episode 17
出口なきトンネル 穴まねき@
「えっと、2.2度かな。午後五時十七分、2.2度っと」
「マジかよ、さみーわけだな」
開発が進んでいく帝光中学校の裏山。冷たく乾燥した空気が木々の衣を変えつつあった。
桃井と青峰はマフラーに顔を埋めながら、百葉箱に設置してある温度計を覗き込んでいた。こんなところで一体何をしているかというと、理科教師の杉乃に頼まれて山の気温を測りに来たのである。しかし仕事をしているのは桃井のみで、青峰は寒さに震える身体を摩って桃井が計測を終えるのを待っているだけだった。
桃井が持っていた用紙に測定値を書き終えると、刺すような風が二人の身体をかすめていった。一気に体温が下がったような感覚に、桃井は百葉箱の扉を急いで閉めた。
これからまた山を下りていかなければならないと思うと気が滅入る。それに加え、辺りをうっすらと霧が包み込み始めていて気味が悪い。微かな悪寒が走るこの環境下のせいで、二人の足取りは自然と早くなっていた。
「杉乃も杉乃だよなー、山の気温を測ってこいだなんて。もし俺らに何かあったらどうすんだよ、職員会議にかけられて校長に説教されちまうぜ」
「もう大ちゃんってば、文句ばっかり言わないの」
ぼやく青峰に口を尖らせつつ進んで行けば、霧の中からうっすらと看板を真ん中にした分かれ道が現れた。夜間工事中通行止め迂回してください、という看板の文字を辿ると、桃井が不安そうに目を細めた。青峰も小さく「マジかよ」とげんなりした声で呟いたが、工事中の道を通るわけにはいかない。胸中に霧が充満するのを感じながら、迂回路へ歩を進めた。
「まいったなー…迂回って言っても、こんなところに道なんてあるの?」
空を飛び回るカラスに監視されているような気分だ。加えて視界は次第に濃くなっているような霧でだいぶ狭まってしまっている。どこから何が出てくるか判らない恐怖感で身が竦んでしまいそうだった。
「なんだ…?」
そびえ立つ“何か”を目の前に感じ、青峰が立ち止まった。桃井も足を止め、眉を潜める青峰を見上げる。
その時、待っていたと言わんばかりに霧がゆっくりと晴れていった。開けた視界に飛び込んできたのは、すっかり寂れてしまったトンネルだった。頼りない常備灯が中を照らしているが、圧倒的に暗さが勝っており、その灯りはただの飾りでしかない。鬱々として先の見えないトンネルに、青峰と桃井はよく分かる程に顔を強ばらせていた。
「ひ、引き返そうよ」
「……だな」
桃井が上ずった声で言う。それに対し青峰は素直に頷き、二人揃って踵を返す。しかしその足は霧の中でぼんやりと浮かび上がった光に止められた。
桃井は「何あれ」と口に出しながら動揺気味に青峰の制服の裾を掴む。目を凝らしてみると、それはタクシーのライトだということが判った。運転手の男が二人を捉えると、車はゆっくりと前進し始めた。
「お客様…お乗りになりませんか…?どうぞお乗りください…」
じりじりと詰められていく距離に、青峰と桃井は思わず後ずさる。だが後ろにはトンネルがある。恐ろしいものに板挟みにされってしまった二人は、互を一瞥し半ば捨て鉢な思いでタクシーの横を全速力で駆け抜けた。
「け、結構です!!」
そう叫んだ声は、見下ろしている木々に反響して暫く辺りを漂っていた。
その場に取り残されたタクシーは、再び濃くなっていった霧の中でブレーキランプを赤々と光らせていた。
* * * *
「え、あれ“たぬきあな”トンネルじゃねぇのか?」
「“狸穴(まみあな)”トンネルだよ、大輝」
翌日の昼休み。青峰は焼きそばパンを口に含みながら素っ頓狂な声をあげた。向かい側に座っていた赤司は青峰の様子に少々呆れながらも彼の疑問に答えを与える。
青峰と桃井から、昨日遭遇した奇妙な出来事を教えられた由美達は、驚くわけでも怖がるわけでもない、至って普通の反応を見せていた。由美は話しに出たトンネルもタクシーも、環境のせいで恐ろしく見えてしまっただけなのではないか、と軽く首を捻っていた。しかしそれは自分が身を持って体験していないから言えることなのかもしれない。
