episode 19
話すメリー人形 恐怖の影@
時が経つのは早いもので、もう年末も近い十一月を迎えていた。
冷え込みも厳しくなり、街はマフラーやコートを纏った人達が殆どを占めている。そんな日の帰り道、 は自宅への道を歩きながら両手に白い息を吐き出して僅かな暖をとっていた。一緒に歩いていた赤司達バスケ部の面々も、マフラーに顔を埋めたりコートやセーターのポケットに手を入れてなるべく寒さに肌を晒さないようにして歩いている。
「急に寒くなったよね」
が歩く速度を緩めて空を見上げながら言った。暑さにも寒さにもあまり強くない としては少し憂鬱に感じる季節だ。隣を歩いていた赤司も「そうだね」と言いながら頷いた。首に巻かれた黒いマフラーを指で少し下げると、赤司の口から白く細い息が出る。
「明日はもっと寒くなるらしいよ」
「え、そうなの?…私明日から下にジャージ履いて登校しようかな」
「ダメっスよ っち!女の子がそんなだらしない格好しちゃ!」
「えー…だって寒いの嫌なんだもん」
のぼやきを聞いた黄瀬が眉を釣り上げた。やはりモデルであるだけに、美意識は高いようだ。ふと隣を見れば赤司もうんうんと黄瀬の言葉に同意するように頷いており、二人の美男子に板挟みにされた は反論もできず押し黙ってしまった。小さく口を尖らせた は同じ女子である桃井に意見を聞こうと後ろを振り返ったが、彼女は随分前に通り過ぎたゴミ捨て場の前にじっと佇んでいた。一体どうしたのだろう。
のぽかんとした顔に気付いた赤司達も何事かと次々に振り向く。
「さつきちゃーん?どうしたのー?」
の呼びかけに気付いた桃井は「ちょっと来てー!」と腕を上げて手招きした。ぞろぞろと踵を返した 達がゴミ捨て場に着くと、桃井は嬉々として水色のポリバケツの上に座っている人形を指差した。
「見て見て、可愛い人形!」
「ほんとだ、フランス人形かな」
その人形はプラチナブロンドのウエーブヘアで、頭頂部には真っ赤な細いリボンが飾られていた。服装はサーモンピンクのワンピースに白いエプロンがかけられており、どこか「不思議の国のアリス」を思い出させた。長い睫毛の下には澄んだコバルトブルーのグラスアイが輝いている。実によくできた人形だ。
「うげ、お前らこれのどこ見て可愛いとか思うんだよ。なんか気味悪いじゃねぇか…」
人形に見とれている桃井の後ろから覗き込んだ青峰が顔をしかめて呟いた。確かに彼の言う通り、今にも瞬きをして歩きだしそうな程緻密な作りだ。人形には魂が宿るなんてこともよく聞くし、ここ数ヶ月は非日常を過ごすことが多い。そのせいか、もしこの人形が手足を動かし言葉を話しても大して驚くことはないのだろうかなんて考えてしまう。
「すっげぇリアルっスねー…」
「でも結構綺麗ですよ、捨てられているにしては」
「そだねー。あ、でもほっぺた少し汚れてる」
紫原の大きな指が人形の右頬を指した。白い陶器のような肌に乗った薔薇色の頬紅が、汚れによって霞んでしまっている。 はポケットから白いハンカチを取り出し、それに少量の唾液を付けて頬に付いた汚れを拭き取った。綺麗になった肌を見て は満足気に微笑む。
「 …捨ててあるものにそんなことをしても意味がないだろう」
「そりゃ、そうかもしれないけど。まぁいいじゃない!さ、帰ろうみんな!」
呆れ声の緑間に はへらりと笑い返しハンカチをポケットにしまった。いくら捨てられてているとはいえ、あんなに綺麗な人形が汚れたままではなんだか可哀想だったのだ。我ながらどこかおかしいとは思いながらも、やらずにはいられなかった。
の声がけで再び帰途についたが、赤司がふと立ち止まって人形を振り返る。一人だけ気がついた紫原が首を傾げて彼を呼んだ。
「赤ちん、どうしたの?」
「…いや、何でもない」
赤司の様子から察するに、あの人形には何かがある。紫原は飴を奥歯で噛み砕きながら赤司を一瞥した。その“何か”が果たしていいものか悪いものかは自分には判らないが、今はただ面倒事が起こらないよう心の隅で願うだけだった。
