episode 14
地獄へと続く回路 黄泉の鬼@


人間誰しも苦手なものは一つや二つある。しかし、それに立ち向かっていかなければならない時は必ずやってくるわけで。由美はとある教室の一席で、人類と共に目覚しい進化を遂げてきた精密機械とじりじり睨み合いを続けていた。
コンピュータ実習室。その名の通り、ずらりとパソコンが並ぶ特別教室だ。キーボードを叩く音がずっと耳を往復している。先程から教科書片手に睨み合いをしていた由美は、キッと眉を釣り上げ右手の人差し指でエンターキーを押した。
しかし本来出るはずの画面は表示されず、不安を煽られるようなエラー音と「ネットワークにログオンできません」という文字列が目に映った。

「あ、あれ、変な画面になっちゃった」
「白戸さん、ちょっといいですか?」

あわあわとしながら教科書と画面を交互に見る。どこからか間違えたのか。そんな由美に助け舟を出すように、隣に座っていた黒子が画面を覗き込んだ。黒子はマウスを小さく動かして数回クリックをしていく。マウスポインタを目で追う由美だったが、何がどうなっているのかさっぱり分からない。そうしている間にも、画面は由美が弄る前の状態に戻っていた。

「わ、直っちゃった…すごいね黒子くん」
「最近図書委員の仕事で使っているので、慣れてしまいました。大抵のことはマウスでどうにかなりますよ」
「あ、ねぇねぇ、これってなに?コピー?」
「それはスキャナーと言って、パソコンに絵や写真を取り込むことができるんです」

すらすらと答える黒子に感嘆の息を洩らす。自分がいかにパソコンやその周辺機器についての知識が不足しているかということが浮き彫りになった。この機会に少しでも勉強しておこうと、専任教師のようになった黒子に質問を重ねていった。それに対し黒子は嫌な顔ひとつせず、懇切丁寧に教えてくれた。

「じゃあ、もう一回やってみましょうか」
「うん!…って、あれっ?」

今度こそ、と力強くクリックした瞬間、ブツンと電源が落ちた。しかしそれは由美だけではないらしく、黒子や他の生徒達のパソコンも次々と電源が落ちていく。何事だと生徒達から口々に疑問の声があがるが、椅子から立ち上がった教師がそれをやんわり制止させた。訝しげに天井の電気を見つつ、電源が落ちた原因を調査するために教室から出て行った。

「変ですね…一斉にパソコンの電源だけが落ちるなんて」

停電だとしたら、パソコンだけでなく蛍光灯も消えてしまう筈だ。けれども蛍光灯は変わらず明々と教室を照らしている。ぼんやりと天井を仰いでいた由美は、意識的に瞬きをすると黒子の方へ向き直った。

「もしかしてこれも霊の仕業…な、わけないか」

仮説を立てるも、さすがに考え過ぎかと表情をゆるめた。黒子は真顔のままだったが、何かを喚起したようにハッとして口を開いた。

「いや、その可能性はあります。黄泉ネットって…知ってますか?」
「黄泉ネット?」
「はい。インターネットサイトのどこかにあると言われている、幽霊のホームページです。どうやればそこへ行けるかは分かりませんが、そのホームページに辿りつけば、あの世の世界と連絡が取れるらしいですよ。もしかしたら、黄泉ネットの霊がすぐ近くまで来ているかもしれませんね」

最先端をひた走る霊もいるのか、と由美はぎょっとした。どこか他人事のように考えていたが、妙に説得力のある黒子の言葉に由美も黄泉ネットが気になりつつあった。暫くしてパソコンの電源は回復し、授業は通常通りに終わった。原因は不明とのことだったが、終わりよければ全て良し。生徒も教師も、この一件について特に気にしている様子は見られなかった。

午前の授業終わりを告げるチャイムが鳴ると、生徒達から一斉に開放感が溢れ出す。由美は四時限目の道具を机に出したまま、お化け日記に目を通していた。しかし母がこの日記を書いた時代にはインターネットなど存在しない。比較的新しい話なのは分かってはいたが、そうなるといざ現れてしまったときの対処法が全く分からないということになる。ただの噂であれば、一番いいのだが。


* * * *


翌日の放課後、由美は黒子を探す為に学校を歩き回っていた。廊下をゆったりと歩いていたところで、ふと昨日黒子に聞いた話を思い出し、コンピュータ実習室にやってきた。

「黒子くん、やっぱりここにいた」
「白戸さん」

引き戸から顔を覗かせると、パソコンに向かって真剣な顔をしていた黒子の表情が柔らいだ。上履きを脱いで中に入り、黒子の隣へと腰掛けた。

「もしかして、図書委員の?」
「はい。また新しい仕事を任されたので」

マウスポインタが動く画面には、「今月のオススメ」という可愛らしい装飾が施された見出しの表が作られていた。そういえば、こんな表を図書室で見たことがある気がする。

「あ、そうだ!」

と、本来の目的を思い出した は両手をパチンと叩いてスカートのポケットを探り出した。出てきたのは小さく折りたたまれた紙。由美はそれを黒子に見せるように広げた。

「じゃーん!朝刊の折込に入ってたの。今ならシェイクが20円引き!」
「白戸さん、主婦ですね」

黒子を探していた理由はこれだ。このクーポンを使えばマジバのシェイクが割引されるとのことで、これは彼を誘う他ない、とチラシを眺めていたときに思いついたのである。普段滅多に表情を変えない黒子の目が僅かに輝きを見せたのを感じて、持ってきて正解だったと微笑む。

