少女は瞳を見開き、ただ立ち尽くしていた。荒野に吹き荒れる風が髪を掬えば、ゆっくりと翻る。年頃の女子であれば乱れた髪を気にするはずだが、彼女はとうに気を病んでおりそれどころではなかった。
 過酷な状況に置かれた彼女に追い討ちをかけるようにエネミーは間合いを詰めてきている。しかし彼女は引こうとしない。もちろん敵影は視界に入っている。だが、一歩を踏み出そうとしない。まるで太い裁縫針に通された糸が足の裏を貫き、草一本生えていない乾いた大地に縫い付けているようだ。
 立ち尽くす少女の視線は、エネミーの裏に倒れる禍々しい色合いの鎧に覆われた体躯に向けられている。――彼を見つめる少女は何を思うのか。

「……案ずるな。戦場では自分の命の有無に気を掛けろ」

 違う側面故にロートーンである声。淡々とした声音は冷酷さを感じるが、今の彼女にとっては唯一の希望なのだ。

「みんな消えちゃったのに、そんなこと考えられない、よ」
「……」

 それに、と彼女は涙ぐみながら続けようとした。……が、その先を聞くよりも早く間近に迫ったエネミーによって頭部を殴打され、その体は静かに崩れ落ちる。悲鳴も聞こえず、少女は気絶したようだ。

「……なんで逃げねえ」

 あっさりと倒されてしまった少女に歯噛みをしつつ、彼は立ち上がる。男の真紅の瞳に宿る光は鮮血のように鮮やかだ。

「撤退なりなんなりすりゃあいいものを」

 数メートル先に転がる朱槍を手に携え、男は跳躍する。赤い瞳をぐっと開き、敵の心臓を穿つ。少女に向かって再び鈍器を振り下ろそうとしていたそれは、抵抗する間もなく刺さった槍に垂れ絶命した。数歩後ろに引いた男は槍に下がったままの骸を踏みつけた。肉が爆ぜ、彼のヒールが中骨に触れぎしぎしと軋む音がする。
 原形を留めないほどまで変形したところで、それはようやく黒い砂塵となって消えていった。





 レイシフトミス、自身の魔力量の低下、エネミーエンカウントパターンの変化、戦線崩壊、サーヴァントの消滅。今までに経験のない出来事ばかりが起き、それらは当然彼女の精神を削っていた。
 どう足掻こうが名前という人類最後のマスターは人間であることに違いない。どれだけ多くの偉業を成し遂げようがそれはただの真実でしかない。やはり、血を垂らしながらも体を起こした瞬間の名前は紛れもない一般人であった。

「……ありがとう、守ってくれて」
「武器は持ち主のために動くのが道理だろう。戦場では自分を第一に考えろと言ったはずだ」
「確かにそうだとは思うよ。でもあんな状況、私一人じゃ切り抜けられなかったよ。オルタが助けてくれたから私はこうして息ができてる」

 名前の言葉に男は思わず立ち止まった。――それでこそ自分を振るうに値する。慎重に立ち上がる少女へ向けた視線は純粋に賛美を込めたものであった。
 名前は軽く息をつき、乱れた髪を解き、結ぶ。その間伏せていた瞳が長身である男を見上げた。先程の絶望しきった顔はどこへやら、今の彼女は真夏の夕凪のような穏やかさを感じる。

「そう思いたいなら好きにするといい」
「うん」

「ところで、だ」
「?」

 通常に戻り始めた少女に歩み寄り、男は屈みその顔を覗き込む。淀みのない瞳に自分が映るのがなぜか面白く感じ、口の端が徐々に吊り上っていくのがわかる。しかし、今の状況は間違いなくよくないものであって、笑みを浮かべるようなことではない。

「敵が辺りを囲んでいる。袋の鼠だ」
「!」

 そうして覗き込む男と見つめ合っていた瞳が男の物を残して他へと向いたわけだが。それが気に障った気がして男は舌を打ったが、周囲の確認後に名前が禍々しい紋様の浮かんだ己の手の甲を見ていたため心を鎮めた。

「使え。もとはこういう時のために使う物だ、誰もお前を咎めない。放っておけば戻るならいいだろう」
「……」

 名前の手の甲を爪で撫でる。黒く長い爪はくるりと令呪を撫ぜ、白く柔い肌に容易く食い込んでいく。――ふ、と息が吐かれ、名前は肯定の意を示した。躊躇いなど微塵も感じさせないほど凛と澄んだ声だった。

「――令呪をもって宝具の開帳を命ずる、オルタ」
「殺戮だ、残らずな」

 名前がそう口にするや否や、男はヒールを踏み鳴らし、近づいてきた敵陣へと突っ込んだ。彼の空気が黒く淀み、徐々にその姿見も変化していく。メインウェポンであるゲイボルグも闇に飲まれ、いつの間にか形さえなくなっている。ぼそりと宝具の真名を告げ、男は敵将らしき敵影に鮮血の如き赤い爪を突き刺した。目を逸らしたくなるほど残虐な光景であるが、彼女は一時も目を離さなかった。それは戦闘をする上での礼儀だと彼女は語るはずである。男がそうであるように、名前も自分の使命に向き合った上でそう言うのだ。
 首領の首を取られたことにより、それらは統率をなくした。鳴き声というよりも咆哮に近いものを上げるものもいた。少女は瞼を閉じ耳を手で押さえる。眉は不快げに寄せられている。

「っ、く……! オルタ!」
「もう突破はできる。――来い、マスター」

 言われたとおり男の方へ一歩踏み出した瞬間、名前の体は男によって抱き上げられていた。いや、抱き上げるというよりかは荷物を抱えている、と表現するほうが正しいかもしれない。

「もう少し、運び方を考慮していただきたい……!」
「黙れ。舌を噛んで死んだとしても俺に責任はない」

 ここを離れてから考えてやる、とだけ言うと群れを成す敵軍へと切り込んでいく。その間際に名前を固定する腕に微かに力が込められ、彼女は少し表情を歪めた。しかし、次の瞬間にはそれの意味を理解し、表情を戻した。

「――今の頼りはオルタだけだよ」

 力を入れることで若干血管が浮かぶ骨ばった手に自身のものを添える。お世辞にも手触りがいいとはいえないが、名前にはかえってそれが温かく感じ、満ち足りた感情を得た。戦闘に意識が向いているからか反応はない。この男らしいといえばらしいだろうと彼女は小さく笑みを漏らす。

 陰の側面であるクー・フーリン曰く、名前という人間は彼のマスターである。しかし、マスターというだけでそれ以上でも、それ以下でもない。
 また名前曰く、クー・フーリンは自身の必要とするサーヴァントである。自身に助力するサーヴァントであり、それ以上でも以下でもない。

 彼女らの関係はただそれだけだ。互いを認め、互いに作用し合う。表立った何かは特にはないが、そんな信頼を築いた関係なのだ。