―――キリキリと音を立て、ポリバケツに座る人形の首が動く。その青い目は、遠くを歩く の背をじっと見つめていた。
* * * *
夜更け、廊下に置いてある電話の呼び出し音で目が覚めた。十二時を回っているというのに、一体誰からだろう。 は眠い目を擦りながらベッドから起き上がった。
電話のランプが点滅しているおかげで電気は点けずに済みそうだ。受話器を取り、いかにも眠そうなのろのろとした声で応答した。
「…はい、 です」
『あたしメリー、一緒に遊びましょ。今ゴミ捨て場にいるの』
電話の向こうの相手はそれだけ言うとすぐに通話を切った。寝ぼけて回転が遅くなっている頭では今何が起こったのかよく判らない。きっと悪戯電話か何かだろう。暫くビジートーンを聞いた後、 は受話器を置いて大きなあくびをしながら部屋に戻ろうと踵を返す。しかしそれは再び鳴った電話によって止められた。
またか。眉間に皺が寄るのを感じながら、もう一度受話器を取る。
「…もしもし ですけど」
『あたしメリー、今たばこ屋さんの角にいるの』
先程と同じように、また一言だけで切られてしまった。本当になんなんだ。もしかしたらまたすぐにかかってくるかもしれないと、 は受話器を置いて次の呼び出し音を待った。すると予想通り、すぐに電話が鳴り始め、眉間にはより一層深く皺が刻まれた。今度は文句を言ってやる。そう意気込みながら荒々しく受話器を取った。
「もしもし?あの、すみませんけど」
『あたしメリー、今あなたの家の前にいるの』
その一言で完全に覚醒し、目を瞠った。今、何と言った?あなたの家の前? は受話器を耳に当てたまま固まってしまった。ドクンドクンと、心臓が唸り始めるのが判る。
いや、きっと質の悪い悪戯だ。そう言い聞かせ受話器を静かに下ろしたが、 の嫌な予感は当たってしまう。また電話がかかってきたのだ。小刻みに震える手で受話器を耳に当てる。走ってもいないのに、息が切れたように苦しい。乱れた息で一点を見つめながら口を開いた。
「も、もしもし?」
『あたしメリー、今あなたの後ろにいるの』
身体全体に、落雷に打たれたような衝撃が走る。咄嗟に振り向くが、そこには誰もいない。するとメリーと名乗る相手は、こちらの気など知らないというようにけらけらと陽気な笑い声をあげ始めた。
『違うわ、そっちじゃないわ。こっちよ。ほら、こっちこっち』
その言葉に操られるように は視線をあちこちに巡らせた。どこだ。どこから見ているんだ。どんどん乱れる息で、頭が脳みそが破裂してしまいそうだった。
――刹那、何かの気配を感じた は揺らぐ瞳を廊下の隅に向ける。
『こんにちは、あたしメリー。ねぇ一緒に遊びましょうよ、 ちゃん』
そこには、夕方にゴミ捨て場で見た人形が座ってこちらを凝視していた。受話器が手から離れ、コードを伸ばしながら棚からブラブラと揺れる。悲鳴を上げながら後ずさった は壁にドンと背をぶつけた。湧き上がる震えをなんとか抑え込もうと、両腕できつく自身を抱きしめる。
「…どうしたんだ、 」
悲鳴を聞きつけた幹久が、寝室にしている和室の襖を開け廊下の電気を点けた。青ざめた顔で父を見上げた は、「あ、あれ」と言いながら向かい側に座る人形を指差した。
対象に気付いた幹久はゆっくりとした足取りで廊下を歩く。人形を持ち上げて、少し呆れ顔で を振り返った。
「何だ、人形じゃないか」
「それが、そいつが…私に電話かけてきてきたの…!」
突然こんなことを言っても信じてもらえないだろうが、電話をかけてきたのは紛れもない事実だ。案の定、幹久は苦笑しながら「寝ぼけてるのか」と言うだけで、信じる様子など微塵もなかった。人形は幹久の手の中でくったりとしている。
そのとき、悠があくびを噛み締めながら部屋から顔を出した。
「…なんかあったの?」
「あぁ、ごめんな悠。起こしちゃったか。別になんでもないんだ」
幹久が申し訳なさそうに悠を宥めたが、悠の目がプラチナブロンドを揺らす人形を捉えたとき、その表情が一変した。
「それ…なんでここにあるんだよ」
「え…?」
