episode 10
血塗られた体育祭 だっと


体育祭。この行事に喜ぶ生徒もいれば、面倒だと項垂れる生徒もいる。桃井さつきは前者だった。
教室の黒板に並べられた種目に、どれにしようかとまるでウィンドウショッピングでもしている気分になる。桃井は比較的運動は得意で、足の速さにも多少自身があった。去年の体育祭では選抜リレーの選手に選ばれた程。がやがやと生徒達の話し声が飛び交う教室で、桃井は窓から見えるグラウンドに微笑んだ。

「さつきちゃん選抜リレー選手に選ばれたんだ!しかもアンカー!」

帰り道、桃井と一緒になった由美は賑わいを見せる商店街を歩いていた。この時間になると、帝光中の生徒がちらほら見える。途中偶然止まっていたクレープの移動販売を見つけ二人同じクレープを買い、食べながら体育祭の話で盛り上がる。
桃井から選抜リレーに選ばれたと聞かされた由美は、齧ろうとしていたクレープから目を離し桃井に向ける。尊敬の眼差しで見つられた桃井は、はにかみながら肩をすくめた。

「ふふ、意外と走るのは得意なの」
「私はなぁー、騎馬戦の騎手やることになったんだけど、なんか怖くて…」
「大丈夫!由美ちゃん度胸あるからズドーンと行ってガツーンって鉢巻取っちゃえばいいんだよ!」
「ガツーン、か…!」

桃井から飛ぶなんとも雑なアドバイスに由美は貧相な想像力をフルに働かせ、彼女の言葉をイメージする。眉間に皺を寄せ真剣に悩む由美に、桃井はくすりと微笑んだ。考えることに集中しすぎてクレープのクリームが鼻に付着してしまっていることは、暫く黙っていようか。

翌日の放課後、リレーの練習を覗いてみようと由美はグラウンドへ向かった。先程まで自身も体育館で騎馬戦の練習をしていたのだが、女子とは思えない苛烈さに早くも心が折れそうだった。自分の鉢巻を死守するので精一杯だった由美は、最近知ったミスディレクションという技を黒子に教えてもらおうかと頭の方隅で考えた。
グラウンドには各クラスの代表が揃っており、その中には勿論桃井もいる。ああ、この人達は皆卓越した走りを見せるんだろうなと思うと、なんだか違う世界の人のように感じる。人間はなんて不平等なんだ、と弄れたことを考えながらベンチに腰掛けた。
笛の合図で、第一走者が一斉に走り出した。待機の列に視線を向けると、見慣れた桃色はすぐに見つかった。念入りにストレッチをする姿は真剣そのもの。やるからには練習でも負けられないという桃井の闘志は、離れた場所にいる由美にもバシバシ伝わってくる。

「あれー、由美ちん?」

出し抜けに声をかけられた。この呼び方とゆったりした音吐は、由美の知っている中に一人しかいない。

「紫原くん」
「やっほー、何してんの」
「んっとね、さつきちゃんのリレー練習見てた」

相変わらずポリポリとスナック菓子を食べている紫原は由美の隣に腰を下ろし、徐にスナックをひとかけ差し出してきた。ありがとう、と手で受け取ろうとするが、彼は首を振りながら口を開く。これは直接食べろ、という意味だろうかと疑問に思いつつ齧り付けば、紫原は満足げに笑った。どうやら正解のようだ。

「さっちん確か去年もリレー選手だったよね」
「え、そうなの?」
「あ、由美ちんまだいなかったっけ。さっちん実は足早いんだよー」
「すごーい…かっこいいなぁ」
「由美ちんは走んの苦手?」
「うん。だからさつきちゃんホントすごいと思う…あっ!さつきちゃんコースに出たよ!」

紫原の袖を引っ張りコースに意識を向けさせる。第五走者からバトンを受け取り、桃井が走り出した。ポニーテールを靡かせ、腕を大きく振りながらコースを駆けていく。

「…あれ?あんな子、さっきいたっけ?」
「えー、誰?」
「ほらあの、裸足で白い鉢巻した子」
「ほんとだ。…なーんか周りと雰囲気違う気がする」

ふと桃井の影から現れた少年に、由美と紫原は不審感を抱く。バトンを渡しコースを抜けた桃井が辺りを見回している様子から、彼女も気づいていたようだ。いつの間にか消えていたあの少年は一体なんだったのか、今はまだ、何一つ分からなかった。