「狸穴トンネルは、もうずっと閉鎖されてたんだ。でも夜間工事で迂回路が必要になって開かれたんだね」
赤司が考え込むような顔つきで言った。
「大ちゃんってばずっとビクビクして頼りないったらありゃしないんだから」
「なっ…!お前だってキャー怖いーなんて言ってさっさと逃げてったじゃねぇか!」
「言ってないじゃないそんなこと!」
「いいや言った!俺は確かに聞いたぞ!」
「まぁまぁ二人共そんな興奮しないで…」
桃井の言葉を皮切りにぎゃあぎゃあと口論が始まってしまった。黄瀬の制止など耳に入れようとせず、青峰と桃井は睨み合って「言った」「言ってない」を往復させている。由美は目をぱちくりと見開かせてその様子を見ていた。二人が幼なじみだということは知っていたが、こういった姿を見たのは初めてだ。
「二人共うるさいぞ。静かにしろ」
「…ごめんなさい」
赤司にぴしゃりと言葉を叩きつけられ、二人は声を揃えて瞬時に大人しくなった。あまりにも息がぴったりで、由美は自然と頬が緩むのを感じていた。
放課後。冷たい風がひゅうひゅうと木の葉の隙間から流れてくる山の中を、青峰と桃井を先頭にして 、赤司、黄瀬がぞろぞろと登っていく。その後ろには呆れ顔でついていくあまのじゃくの姿があった。
今日も山の気温を測らなければならないらしく、昼間の話しがなんとなく気になった由美達は二人に同行する事にしたのだ。この山の斜面は緩やかで、登るのはそれほど苦ではなかった。青峰達はさすが運動部ということもあってか、まるで舗装された道を進んでいるかのようにさくさく登っていた。
「ホント、もの好きな集団だな…」
そう呟いたあまのじゃくの声は、カラスの鳴き声に重なって由美達に届くことはなかった。
「――ねぇ、そのトンネルってどうして閉鎖になったの?」
それから十五分程で百葉箱の設置場所に着いた。先日と同じく桃井が温度を測っている脇で、古びた木製ベンチに腰掛けた由美が赤司に尋ねた。隣に座っていた赤司は由美の問いに対してふと考え込むような顔つきになり、一息置いた後口を開いた。
「昔、そのトンネルの中で原因不明の事故が起きたんだ」
「原因不明?」
「そういえば何年か前に、心霊番組の取材で来たスタッフが行方不明になったこともあったっスね」
「な?やっぱりあのトンネルはヤバイんだよ。だから俺らも昨日あんな目に…」
黄瀬の呟きに青峰が眉を潜めて身体をさすった。そんな話を聞いてしまうと、昼間の考えがいとも簡単に覆されてしまう。由美は気温とはまた別のゾッとする寒さを背中に感じていた。上を見上げると、木々の間にぽっかりと穴が空いたように空が見える。なんとなく、深い深い篋底に閉じ込められたような感覚に陥った は、頭を振ってその考えを無理矢理にかき消した。
百葉箱の扉を閉じた音を聞き、由美と赤司はベンチから立ち上がる。ふと赤司がこちらをじっと見ていることに気がついた は、首を傾げて彼に疑問の意を送る。すると赤司は由美の微妙な変化を感じ取っていたのか、「大丈夫だよ」と優しく囁いて微笑んだ。本当に赤司の目に見えないものなどないんじゃないか、と思いながら由美は赤司の背中をじっと見つめていた。
「あっちがそのトンネルだよ。山の裏側を通る道もあるけど、とても歩いて帰れないし…」
下山の途についた一行は、看板が立っている分かれ道にたどり着いた。桃井が指差した方向にも相変わらず霧が充満しており、先がどうなっているのか確認できない。五人は輪になって顔を見合わせた。
「じゃあ行こうか。ここから歩いて帰るにはトンネルを通るしかないようだからな」
何の気なしに言う赤司に対し、青峰達はぎょっとして赤司に視線を向けた。四人の表情を見た赤司は「そうするしかないだろう」と言いきった。確かに工事中の看板を越えて行くわけにもいかないし、歩いて行けそうにない道を無理矢理進むわけにもいかない。とすれば、赤司の言うようにあのトンネルがある道を選ぶしかないわけで。真っ当な意見だっただけに、四人は何も言い返すことができなかった。
「…私、何か嫌な予感がするんだけど」
「ちょ、何言い出すんスか由美っち…!」
