episode 18
出口なきトンネル 穴まねきA


薄曇りの空に、鈍色の冷たい墓石が妙に溶け込んでいる。あまり気持ちのいい目覚めではない。
生い茂った木々の葉から落ちた水滴に瞼を濡らされ、青峰は完全に覚醒した。ゆっくり身体を起こして辺りを見回す。先程まで雨が降っていたのだろうか、地面は僅かに濡れており、なんだか空気は湿っていた。

「…どこだここ」
「墓地、みたいだけど」

隣にいた桃井が立ち上がり、スカートに付いた汚れを払い落としながら言った。
霧のかかった山、古びたトンネル、そして墓地。この短時間で場所を転々としてきたが、どこもあまり長居したくない場所ばかりだ。青峰は胡座をかいて頭を掻くと、今まで一緒だった三人がどこにも見当たらないことに気が付いた。

「赤司達は?」

青峰の疑問に対し、桃井は無言でかぶりを振る。その事実を改めて確認したことで一気に不安が流れ込んできたのか、桃井は身を縮こませるように蹲った。

「どこに行っちゃったのかな…」

かき消されそうな声で呟く桃井を見た青峰は、彼女の頭を少し乱暴に撫でて重い腰を上げた。軽く伸びをして桃井を一瞥した後、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。

「ちょっくらこの辺調べてくる。さつきはここにいろ」
「う、うん…」

正直一人この場に残ることになるのは少し心細かったが、桃井はそれをぐっと我慢して素直に頷いた。不安なのは、自分だけではない。
達はきっと無事であると信じて、今自分に出来ることを探すべく立ち上がった。


* * * *


「おい、いつまで寝てんだ。起きろ」

聞き慣れた小憎らしい声が微かに耳に通ってくる。ふさふさした尻尾で器用に頬を叩かれていることに気付いた赤司は、素早くその黒い尻尾を振り払った。
どのくらいここに寝ていたのだろうか、背中が痛い。どうやら赤司は浅い水たまりに足が浸っていたようで、靴から足に染み渡った泥水で気持ちが悪い。まだ僅かにぼんやりする頭で、今自分達が置かれている状況を順番に把握していった。
周りを見ると、鬱蒼とした光景が広がっていた。苔に覆われた岩。まるで怨念を蓄積させているような程に濁った土。そして極めつけは、誰ものなのか分からない無数の人骨。この光景にはさすがの赤司も思わず目を逸らしてしまう。

「…… は?」

横で毛繕いをしているあまのじゃくに尋ねると、彼は鼻先で赤司の後ろを示した。
バッと振り向けば、そこには仰向けになって倒れている の姿があった。

「 、大丈夫か」
「気を失ってるだけだ」

一瞬ヒヤッとしたが、あまのじゃくの言葉に少し安心した。 の制服に付着していた泥を払い落とし、赤司は再びあまのじゃくと視線を絡ませる。

「此処はどこだ。何故僕達はこんなところにいる」
「穴まねきの仕業だ。トンネルで死んだ霊は、寂しくてしょうがないのさ。長い間、暗くてジメジメした穴ん中に閉じ込められているんだからな…そして仲間が欲しくて、人間共をトンネルの中に引きずり込むんだ」

恐らく、トンネル内で襲ってきた数多の黒い影が穴まねきなのだろう。長い年月が経っているとはいえ、あれだけの数の怨念が彷徨っているということに赤司は総毛立つのを感じていた。

「なら、その穴まねきの霊眠方法が判れば何とかなるんだな」
「…そう上手くいくかな」

ぽつりと零れたあまのじゃくの言葉を聞き流し、赤司は の鞄からお化け日記を取り出した。パラパラとページを捲っていく音だけが響く。
丁度真ん中あたりだろうか、百合子の文字で書かれた「穴まねき」の文字。赤司はひと呼吸置いて文章を読み始めた。

「…その日、私は狸穴トンネルの穴まねきを霊眠させようと試みたが、その霊の持つ生前のこだわりが強く、私自身がその怨念に吸い寄せられ…引きずり込まれる寸前で逃げ出した。今の私にできることは、あのトンネルに近づかないことだけだ……か」
「やっぱりな」