* * * *


「あの子、由美ちゃんも見たの?」
「うん。白い鉢巻した色白の男の子でしょ?急に現れたと思ったらいなくなっちゃってるし…」
「結構足早かったな、あの子」

食堂で二人、この間の少年について話していた。桃井はフォークに刺した卵焼きをパクリと口に含むと、ゆっくり咀嚼しながら難しい顔をする。あの雰囲気からするに、生身の人間ではない気がする。ただ走るのが好きな霊、ということしか考えられず、今はとりあえず保留にしておこうということでこの話は終わった。
人間に害を成さない霊もいるということを、由美達はちゃんと分かっているのだ。

今日もリレーの練習はあるらしいが、由美は早く帰らなければならない為、見学はできない。あの子のことが気にならないと言えば嘘になるが、特に心配することがないうちはきっと大丈夫だろうと、由美は学校を後にした。

「――じゃぁ、あと一本走ったら今日は終了だ。練習だからって手抜くなよー、本番は明後日なんだからな」

額の汗を拭い、桃井は体育教師の言葉に従いスタート位置に小走りで向かった。何回か走ったが、あの少年が姿を現すことはなく、彼はもう来ないのかと少し残念な気分になった。
笛の音で最後の練習が始まる。きっともう現れないと決定づけた桃井は、気持ちを切り替えようと屈伸をし、頬を叩いた。桃井のクラスは比較的足の速い生徒が揃っており、これまでの練習では首位になる回数が多くクラスメイト達と担任からは大きな期待が寄せられている。代表としてみっともない走りはする訳にはいかない。十分に気合を込め、コースに立った。

「さつき!」

第五走者から緑色のバトンを受け取った。今までで一番いい受け渡しに、桃井の足にも力が入る。現在は二位、前を走るのはA組だ。前を見据え、地面を強く蹴りながらA組を追いかける。
ふと、後ろからペタペタと走る音が聞こえた。他の生徒達の声援がフッとロウソクの炎のように耳から消え、足音だけが桃井の中で響いている。まさか、と思ったときには彼は桃井を追い越していた。白い鉢巻、真っ白な肌。間違いない、あのときの少年だ。ぐんぐん差をつけられていき、A組も追い越してしまった少年は、桃井の追う目線からすり抜けるようにまた姿を消した。
彼の登場で集中が途切れた桃井は、A組を追い抜けないままゴールした。すぐに辺りを見回すと、体育倉庫の横に立つあの少年を見つける。足は自然と彼のもとへ向かっていた。

「…あの、さっき私を追い抜いていったの、貴方だよね」

夕日を背に受けている少年に、控えめに声をかけた。呼びかけにゆっくりと振り向いたその少年は、整った顔をした美少年だった。白い肌に、真っ赤な色の目がよく映えている。

「君、帝光中の生徒…な、ワケないか。学校で会ったことないもんね」

上辺では、あくまでも彼は“人間”ということにして話を進める。少年は表情を柔らげ、口を開いた。

「友達が…昔友達がいたんだ、帝光中に」
「へぇ、その子はどうしたの?」
「…死んだ。交通事故でね、即死だった」
「そんな…可哀想」
「可哀想なのは、死んだことじゃない」
「え…」
「体育祭で走れなかったことさ。一生懸命一生懸命、足に豆ができて、そこから血が出ても、少しでも速く走る為に練習した。それなのに、体育祭のその朝に……」

少年の話が、桃井の頭の中で鮮明に映し出されていく。彼の友人の努力。その声色から、痛いほどに伝わってきた。

―――走りたかったんだ、彼は。

消えていくように言葉が終わり、ハッとした桃井の前には、既に少年の姿はなかった。切なげに瞳を揺らす桃井は、暫くその場に立ち尽くしていた。


* * * *


体育祭当日。午前中の競技は終わり、昼食の時間となった。由美はサンドイッチを齧りながら、持ってきていたお化け日記のとあるページをじっと見つめる。由美の座っているシートには、紫原と青峰も一緒に昼食を取っている。