由美が言い知れぬ不安を口に出すと、黄瀬が耳を塞いで顔を青くした。
仕方なしにトンネルへ足を向けようとすると、青白い光がパッと五人を照らした。何だと目を向けると、青峰と桃井がハッとして指を指す。
「あぁ!あれあれあれ!幽霊タクシー!」
どうやら昼間言っていたタクシーのことらしく、二人は口元を引きつらせ立ち尽くしていた。
タクシーは由美達の前で止まり、開かれていく窓から中年の男性が顔を出した。
「…お乗りになりませんか?」
「え?」
穏やかな雰囲気の運転手はにっこりと笑って後部座席を指差した。由美達は当惑したが、赤司の「お願いします」という一言でタクシーに乗り込むことを決めた。赤司がいれば大丈夫だろうという気持ちがどこかにあったのかもしれない。
「あのトンネルは昔から良くない噂がありましてねぇ…私は通らないようにしてるんですよ」
「え、でも昨日は…」
その言葉に桃井が反応すると、運転手はミラー越しに後部座席を見た。左から桃井、由美 、青峰、黄瀬の順番でぎゅうぎゅうに詰め込まれている。赤司は助手席だ。
「あれ、お二人は昨日の。いやぁ、あのトンネルの方に行くのが見えたので、連れ戻そうと思ったんですけど…怖がらせてしまったみたいだね、ごめんよ」
運転手の言うことが本当なら、青峰と桃井は恐怖のあまり勘違いをしてしまったということになる。由美の両脇で、二人は申し訳なさそうに口を結んで視線を泳がせていた。
その間にも、タクシーは連なる木々に囲まれた道をどんどん進んでいく。ふと、由美 の腕の中にいたあまのじゃくが耳をピクリと動かして目を細めた。
「…あの、運転手さん」
それまでじっと黙っていた赤司が口を開く。その目がメーターを見ていたことに気付いたのか、運転手はうっすらと笑った。
「あぁ、料金は気にしないで。別に商売で乗せたわけじゃないから……」
赤司が気にしていたのはそんなことではない。メーターに表示されていた160という初乗り運賃。今の時代に、そんなタクシーが存在するわけがないのだが。
「この車はいつ購入したんですか?」
「おろしたての新品だよ。二ヶ月ってところかな」
「二ヶ月?でも…」
この車は明らかに型の古いものだった。あまり車に精通しているわけではないが、赤司はこれが1970年代頃のものだということは判っていた。そう考えると、料金が160円だったのにも納得がいく。つまりこのタクシーは昭和四十年代のものなのだ。
しかし、もう後戻りができない状態にあった。運転手はニタリと笑って 達に顔を向ける。
「…そろそろ着いたみたいですねぇ………狸穴トンネルの入口です…!」
穏やかな男性の顔が、腐敗して血だらけの骸に変貌した。逃げることも許されず、車内に響く悲鳴は無明のトンネルに吸い込まれていった。
「――いってー…くそ、何が起こったんだよ」
五人が目を覚ますと、そこはトンネル内部だった。湿った空気と陰鬱な雰囲気が漂っており、いつどこから何が出てきてもおかしくない。 と桃井は身を寄せ合って互いの手を握った。
「早く出たほうがよさそうだな」
「みんなっ、あれ…!」
赤司が頭をさすっている横で、黄瀬がひゅっと悲鳴を喉に通らせて声をあげた。
黄瀬が指差した先には、地面をずるずると這いずっている黒い影があった。その数は次第に増えていき、由美達目掛けて勢い良く近づいてくる。
「なんなのよ…」
「とにかく逃げるぞ!」
青峰の一声で五人はトンネルの入口へ向かって走り出したが、黒い影は既に数え切れない程に増しており、皆の行く手を塞いでいた。怨念の集合体のように思えるその黒い影は、五人を取り囲んで足元から順に伝っていった。蠢く影が身体をどんどん支配していく様に戦慄した。抱き合って涙を浮かべる由美と桃井の顔にも、黒い影が浸透していく。
「いやああああ!!」
谺する悲鳴も、終いにはその影に呑み込まれていった。
トンネルに残ったのは、ちりちりと今にも消えそうな常備灯の灯りだけだった。
《後書きスペース》
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