episode 15
地獄へと続く回路 黄泉の鬼A
周辺の建物にも誰一人居らず、黒子は諦念を滲ませた表情で外に出た。途方に暮れ、とぼとぼと元いた場所へ戻る途中に入った黄瀬からの着信。彼の声の奥で飛び交うざわめきが酷く懐かしく感じる。ここから戻る方法を探す為に仲間達へ協力を仰ごうと口を開いたが、後ろを通り抜けた気配に、気づけば通話を切っていた。黒子は足音のする方向へ顔を向けた。スタスタと前を歩くのは、この街並みとは不釣り合いな白い着物を着た長髪の少女だった。その姿をはっきりと確認すると、自然と足は彼女の後を追っていた。
「すみません、待ってください!」
呼び止める声が聞き入れられていないのか、少女は足を止めることなく歩き続けている。駅からだいぶ遠ざかったところで、少女はするりと角を曲がり、裏路地に入ってしまった。黒子はハッとして追う足を速める。しかしそこに少女の姿はなく、静寂に包まれ影を落とした路地が伸びているだけだった。
肩で息をしながら立ち尽くしていると、気配が再び背後に蘇る。反射的に振り向いた黒子の双眸に映ったのは、追っていた筈の少女だった。切れ長の目に艶やかな黒髪が美しい、落ち着いた雰囲気の少女。じっと見つめる目に冷たさを感じた黒子は一瞬たじろいだが、少しの間を置いて少女に尋ねた。
「あの、ここは一体どこなんですか」
しかし答えは返って来ない。沈黙に耐え兼ねた黒子は再び言葉をかけようとしたが、少女が口元を釣り上げ後ろを指差したのを見て咄嗟に口を噤んだ。黒子は言い知れぬ恐怖を一身に感じながら振り向く。
「え…」
ふわり、と芳香が鼻を通り抜けた。ついさっきまで狭い裏路地に居た筈なのに、今視界を占めているのは広漠とした花畑だった。眩しいくらい鮮やかな黄金色にただただ驚倒するばかりで、身体を動かすことができないでいた。そんな黒子の意識を引き戻したのは、ポケットで震える携帯電話。赤司からだ。
「赤司くん…」
『テツヤか?今どこにいるんだ』
「それが、周り中花畑で…僕、違う世界に来てしまったみたいなんです」
『違う世界…どういうことだ』
そんな事自分が教えて欲しいくらいだ。普通に過ごしていただけなのに、気がつけば周りに人影は無く、挙句の果てには場所すらも分からない所に来てしまうなんて。ぐるぐると脳内を駆け巡るのは、今日一日の自分。おかしなところなんて――
「…黄泉ネット」
あった。コンピュータ室で作業をしていたあのとき、確かに黒子は黄泉ネットの門を叩いていたのだ。
「黄泉ネットの仕業です、きっと」
『黄泉ネット?』
「ネット上のどこかにあると言われている、あの世と連絡が取れるホームページのことです。お願いです、学校のコンピュータ室に行ってみてくれませんか。さっきそこのパソコンで、僕は一瞬黄泉ネットの入口を見つけたんです。パソコンを調べれば、何か分かるかもしれません…!」
『分かった、すぐに向かう』
いつもと変わらない赤司の声色に何故か安堵した。その堂々たる姿は容易に想像できる。通話は切られ、黒子はまた不気味な程広い花畑に一人となった。携帯を強く握り締め、お願いしますと小さく告げる。声は届かずとも、思いはきっと届いていると信じて。
「…とにかく、歩いてみましょうか」
ただ黙って待っているわけにはいかない。一呼吸置いた黒子は、打開策の糸口を掴む為に無限の花畑を踏みしめた。しかしその歩みは、地下深くから響いてくる轟音によって止められてしまった。重い響きが腹の底にまで伝わってくる。その音は黒子との距離を急速に縮めているようで。探るような黒子の目に飛び込んできたのは、無垢な花々に根を下ろさせていた地面が、凄まじい音と共に崩れていく様だった。驚きよりも焦りが勝った黒子は当然反対方向へと逃げ出す。吹き飛ぶ花弁をかき分けながら懸命に走り続けたが、後ろばかりを気にしていたせいで前からも同じ驚異が襲いかかってくることに気が付いたときには、もう手遅れ。逃げ場を失った黒子は、残った僅かな足場からも引き離され深い闇の底に落ちていった。
パクンと携帯を閉じる赤司の声がけで、一同は学校のコンピュータ室へ急行することとなった。言われるがまま走っているが、何が起こっているのか皆目見当がつかないという顔を見せた青峰達に由美が概括して説明した。悠々とした放課後を過ごしている生徒達の目には、緊迫した様子で廊下を駆け抜ける赤司達は奇異に映っただろう。バタバタとコンピュータ室に駆け込むと、中央列の一台が目に飛び込んできた。
「このパソコン、電源が入ってる!」