「ほら、ここ」
「だっと?」

由美が指差した箇所を、青峰と紫原が覗き込む。昨日なんとなく体育祭に関しての霊がいないかどうか日記を探したところ、当てはまる霊を発見したのだ。鎌を持った、動物のような角を生やした霊。その絵からは凶暴性が見て取れる。

「人の足を集める霊だって」
「何だそれ…こえー」

おにぎりを片手に青峰が身を竦ませた。

「体育祭の日、四時四十四分に第四コースの第四コーナーを走っている人の足が切り取られるって書いてあるでしょ」
「でも、今日の体育祭は三時には終わるんじゃないっけ」
「そう…でも、霊がいるなら捕まえて霊眠させなきゃ」
「けどまだ姿見たことねーぞ?」
「…私、この間の子がどうも気になるんだよね」
「この間?」

青峰はリレーの練習を見ていないから知らないだろう。日記を閉じ、由美は考え込むように手を顎に当てて紫原に視線を投げた。

「紫原くんは見たよね」
「あー…あの白いヤツ。確かにあの子はちょっとねー」
「でも、ここに描いてある絵とは全然違うからなぁ…」

そう考えると、あの少年はだっととは違う、なにも害のない霊だという説が有力になる。もし今日だっとが現れるとしても、体育祭は三時に終わる為その辺りの心配は必要ないのかもしれない。しかし、由美の心中は以前霧で覆われたままで、晴れる気配がない。

「このこと、さつきに言ったのか?」
「うん、今朝言ったんだけど…あの男の子はだっとじゃないってきっぱり言われちゃって」

数日前桃井と話したときには、彼女もあの少年に多少の疑念を抱いていたのに。由美が知らない間に、桃井と少年の間に何かがあったのだろうか。あのときの桃井の表情はどこか寂しげで、少年をだっとだと疑う の心にちくりと針が刺さったような痛みを覚えさせた。
そのとき、午後の部開始十分前のアナウンスが流れた。午後の部一番は選抜リレー。つまりは桃井の出番である。

「あ、さっちんいた」
「おー、気合入ってんなアイツ」

ぞろぞろとリレー選手が位置に集っていく。桃井も同じクラスの選手と並んで歩いていくのが見えた。 はふと視線を横に流すと、例の少年が桃井をじっと見つめているのに気がついた。遠目でも分かる、その真っ赤な瞳が細められた瞬間、由美の背筋にスッと冷たいものが通った気がした。彼が体育倉庫に入ったのを見た由美は、意を決して後を追った。

「…いるの?」

薄暗く埃っぽい倉庫内を見回すが、彼の姿はどこにもない。急に体育倉庫へ走り出した由美を不審に思ったのか、青峰と紫原も後からやってきた。「 ?」と青峰が を呼んだ刹那、倉庫の扉が大きな音を立てて閉まった。咄嗟に扉を動かそうとするが、ピクリとも動かない。

「うそ、開かない…!」
「くっそ、どうなってんだよ一体!」
「…ここが、だっとの住処とか?」

ポツリと呟いた紫原の声に答えるかの如く、ジワリと影が浮き出した。

「あの子の足は貰うよ」
「やっぱりあなたが…だっと」

由美の予想は当たってしまった。姿が違えど、やはり彼はだっとで間違いなかった。だっとはくすくす笑いながら由美達を見下ろす。

「ここから出して!」
「なんで俺達を閉じ込めんだよ!」
「邪魔者はいない方がいいからさ」
「邪魔者…?」

そう一言残すと、だっとは消えてしまった。倉庫の外から選抜リレーの開始を告げるアナウンスが聞こえ、三人はハッとする。しかし、呪いの時間にはまだ遠い。だっとは一体どうするつもりなのか。

「おいお前ら、あれ見なよ」

聞き知った声に視線を向ければ、窓の格子の向こうには木上で寛ぐあまのじゃくの姿があった。その言葉にドクンと心臓が波打つ。後ろにそびえ立つ旧校舎の時計を視線で指すあまのじゃく。その時刻は、四時三十九分。三人の表情が一気に険しくなる。

