちが募る。
時計の針を確認するも先ほど見た時からまだ5分も進んでいない。
ケージの中のモルモットが俺の苛立ちを汲み取ってか隅で震えている。何だ、いつもはチョロチョロ寄ってくるくせに。
ケージの中に手を入れモルモットを捕まえる。ひとしきり逃げ回って逃げ場がなくなって、そうして俺の手につかまったそいつは、最後の抵抗にと俺の指を噛んだ。
「……モルモットの分際で俺に逆らおうっていうのか」
ドロリと傷口から血が出る。
白いモルモットの毛皮を俺の血が赤く汚す。
面白くない、こいつも、名前も。勝手に行動して。いっそ壊してやったら気が晴れるのか。
徐々に指に力を入れ、モルモットが暴れ、そしてグッタリしてきたとき、表から車を停める音がした。
__________
「じゃあ俺は行くから。夜は蛇穴と2人で食べてくれ」
「はい、今日はありがとうございました」
いつの間に仲良くなったのか、名前は堂庵さんに手を振って見送ってる。
片手には今夜の食材と思われるスーパーの袋。朝から不在でこんな時間まで仲がよろしいことで。
せっかく手中に収めかけていた獲物を奪われたようで、俺は不相応にも堂庵さんに苛立ちを覚えた。それと同時にホイホイ忠誠心を移す名前にも。
「随分と遅い御帰りじゃないか」
「あ、蛇穴さん。すみません、遅くなりました」
「堂庵さんとデートは楽しかったかい?」
「デートだなんて」
その愛想笑いが、その音の羅列が、癇に障る。口を開かせたくなくて無意識に掌で口元を掴んだ。
驚いて怯えた様子の名前が愉快だ。まだ血が止まっていなかった指の傷口から血が流れ、名前の顔を汚す。
可笑しいなあ、モルモットの時はイラついたのに、今は奇妙な感覚だ。
「血が出てるんだ…舐めてよ」
「…っ…ぅっ」
「早くしろ」
傷口のある親指を無理やり口内にねじ込んだ。
恐怖か、苦しいからか、涙目になっている。やっぱり君は俺のモルモットだ。俺に与えられる一挙手一投足に右往左往しているべきだ。
なのになぜ、まだ腹の虫が収まらない。自白剤を打った時のような湧き上がる愉悦感とは程遠い。
「チッ」
こういう時の衝動はバトルで相手を蹂躙するに限る。
腕を引いて名前をラボへと連れていく。部屋に押し込められ戸惑っている名前に、手なずけるために張り付けていたまやかしの顔をはぎ取り、無感情で向き直った。
「ちょっと出てくるから、いい子にして待ってるんだよ」
初日のように固まってコクリと頷く。
せっかくの苦労が台無しになってしまったことに更にいら立つ。ああ、こんなところは堂庵さんには見せられない。
今日は思いっきり残忍に相手をぶちのめしたい。ポケットからスマホを取り出すともう一人のチームメンバーにつなげる。
「狐久里。今日は俺がメインで出るから、サポート頼むよ」
後ろで何か言っている気がするが知らない。
ラボに鍵をかけ名前を閉じ込めた。
そして俺は踵を返し、獲物を狩るために夜道へと足を運んだ。
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