「ふふ、チラシのチェックは主婦の基本だからね。さつきちゃん達も来るって!黒子くんも来れる?」
「はい。でも、もう少しかかると思うので先に行っててもらってもいいですか?」
「え、いいの?」
「お待たせするのも悪いですし。待ち合わせ時間には間に合うように向かいます」
「そっか、分かった。あ、場所は駅前だからよろしくね!」

そう言って由美は手を振りながらコンピュータ室を後にする。再び一人になった黒子は少しでも早く終わらせようとキーボードをカタカタと鳴らしていく。この作業にももうすっかり慣れてしまった。最初に任されたときは自分に扱えるだろうかと不安になったが、やってみれば意外と簡単なもので拍子抜けしてしまった。
手元の資料を見ながら文字を打ち込んでいると、突然画面が切り替わった。反射的にキーボードから手を離した黒子は、目に痛い背景の青と、そこにぼんやり浮かんでいる奇怪な門を怪訝な表情で見つめた。

「これ、もしかして…」

ドクンと跳ねる心臓に唆されたように、黒子の手はマウスに伸びた。門をクリックすると、分厚い扉が腹に重音を響かせながら緩慢に開いていく。扉の奥からじりじりと浮かび上がってきた「黄泉ネット」の文字に瞠目した。その瞬間、世界が反転したような感覚に襲われたが、ハッと意識を引き戻したときにはもう元の画面に戻っていた。二、三度瞬きをしてみたが、そこにあるのは先程まで自身が作っていた表があるだけで。あれだけのものを見ておいて気のせいだなんて思うことができず、黒子は思案顔を浮かばせながら椅子の背凭れに身体を預けた。

「…もうこんな時間だったんですね」

ふと目に入った時計の針が指す時刻に目を見開いた。約束の時間に間に合うかどうか。黒子は急いでパソコンの電源を落とし、実習室から立ち去った。
今思えば、学校を出る前から既におかしかったのかもしれない。人の話し声どころか、気配すらも全く感じられないなんて。
駅に到着した黒子は、ぽつんと時計台の下に佇んでいた。

「…まだ来てないんですかね。それとも、先に行ってしまったんでしょうか」

これは一体どういうことなのだろうか。普段通りの駅前の筈なのに、周辺からは物音一つしない。まだ夕方の時間に、この静けさは明らかにおかしい。ジオラマに一人閉じ込められたような薄気味悪さが全身に染み渡ってくる気がした。耳をすませていると、遠くから微かに鈴の音が聞こえてくる。不安を煽られるような一定間隔のリズムに思わず耳を塞ぐ。ここに留まっていては込み上げる喪失感に呑まれてしまうだけだ、と黒子は周辺の建物内を捜索するために歩き出した。




「――遅くね?テツ」
「珍しいね、テツヤが遅刻だなんて」

雑踏が飛び交う駅前で、黒子を待ち続け二十分程経った頃。眉をひそめていた青峰が口を開いた。皆思うことは同じらしく、赤司の言葉に相槌を打った。ただ由美は、時間を忘れて図書委員の仕事をしているのだろうかと、そこまで深刻に考えることはなかった。人間なのだ、そういうこともあるだろう。

「電話してみるっスか?」

ポケットからスマートフォンを取り出した黄瀬が赤司に訊ねる。頼む、と一言言うと黄瀬は片手で操作し始めた。耳にあてがい、黒子の応答を待つ。

「あ、黒子っち!今どこにいるんスか?約束の時間、とっくに過ぎてるっスよー!」
『…黄瀬くん、今どこにいるんですか』
「は…どこって、駅前っスよ?黒子っちこそどこにいるんスか!」

黒子の第一声に生返事がこぼれたが、すぐに表情を引き締めて問いかける。事前に待ち合わせ場所は伝えておいたとのことだったが、もしかすると彼は別の場所に行ってしまったのだろうか。

『僕もです。僕も今、駅前にいるんです』

同じ駅前にいる。黒子は確かにそう言った。自分たちの目立つ頭を見ればどこにいるかなどすぐにわかる筈だ。けれど黒子は来ようとしない。

「どういうこと…っスか」
『おかしいんですよ。さっきから、人が誰もいないんです』
「何言ってるんスか、人ならそこらへんにいくらでも…」
『だからおかしいと言ってるんですよ。もしかしたら、僕は…』

黒子の声色から滲み出る切迫感を嗅ぎ取った黄瀬は、とにかくこの状況をしっかり把握するべきだと質問を投げかけようとした。けれど何かあったのか黒子が言葉を止めた瞬間、通話も切られてしまっていた。

「もしもし、黒子っち?黒子っち!」

ビジートーンだけが鳴る電話に何度も呼びかける。諦めた黄瀬は通話終了の画面を訝しげに見つめていた。
黄瀬のただならぬ様子を見ていた面々も動揺の表情を浮かべている。

「どうしたの、黄瀬くん」
「分かんねっス…でも、普通じゃない、何かあったんスよ!」


《後書きスペース》


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