「何か映っているぞ」
「あ、黒ちん」
乱れる画面にぼうっと浮かび上がった黒子の姿に皆が身を乗り出した。
「どうするんスか!?」
「どうするったって…もしテツがネットの中に閉じ込められてるんなら、下手に触れないだろ!」
青峰の言う事は尤もだ。けれど、黒子の身にいつ何があってもおかしくない。どうにかしなければいけないのはこの場にいる全員が分かっているが、何をどうすればよいのかが全く浮かんでこない。
こうして立ち尽くしている間に、ザァザァと大雨のような騒音を立てるパソコンの画面は乱れを増していき、ついに黒子の姿は確認できなくなってしまった。
* * * *
「…なんとか助かったみたいですね」
目を覚ますと赤々とした世界が広がっていた。あんな高さから落ちたというのに痛みは殆ど感じない。黒子はむくりと起き上がりふと後ろを振り向くと、崖下に白い着物を着た人達が列を成しているのが見えた。人がいることに安堵した黒子は、小高い崖から滑り落ちるように下っていきその列に駆け寄った。しかし、列に並んでいる一人の顔を見た瞬間、安堵の表情が蝋燭の灯火のようにフッと消えた。
「(…あの人、確か三日前に急死した…)」
虚ろな瞳で佇むその人の死は、テレビや新聞で大きく取り上げられていた。芸能界に疎い黒子でも、その名を聞けばすぐに顔が思い浮かぶ程の有名俳優だった。亡くなった筈の人間が何故こんなところにいるのだろう。急激に胃が熱くなったような気がした。石の河原、船に乗る人達。これから想像できるものとは――
「まさか…」
「三途の川よ…さぁ行きましょう」
ハッとして振り向いた先にいたのは、ずっと追いかけていた黒髪の少女。初めて聞いたその声は低く、淡々としている。
「…お断りします」
「どうしても?」
黒子は小さく返事をしながら頷いた。
「…じゃあ仕方ない、それなら……無理にでも船に乗せてやる…!」
少女の首が一回転したかと思うと、美しかった顔は般若の形相になり小柄だった身体も見る見るうちに大きくなっていった。自身の倍はある大きな手が振り下ろされんとする前に、黒子は雲を霞と逃げ去った。
同時刻。由美達はパソコンがビリビリと振動してしまう程の怒号に目を見開いた。画面は相変わらず乱れており、得体の知れない化物がいるということ以外はネットの中で何が起こっているのかは伺い知れない。焦慮に駆られた青峰はパソコンを強打して回復させようと試みるが、変化は露程も見られなかった。
「くそっ、どうなってやがんだよ!」
叩いた手をさすりながら渋い顔をしている青峰の横で、赤司はもう一度黒子とコンタクトを取ろうと携帯を耳に当てがっていた。かけ始めてからもう十分は経とうとしている。
「赤司くん、どう?」
「さっきからかけているけど……あ、繋がった」
全員の視線が赤司に集まった。青峰、黄瀬、桃井の三人は黒子の現状を少しでも知ろうと身を乗り出している。
「テツヤ?よく聞こえな………三途の川?」
「え…もしかして、黄泉ネットって三途の川の入口だったりすんの?」
僅かに黒子の声を聞いたらしい赤司が眉を顰めた。どうやら聞き取れたのはその言葉だけらしく、その後何度も応答を乞うがハウリングに邪魔されて聞き取れないようだった。その様子をじっと眺めていた紫原は咥えていたキャンディをパキンと噛み砕き、赤司の言葉から黄泉ネットの実態を推察した。ぞわりと背筋に冷たいものが走った刹那、急に映りが良くなったパソコンの画面を白い着物の化物が横切った。
「ひっ…今何か映ったっスよ!」
「あれは…鬼婆、か?」
「そういえば、三途の川の岸には“奪衣婆”とかいう鬼婆がいるって話、聞いたことある…!」
緑間が呟いた悍ましい名前に桃井がハッとして言った。
「三途の川…鬼婆…黄泉…」
由美は今まで出てきた単語をポツポツと口にし、それはパズルのピースがひとつひとつはめられていく様に形を成していく。一点を見つめ屹立していた由美は、「白戸?」という緑間の声を合図に鞄から素早く日記を取り出した。
「確かあった気がするの…あ、これ!二月七日、町で神隠しが連続して起こる。これは黄泉路の鬼の仕業に違いない。道に迷った人々を黄泉路に誘い込み、三途の川へ連れて行く…!」
「霊眠させる方法は?」
「黄泉路から生還するには、御札を掲げて“帰りたい”と念ずる…これ、霊眠の方法じゃ…」
「それでテツを助けられんならいいじゃねぇか!」
そうだ、とにかく今やるべきことは黒子を呼び戻すこと。動揺しかけていた由美は心中で青峰に感謝した。日記には文章の横に御札が貼り付けられており、これを使えばいいというのは勿論判るが、浮かんでくる問題がひとつある。
