episode 1
秋の出会い 赤の少年


「お、おい、誰かいるのか?」

深夜、木々のざわめきが妙にうるさい。用務員の男は頼りない懐中電灯ひとつで旧校舎に足を踏み入れた。ギシギシという床鳴りだけが響いていた校舎内に、玄関に鎮座していた振り子時計が十二時を告げる低い音を響かせた。するとそれに合わせるように、今まで淡く照らしてくれていた蛍光灯が廊下の奥から順番に消え、ついには男の持っている懐中電灯の灯りひとつだけになってしまった。
こんな時間に、誰の悪戯だ。見つけたらこってり絞ってやる、などと意気込みながら、己の中の恐怖心を払拭しようとした。微かに耳に入ってくる少年少女の笑い声に、懐中電灯を持つ手が汗ばむのが分かる。
――カチッ。突然、鳴っていた振り子時計が止まった。その瞬間、背後から何かがものすごい勢いで迫ってくるのを感じ、振り返って床を照らす。だが、そこには何もない。ホッと一安心したのも束の間、再び後ろから笑い声と共に気配を感じた。ついさっきのとは比べ物にならない程の恐怖。全身から吹き出る汗が警告している。ひんやり冷たい風を受け、ゆっくりと振り返った。

「う…うわああああああ!」

男の悲鳴は、校舎に吸い取られるように消えていった。暗闇の中、ぼんやりと赤く照らされた旧校舎の正面玄関が、全ての始まりを告げた瞬間だった。


* * * *


九月上旬。晴れ渡った空の下を、一台の大型トラックが走行していた。助手席に乗っていた由美は窓を開け空気を大きく吸い込み、木々の隙間から見える古びた校舎を見た。柵には蔦が蔓延っており、校舎からは不気味な雰囲気が漂っている。なんだか都会に似つかわしくないと思いながら、通り過ぎた校舎を振り返りながら口を開いた。

「あれが新しく通う学校?」
「昔、お祖母ちゃんが校長先生をしていたんだよ。パパもママもここで勉強したんだ」

由美の問いに、父親である幹久が答えた。懐かしそうに校舎を見る父親とは対照的に、隣に座っていた弟の悠が抱えていた猫を撫でながら小さくため息を漏らした。

「俺、前の学校の方がいい」
「おいおい、あれは旧校舎だ。お前達が通うのは隣だよ」
「え?」

幹久が笑いながら指差した先に、由美と悠が目を向けた。トラックが進むにつれて、それもだんだんと姿を現していく。視界に広がったのは、大きくて綺麗な真っ白い校舎だった。ほっと胸を撫で下ろすと、悠と目が合い、お互いにくすくすと笑った。前の学校はこれほど綺麗ではなかったが、あの旧校舎とは比べるまでもなかった。もし本当に通う学校があの校舎だったら、悠と一緒にぶつぶつ文句を言っていただろう。
しかし何故あんな古い校舎が未だに建っているのかと疑問に思い、振り返った。さすがにもう見えなくなってしまっていたので、今度先生にでも訊いてみようと決め前を向いた。そのとき、何か影が横切ったのを感じ、思わず窓から顔を出した。

「どうしたの姉ちゃん?」
「由美、危ないから戻りなさい」
「あ、うん。ごめんなさい」

きっと何かゴミでも飛んだのだろう。その程度にしか考えなかった由美は、これからの新しい生活に胸を躍らせた。


* * * *


「これは、奥の部屋へ。父さん、あとは大丈夫だよ。引越し屋さんがやってくれるから」
「なにも、死んだ嫁の実家に住まなくたって…うちに来ればいいものを」
「でもいいじゃないですか。私は好きですよ、こういった家も」

落ち着いた佇まいで、誰の目から見ても広いと感じるこの家は、母方の祖母の家だった。引越し業者に指示を出しながら、幹久は手伝いにきていた両親と話す。穏やかな母とは一転、腕を組み眉間に皺を寄せる父親の表情からは、この家に住むことを反対していることが窺える。

「やっぱり祖母ちゃんち広いね父さん!二階も行っていい?」
「ああ、引越し屋さんの邪魔はするなよ」
「お父さん、私も行ってくるね」

リビングから走ってきた悠があまりにも目をキラキラ輝かせながら言うものだから、由美にもうずうずとこの家を見て回りたい衝動がこみ上げ、幹久に一言告げると悠のあとを小走りで追いかけた。二人の楽しそうな横顔を見て微笑む幹久に、「どうせ、うちは広くないからな」と父親のぼやきが届けば、その顔は瞬時に苦笑いへと変わった。

「わぁ、すっげー広い!ここ、子供部屋にしていいかな?」
「そうだね、あとでお父さんに頼んでみよっか」

二階の一室の扉を開けば、まだ何もない空間が目の前に広がった。家具のない家の中を見て回るのは、まるで宝探しをしているようでワクワクしてしまう。どこに何を置こうか想像を膨らませるのも、今だからできる楽しみだ。寝そべってゴロゴロ転がる悠を見て笑いながら、広いバルコニーへの扉を開け外に出た。

「ねぇ悠、ここで何か育てようよ。何がいいと思う?」
「ノースポールとかどうだい?」

悠が起き上がり口を開いたが、その前に違う誰かに答えられてしまった。振り返ってみれば、燃えるような赤い髪が印象的な少年が向かいの家のバルコニーからこちらに微笑みを向けている。整った顔立ちのその少年に、由美は頬がじわりと染まるのを感じた。

「ノースポールならクリサンセマム・ムルチコーレと一緒に植えるといいよ。性質がよく似ているから、相性がいい。ああ、ごめん。自己紹介がまだだったね、僕は赤司征十郎。君、帝光中に転校してくるんだろう?」
「…は、はい!白戸由美です、どうぞよろしくお願いします…!」
「そんなに固くならないで。せっかく家が隣なんだから、仲良くしよう」
「あ、あの、三年生の方ですか?」
「いや、僕は二年だよ。君と同じ」

由美は驚いて目を見開いた。こんなにも大人びているから、同い年だとは思わなかったのだ。さりげなく自分の年齢を当てられたことには敢えて触れないでおこう。それから、由美は赤司にいろいろと教わった。帝光中のこと、彼がバスケ部に所属していること、個性的な友人達のこと、この街のこと。話していくうちに由美の緊張も解け、赤司とはすっかり打ち解けていた。悠も会話に混ざり、三人で他愛ない話をしていたところに、母――百合子の遺影と小さな仏壇を持った幹久が部屋に入ってきた。

「由美、悠。ママを部屋に運ぶから手伝ってくれ」
「うん、今行く!いろいろありがとね赤司くん、今度は学校で」
「征兄ちゃん、今度バスケ教えてな!」
「ああ、また」

笑顔で手を振る二人に、赤司もまた微笑んで手を振り返す。部屋をあとにする様子を何気なく眺めていると、由美が大事そうに抱えた遺影が赤司の目に入った。

「 …やはり、あの子が…」

目を細めポツリと呟けば、まるで赤司の心情を表すかのように、空の雲が太陽を覆った。


《後書きスペース》


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