あの百合子でさえ、太刀打ちできず逃げる他なかったという穴まねき。当然、自分達にも霊眠することは不可能なのだろう。仲間達の行方も、ここがどこなのかも判らないこの現状は非常に危険だ。穴まねきに完全に引きずり込まれる前に一刻も早くここから離れなければ、と赤司は日記を静かに閉じた。

「とにかく、あいつらを探さないといけないな。… 、起きて」
「…あ、赤司…くん?」

肩を優しく揺すると、 はうっすらと瞼を開けて起き上がった。口を半開きにして呆然と周囲を見渡しているが、赤司やあまのじゃくが一緒にいるおかげか、なんとか平静を保つことはできていた。
だがここにいない桃井、黄瀬、青峰が心配だ。特に桃井は女の子である。三人一緒か、せめてどちらかといてくれていればいいのだが、と は皺になったスカートを握り締めて事態を憂慮した。
――そのとき、すぐ横をピンク色のワンピースを着た少女が嬉々として駆けて行った。赤司と はその少女の背中を咄嗟に目で追うと、そこにはどこにでもあるような一軒家の玄関が浮かび上がっていた。二人は少々混乱しつつもその光景をじっと見つめる。押し開けられた玄関ドアから入ってきたのは、スーツ姿の中年男性だった。少女の父親なのだろう。

お父さん、お帰りお父さん!
ただいま、和美
ねぇ見て!あたしね、今日算数のテストで百点取ったの!ほら!
ほう、偉いなぁ
おばあちゃんからみかん届いてるよ、一緒に食べよう!

ごく普通の、微笑ましい親子の会話。和美と呼ばれた少女は鼻高々にテスト用紙を掲げており、父親も顔を綻ばせ和美の頭を撫でていた。やがて二人は手を繋いで玄関から立ち去っていく。

「何なの、これ…」
「穴まねきが思い出を見せてるんだよ」
「何の為に」
「さぁな」

二人の疑問に対し、あまのじゃくは顔をしかめてそう言うだけだった。


――同時刻。全く見覚えのない火葬場に黄瀬はいた。建物の影から、喪服に身を包んだ人々を訝しげに見つめる。黄瀬はなんとなく、先頭にいた少女が気になっていた。隣に母親らしき女性が立っていることからして、亡くなったのは父親だろうか。様々な疑問が黄瀬の中で渦巻いて、心臓が早鐘を打つ。
と、出し抜けに後ろから肩をぽんと叩かれた。

「わああああ!」
「ちょ、静かにしろ!」

口を塞がれ、怖々と振り向けばそこには見慣れた褐色の肌。

「青峰っち…脅かさないでくださいっス」
「赤司と は?」
「わかんねっス…人影が見えたんで追ってきたら、ここに」

煙突から伸びる黒い煙が薄暗い空に消えていく様子を眺めながら、黄瀬と青峰はがっくりと肩を落とし嘆息した。

一方、墓地に残された桃井は青碧の着物姿の老婆が墓に向かって手を合わせているのを発見した。老婆が立ち去ったのを確認し、彼女が手を合わせていた墓の前に立つ。線香の細い煙が立つ奥には、写真立てがひとつ置いてあった。

「これは…あのタクシーの運転手さん」

写真の中で穏やかに笑うタクシーの運転手。その両隣には先程手を合わせていた老婆と、ピンク色のワンピースを着た二つ結びの少女。
桃井は丁度コートのポケットに入っていたみかんを写真の隣に置いて手を合わせた。

あの…父の知り合いの方ですか?

ハッとして声のする方に顔を向けると、写真に写っていた少女が袋いっぱいのみかんを抱えて立っていた。桃井は咄嗟に立ち上がり一歩下がる。

「あ…お父さんのタクシーに、乗せてもらったことがあるの」
そう…お父さん、みかんが大好きだったの

墓の前に立った少女は袋から二個みかんを取り出して、桃井が置いたみかんに重ねた。まだ小学生くらいであろうこの少女は、一番身近な存在の父の死をどのように受け止めているのだろう。
桃井は墓に手を合わせる少女の小さな背を、ただじっと見つめていた。