「この御札、どうすればテツ君に渡せるの?」
「…もしかしたらできるかも!青峰くん、ちょっとごめん」
「おう、何すんだ?」
由美はスキャナーの原稿台に日記を置いた。スキャナーは絵や写真をパソコンに取り込むことができる――つい先日黒子に教えて貰ったことがこんなところで役に立つとは。
「緑間くんお願い!このページの御札、パソコンに取り込んで!」
「分かった」
「由美ちん、何すんのー?」
「黒子君に、御札を送るの!」
* * * *
黒子は限界を越えても尚走り続けていた。追われている限り足は止められない。元々体力は少ない方だったが、正直ここまで走っていられるとは思わなかった。しかし余裕なんてものは初めからない。一心不乱に逃げていたせいか、黒子は水音を聞いて初めて自分が川に入っていたことに気がついた。ハッとしてすぐに踵を返そうとしたが、水面から突き出した夥しい数の腕に両足を拘束されてしまった。広がっていく波紋にすら遺恨を感じるのは、ここが三途の川だと判っているせいなのか。
「船に乗らなきゃ三途の川は渡れないよ…それともここで溺れ死ぬのかい…?」
鬼婆がこちらにゆっくりと近づいてくる。一刻も早くこの拘束を解かねば本当に三途の川を渡ることになる。何としてでも逃げ出したいところだが、力の差は歴然としている。
「っ、どちらもお断りします…!まだまだ生きて、やらなければならないことがたくさんあるんです!」
伸びてくる鬼婆の手が止まった。それは黒子の叫びにではなく、突如目の前に現れた強い光のせいだった。その眩さに思わず右腕で遮蔽したとき、ずっと握っていた携帯から赤司の声を聞き取った。通話は切れていなかったのだ。
「赤司くん、この光は…」
『テツヤ、御札を取れ。それを掲げて“帰りたい”と念ずるんだ』
腕をどければ、御札は確かにそこにあった。黒子は渾身の力を振り絞って拘束を解き、手を伸ばした。そうはさせまいとした鬼婆にタッチの差で勝り、御札を掴むことに成功した。
「お願いです、僕を元の世界へ帰してください…!」
その瞬間、先程とは比べものにならない光が黒子を包む。白一色の視界に、ぐらぐらと脳を揺さぶられたような目眩がした。
「黒ちんいたー」
――気がつけば、紫原に見下ろされていた。目をぱちくりさせていると、気付いた由美達が駆け寄ってくる。
「テツ!」
「黒子くん!」
「黒子っちー!」
「テツ君…!大丈夫!?」
「…寿命、縮みました」
拳を開けば、くしゃくしゃになった御札がある。それを見て、やっと“戻って来た”という実感が湧いてくる。急激に環境が変わると、その分疲れがどっとのしかかってくるのは本当だった。黒子の場合、それが異世界だというのだから疲労感は相当なものだろう。桃井の手を借りて立ち上がると、皆の頬笑みがより近くに映る。
「皆さん…本当に、ありがとうございます」
* * * *
「――しっかし、今度のヤツはなんだったんだろうな。三途の川とか鬼婆とか、そんな古臭いものがなんでネットなんかにあんだよ」
空には茜色の残照が浮かんでいた。校門から伸びる石段に腰を下ろしていた面々は、疑問符を浮かべる青峰を一瞥した。
「引っ越したんじゃないの?」
「は?」
紫原の提言に青峰は間延びした声をあげた。それに答えるように赤司が口を開く。
「日記にも書いてあったじゃないか。道に迷った人を連れて行くって。最近じゃ夜道も明るいし、道に迷う人もあまりいないからね」
「成程。霊も闇を求めて、インターネットの世界に迷い込んだということか」
霊にもいろいろと事情はあるらしいが、生身の人間を巻き込むようなことだけはやめてほしいものだ。なんて、ぼやいても仕方ないことなのだが。由美がぼんやりと考えていると、腹鳴りが耳を通り抜けていった。どうやら犯人は紫原のようだ。
「ねーねー俺腹減ったー」
「よーし!今度こそみんなでシェイク飲みに行こっか!」
「おう、黄瀬の奢りな!」
「えぇ!?」
「さんせーい!行こ、由美ちゃん、テーツ君!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっスー!!」
由美達は意気盛んに石段を降りていく。八人の長い放課後は、まだまだ終わりを見せる気配はなさそうだ。
《後書きスペース》
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