「四時四十四分って、旧校舎の時計だったんだ…!」

事態は思わぬ進展を遂げ、焦燥感が巻き上がっていく。旧校舎の時計もリレー開始のピストルも、由美達を待っていてはくれない。

「さつきちゃん!お願い、やめて!!」
「さっちん!」

全身を扉にぶつけ、両手で叩き、桃井の名を叫んだ。指先の皮が剥け真っ赤になろうと関係ない。涙を散らし声を張り上げ、だっとに抗おうとする。

「なんでさつきなんだよ!早くここから出せ!!」
「さつきちゃんはあなたを信じてるんだよ!だっとなんかじゃないって!」
「…無駄だよ、足は貰っていく」

倉庫の外に姿を見せただっとは、由美達の叫びなど耳に入らないというような貼り付いた表情で言い放った。倉庫に背を向け、その人間の姿を禍々しい本来の“だっと”へと変貌させた。鋭い鎌を掲げ、地面にするりと入り込む。向かう先は桃井の走る第四コース。

「さつきちゃん!!」

絹を裂くような の悲鳴は、倉庫内に谺するだけだった。



走る奴が憎い!走る奴が憎い!走る奴が憎い!
どうして僕なんだ!僕はあんなにも、あんなにも走ることを望んだのに!!
だっとは声援が飛び交うグラウンドを進み、桃井の後ろに付いた。懸命に腕を振り、ただひたすらに前を目指すその姿に、何故かだっとの勢いが鈍化した。手からするりと鎌が落ち、気がつけば人間の姿に戻っていた。

――ペタペタと、ここ数日で聞き慣れた足音が聞こえる。桃井はその気配を感じ、笑みを浮かべた。彼が並んだのを横目に見て、話しかける。

「やっぱり君だ。応援に来てくれたの?」
「違う!」
「そっか…」

吐き捨てるように言うだっとに桃井は一瞬寂しげな表情をのぞかせるが、すぐに元の勝気な顔に戻った。

「私ね、あなたの友達の為にも精一杯走ってみせるよ」
――さつきちゃんはあなたを信じてるんだよ!だっとなんかじゃないって!

言いながら、桃井はぐんと加速した。今の桃井の言葉と、先程の由美の言葉が鳴動する。だっとはただならぬ感情に苦悶し、しぼりだすように声をあげた。彼の中に存在する心が、怨恨と戦っている。
第四コーナーに差し掛かったとき、だっとの目が悪い眠りから覚めたように見開かれた。だっとは痛みをじっと耐えるように、第四コーナーで桃井を待ち構えていた鎌を乱暴に奪う。自身の心と反発するように鎌が抵抗をみせたが、それを強引に抑え、だっとはそのまま空に消えていった。

ただ、走りたかったんだ…!

空から溢れる彼の涙が桃井の頬に触れた瞬間、彼女の身体がゴールテープを破る。一位だ。
やっとの思いで倉庫から脱出したした由美達は、桃井が仲間と抱き合って喜ぶ姿に、全身の力を抜かれた。


* * * *


「そっか、交通事故で…それってきっと、あの子自身のことだね」

体育祭は無事終了し、由美と桃井は夕日によって赤く染まった橋の上を歩いていた。

「うん。寂しそうだったな、あの子」

立ち止まり空を仰ぐ。少し間を置いたあと、桃井は鞄から何か取り出した。

「さつきちゃん、それ何?」
「ミサンガ。あの子の為にって思って、作ってきたの」

彼女の手には白い糸で紡がれたミサンガがあった。汚れのない雪のような白さが際立っている。桃井はそれをぎゅっと握りしめ胸に押し当てたと思えば、助走をつけて空に向かい思い切り投げ飛ばした。

「また、一緒に走ろうね!」

両手を口端に当て、彼のいるところまで声を届けるように叫ぶ。凛とした桃井の横顔に、由美も空を見上げ、二人並んで走る姿を思い描いた。
ざぁっと髪を靡かせる風に乗って、ありがとうという呟きが、耳を通り抜けた気がした。


《後書きスペース》


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