* * * *


「眠いよ…赤司くん」
「だめだ、 …目を閉じては…」

と赤司の目の前では、相変わらず親子の微笑ましい光景が広がっている。しかしそれとは裏腹に二人の顔は真っ青で、今にも倒れ込んでしまいそうな程だった。震える の肩を抱く赤司の手も弱々しい。

「生気を吸い取られている…!」

あまのじゃくが小さく舌打ちすると、再び親子の会話が聞こえてきた。今度は居間のこたつに二人仲良く入ってみかんを剥いている。

ねぇお父さん、あたしがみかん剥いてあげよっか
はは、いいよ、自分でやるから

「 達の命を消費しながら、過去の記憶を再現してるんだ」

二人の会話が進むにつれて、 と赤司の顔色はどんどん悪くなっていく。完全に力が抜けてしまった身体は、お互いに凭れることでなんとか支え合えている状態だった。必死に瞼を閉じないようにするが、もう限界に近い。

ふふっ…もう、お父さんたら
これ剥きづらいなぁ
ねぇお父さん、いいものあげる
なんだい?
お守り。あたしが作ったのよ
和美が作ってくれたのか、ありがとう

和美が差し出したのは黄緑色の布に赤い糸で「お守り」と刺繍されたものだった。これは確か、タクシーに乗ったときバックミラーに下げられていたものだとあまのじゃくは思い出した。
赤司もまた薄れゆく意識の中で、車内で揺れていたお守りのことを思い出していた。しかし、それ以上の事を考える余裕は既にもう無くなっていた。

「身体に…力が、入らない…ス」
「ダメだ…目を閉じちまう…」

火葬場にいた黄瀬と青峰もぐったりと壁に寄りかかっていた。まるで鉛が乗ったように身体が重い。そして眠い。
墓地にいた桃井も真っ青な顔で頭をおさえ、なんとか意識を保とうと必死になっていた。

――赤司くん、赤司くん目を覚まして。私の声に意識を集中させてください。

優しい声が聞こえる。赤司は閉じかけていた瞼を開け、どこからか聞こえてくる声に耳をすませた。
それは今までも何度か聞いたことがある、 の母親の 百合子の声だった。

「…百合子さん、ですか」
――えぇ。そこは、生と死の狭間の世界。幸か不幸か、今だけあなたと直接お話できるの。最も、今まで一方的にあなたに話しかけていたことは何度かあったわね。赤司くんよく聞いて。あなたが見ているのは、穴まねきが作り出した幻想なのです。顔を上げて見てごらんなさい…何が見えますか?
「何が…」

顔を上げ、細められた目で赤司は何かを捉える。ぼんやりと浮かんできたのは「赤司征十郎の墓」と書かれた墓石だった。ふと気がつけば、探していた他の三人もぐったりとした姿で互いの背中にもたれ掛かっていた。それぞれの名前が書かれた墓石も目の前に立っている。

――目を覚まして、そして自分の墓石を壊すのよ。
「でも、どうやって…」
――それは幻想…イメージに過ぎません。何でもいいのです。壊す自分をイメージするのです…!
「イメージ…壊す…!」

赤司はイメージした。大きく固い石で墓を叩き壊す自分を。墓石には亀裂が入り、ガラガラと音を立てて崩れ去った。そのおかげで身体はすっかり元通りになり、未だぐったりしている四人を振り返って呼びかける。

「お前達、起きろ!起きて自分の墓を壊すんだ!」
「…お墓を、壊す…?」

赤司の声に 達は目を開き、自身の墓を壊すイメージを浮かべた。 は巨大な槌で叩き壊し、桃井はダイナマイトで爆破、黄瀬は剣で真っ二つ、青峰はブルドーザーで粉々にした。
全ての墓が壊され、ハッとしたときにはもう五人は狸穴トンネル内に戻ってきていた。

「…助かったのか?……おい!」
「また来るっスよ!」

ほっとしたのも束の間、再びあの黒い影が五人に襲いかかってきた。一斉に反対方向へ逃げ出す。後ろを見る余裕もなく、ただ真っ直ぐに駆け抜けていく。
しかし、黒い影はまた五人を挟み撃ちにしようと前からも進んできていた。これではまたあの幻に引き込まれてしまう。いや、今度はどうなるのか判らない、もっと恐ろしい目に会うのかもしれない。
――万事休すか。
そう赤司が思ったその時、後方から車が猛スピードで走ってきた。しかもあれは自分達をトンネルへ連れ込んだ幽霊タクシー。だが、何かが違う。

