いい子に過ごした土曜日
キュウキュウ騒ぐモルモットの声で目を覚ますと血だらけの蛇穴さんが床に倒れていた。
「蛇穴さん!?…ち、血が…っ、しっかりしてください!」
慌てて起き上って辺りを見回すも、他に人の気配はしない。
ここに誰かが押し入ったって訳ではなさそうだ。第一そうだとしたら流石にその中で起きないのは間抜け過ぎる。
とにかく止血をするために傷口を確認しようと顔を覗き込んだ。血がたくさんついているのとは裏腹に顔に傷はなく、額の少し上にある傷口から流れ出たもののようだ。
「タオルとっ…消毒液ってあるのかな…っ」
蛇穴さんがいつもつけているバンダナを外し、真新しいタオルを押し当てて止血する。
薬品棚には小瓶がたくさん並んでいるが、どれも実験用の薬品らしく見知った名前が見あたらない。
圧迫していると少しずつ血が止まってきた。とにかく血を止めて、床に寝かしておくわけにいかないからソファーに…、それから1階で救急セットがないか探しに行って…。
「というか…蛇穴さん、重いっ…。筋肉付きすぎじゃないですかっ」
止血のために上体を起こさせるのも一苦労する。
いつもラボにこもっているのに一体どうやったらこんなに筋肉が付くのか…。本当はちゃんとベットへ連れて行ってあげたいけれど絶対無理だ。
何度か傷口を確認して完全に血が止まったのを確認してからソファーの方へ運ぶ。半ば引きずる形で何とかソファーの上へ蛇穴さんを乗せると、どっと汗が出た。
「……それにしても、蛇穴さん…こんな酷い怪我、どうして…」
タオルとバケツを用意し、乾き始めた血を優しく拭う。
昨日今日と立て続けに血の掃除をするなんて、いよいよ私の人生も物騒になってきたなと現実逃避が頭をよぎった。
眠っているおかげで無抵抗な蛇穴さんの血を落としながら、マジマジと顔を観察すると、改めて整った顔だなと感心した。
堀の深い顔立ちに広い二重、年齢は分からないが危ないバトルを繰り返しているのに目立った傷のない肌。染められた金髪は少し根元が元の色になっていて、もともと色素の薄い茶髪であることが分かった。
首筋には大きな蛇のタトゥー。蛇穴さんは何を思ってこれを掘ったのだろう。
振れてみても滑らかな肌触りに変わりはなく、不思議な感じがする。それでいて勝手に蛇穴さんの信条に触れているような、いけないことをしている背徳感に慌てて手を引っ込めた。
「そうだ、消毒液」
モルモットを蛇穴さんのお腹に載せると、私は1階へと階段を急いだ。
階段にも点々と蛇穴さんの血痕が付いている。1階のリビングには派手に汚れて血の付いた蛇穴さんの上着が無造作に置かれていた。
後で掃除するのが大変だなぁと思いつつ、リビングの戸棚や収納にそれらしいものがないか探してみる。
野良バトルを頻繁に行うNBのアジトなら救急セットくらいありそうだけれど…それとも、怪我なんて全くしないくらい強いということなのか…。
「あった!」
若干諦めかけていた時、キッチンの戸棚の上の方に救急セットを発見した。
消毒液と包帯もある。これでちゃんとした手当てができそうだ。
両手に救急セットを抱えて地下への階段を降りようとしたとき、玄関が目に入った。
鍵が、開いている。きっと蛇穴さんがかけ忘れたんだ。
しょうがないなあと、口が弧を描いた。
しょうがないよ、蛇穴さんも、私も。
__________
「………包帯か。っ!?」
「わあ!急に起きちゃだめですよ!」
「……おまえ、どうして」
「どうしてはこっちのセリフですよ。血だらけで帰ってきて心配したんですよ!」
どうやら俺はラボのソファーに寝かされていたようだ。
額には包帯。顔のあたりに嫌な感覚がないということは、流れた血は既に拭われているらしい。
申し訳なさそうに「上まで運べればよかったんですが」という名前に、まあ、俺は重いから無理だろう、と妙に冷静な感想を抱いた。
「手当、ありがとう」
「いいえ、大したことできなくて…、気分悪かったりとかないですか?」
「大丈夫。ちょっと貧血で倒れちゃっただけだよ」
名前は本当に心配している。自分を監禁している犯人に親身になって。
……そう、今は監禁されているんだ。そして俺は気を失っていたし、玄関の鍵を閉めたか定かじゃない。
どうしてお前はここに残っているんだ。さっきまで堂庵さんや狐久里がいて逃げられなかったのか。いや、それなら2人に俺を運んでもらえばいいはずだ。賢いお前なら今が絶好の逃亡の機会だということが分からないはずがない。そうだろう?
「………部屋も綺麗にしてくれたんだね。結構血だらけだったと思うけど」
「部屋だけじゃなくて上着も洗っておきました。乾いちゃったら色が落ちないですから」
「…いい子だね。お詫びに何か欲しいものがあれば買ってあげるよ」
「そんな子供みたいな…」
「それに…、…」
何で逃げなかったの。
と、聞けばいいものを。
手当してもらった負い目か、望む答えが聞けないことへの躊躇いか、俺らしくもなく何故かその言葉を吐くことができなかった。
所詮はただのモルモットなのに。意のままにならないことが腹立たしかっただけ、俺が顔色を伺うなんてあるはずがないのに。
「……ねぇ。なんで」
「いい子にして待ってろって」
「……?」
「そう、蛇穴さんが言いましたから。だからいい子にしてました」
なので機嫌治してください。と名前は言った。
何だ。俺の聞きたいこと、分かってたのか。やっぱり君は優秀で、少し鼻につくモルモットだ。
君はそれでいいんだね。俺たちに…俺に飼われることを選んで、長くいればいるほど此処から抜け出すことができなくなる。
もしかすると今日が最後のチャンスだったかもしれないのに。
「ああ…。君はいい子だね、名前。八つ当たりして…、悪かった」
「ふふっ、いい子にしてるのは得意ですから」
そう笑った君は、俺が敷いた作戦通り、弱みに付け込まれてモルモットになった人間のそれで。
でもそれが俺の作戦によるものでないことは明白だった。名前は自ら罠に落ちて、どうしようもない深みに自分から歩いてくることを選んだようだった。
可哀そうな名前。君は自分の幸せよりも、他人を優先してしまうどうしようもない人間だ。
自白剤を投与したときにそれは察していた。だけど、誘拐犯にまで感情移入して自己犠牲してしまうなんて。愚かで、可愛そうで、どうしようもなく愛らしい、と。そう認めてしまった。
「……さらぎ、さん。苦しいです」
「いい子にはご褒美だよ」
「これ、ご褒美なんですか」
「違うかい?じゃあ、いい子なら黙って腕を回しなよ」
「…ふふっ、分かりました、蛇穴さん」
自分の意志では俺の背に手も回せない君。
どうやら手放せなくなったのは俺の方みたいだ。
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