「早く!乗ってください!」

ドアを開けた運転手は前のめりになって叫んだ。最初とは違う印象を受けたが、それは自分達を騙す為の演技だろうと、赤司以外の四人は乗車を頑なに拒否した。

「そんなこと言って、また…!」
「もう騙されないっスよ!」
「乗せてもらおう。…今度は大丈夫だから」

赤司は運転手に食ってかかる黄瀬と青峰の言葉を遮るように言った。その優しい口調に四人は押し黙ったが、運転手の急き立てる声にハッとして意を決した顔でタクシーに乗り込んだ。
ドアが閉まったのを確認すると、運転手は勢い良くタクシーを発進させた。ライトに照らされた黒い影はその眩しさに身を縮こませ、トンネルの両脇に避けていく。けれども未だ五人を引き込もうという思いの強さからか、タクシーの窓がドンドンと叩かれる。 と桃井は抱き合ってぎゅっと目を瞑り、黄瀬と青峰も耳を塞いでじっと耐えていた。

「――もう大丈夫だよ」

助手席からの赤司の声に、四人は目を開けた。黒い影はもうどこにもなく、静かなトンネル内を走行するタクシーの音だけが響いていた。過ぎていく常備灯が、車内の六人の顔を照らしている。

「…あの日は、雨の強い日でした。雷もひどくて、それでも私は一刻も早く家へ帰りたかった……娘の、誕生日だったんです」

運転手はゆっくと語り始め、バックミラーに下げられた手作りのお守りを一瞥する。

「せっかく和美が作ってくれたのに…」

土砂降りの夜。タクシーはスピードを上げ、深い水溜りの水を勢い良く飛ばして走行していた。娘の喜ぶ顔が見たい。早くプレゼントを渡したい。運転手はそのことだけを考えてハンドルを握っていた。

『もうすぐ帰るからな、和美』

しかし、狸穴トンネルに入ったところで前方から来たトラックと正面衝突。その衝撃でタイヤのホイールはトンネルの外へと転がっていき、草場に隠れるように倒れた。
運転手は娘の喜ぶ顔を見ることなく、潰れた車体の中で息絶えた。

――和美、誕生日おめでとう。それから、帰れなくって、ごめんな…

かけられなかった言葉。後悔しても、時は戻ることはない。五人はそれぞれが見た過去の記憶を思い出し、運転手の冥福を祈った。


* * * *


「うそ、もう朝になってる」

気付いた時には、トンネルの入口に立っていた。タクシーはもうどこにもいない。
今まで真っ暗な場所にいたせいか、降り注ぐ朝日が至極眩しく感じる。霧もすっかり晴れていた為、最初に訪れた時とは随分違う光景が広がっている。全く別なトンネルの前なのではないかと勘違いしてしまいそうな程だった。

「助かったんスね、俺達…」
「運転手さんに、感謝しないとね」

暫く呆然と立ち尽くしていたが、青峰が大あくびをしながら「帰ろうぜ」と催促した。山を降りる途中で、グレーのスーツを着た女性と出会い、狸穴トンネルまでの道を尋ねられる。赤司はそれに丁寧に応じ、女性は頭を下げ礼を言い去っていった。
歩いていく女性の背を見ながら が口を開く。

「ねぇ、今の人誰か判る?」
「さぁ、あんま見かけない人っスけどね」

黄瀬が首を傾げた。
女性は右手に花束、左手には赤いネットに入ったみかんをぶら下げていた。彼女が運転手の娘――和美だということに気がついたのは、どうやら赤司とあまのじゃくだけのようだ。

「…そんなことより、親に言い訳考えとかねぇと…」
「また叱られちゃうねー…」

またひとつ大きなあくびをした青峰と、しょんぼり肩を落としながら言う桃井。 とて同じ立場なのだが、その様子を見てなんだか安心してしまっていた。
幹久と悠にこっぴどく叱られるまで、あと少し。


《後書きスペース》


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