「今日俺が学校から帰ってきたときに玄関に置いてあったんだけど、見覚えもないしなんか気味悪いからゴミ捨て場に捨ててきたはずなんだ。なのに…なんで」
今日、悠の帰りは よりも遅かった。つまり今ここにある人形は、一度ゴミ捨て場に戻っているのだ。それが、何の恨みがあってか再び 家に戻って来た。
あの時、動き出しても大して驚かないだろうだなんて自分は何呑気な事を考えていたのだろう。ただの人形が歩いて、自分に語りかけてきたのだ。これがどれだけ恐ろしいことなのか、今 は嫌という程に理解した。
――今ゴミ捨て場にいるの
「いやあああああ!!」
したくもないのに頭の中で勝手に反芻される人形の言葉。青く輝く瞳の奥にあるのは狂気か怨念か、それとも――。
* * * *
翌日の放課後。教室にいた は虚ろな目つきで頬杖をついていた。目の下にはうっすらと隈ができている。人が疎らになった教室内はだいぶひっそりとし、 はやっと少しだけ落ち着けたような気がした。
心配そうに を見下ろすのは黒子、赤司、紫原の三人。朝から様子がおかしい に赤司はずっと付き添っていたが、「大丈夫」の一点張りでなかなか事情を話そうとはしなかった。しかしそんな見え透いた強がりをされても心痛が深まるだけだと赤司が言えば、 は訥々と昨夜あった出来事を三人に話し始めた。
「それで、人形はどうしたんですか?」
「お父さんと悠が…捨ててきてくれた」
黒子の問いに、意味もなく机の中心をぼーっと眺めながら答えた。これはだいぶ重症ですね、と黒子は赤司に視線を投げる。
「それにしても、 ちんってホント人間じゃないものにモテるよねー」
「紫原くん、デリカシーのない発言は遠慮するべきですよ」
いつも通りのんびりした調子で言う紫原に黒子は溜息をこぼした。その横で赤司はじっと黙考しているが、 をこんなに面変りさせた人形に対する怒りが自ずから真紅の双眸に表れていた。
暫く沈黙が三人を包んでいたが、校内放送のチャイムが教室内に鳴り響いた。しかもそれは を職員室に呼び出すもので、四人は声の流れるスピーカーを咄嗟に見上げた。
一息置いた は椅子から立ち上がり、小さく「行ってくるね」とだけ言うとふらふらと覚束ない足取りで職員室へ向かった。
その小さな背を無言で見つめていた三人は顔を見合わせ頷くと、 の後を追うべく教室を後にした。
「失礼します。 です」
「あぁ さん。外線よ、一番。取り方は分かるわよね」
職員室の扉を開けると、 を呼び出した女性教師が笑顔で待っていた。 は電話をじっと見る。正直なところ出たくはないが、ぐずぐずしてはいられないと覚悟を決めて受話器を取った。
「…もしもしお電話代わりました、 ですが」
『あたしメリー、今下駄箱の前にいるの。一緒に遊びま…』
受話器を置く大きな音が職員室に響き渡った。まただ。また、メリーさんだ。
周りにいた教師達の視線が一斉に を囲んだが、突如として職員室中の電話がけたたましく鳴り始めた。きっとこれもメリーさんの仕業に違いない。うるさく鼓膜を揺さぶる呼び出し音は をどんどん追い詰めていく。 は耳を塞ぎながら職員室を飛び出した。
入口で待っていた赤司達は逼迫した表情で出てきた彼女を見て目を瞠ったが、すぐに後を追い始めた。たどり着いたのは屋上。
「どうしたんですか、急に飛び出して」
「…メリーさんだった。あの人形、きっと私を狙ってるんだ…ゴミ捨て場に捨ててきたから仕返ししようとしてるんだよ!」
フェンスをきつく握り、混乱しきった頭で思うままに感情を吐き出した。赤司は の背中を優しく撫で、少しでも落ち着かせようとする。
「まだそうと決まったわけじゃないよ、 」
「でも実際に捨てたのは ちんじゃないのに、なーんで ちんばっか狙われ…」
紫原が首を傾げて言った台詞は、鳴り響いた携帯電話の呼び出し音に遮られた。音の出処は黒子の制服のポケットだ。黒子は普通に通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
『あたしメリー。今学校の屋上にいるの、一緒に遊びましょうよ』
聞こえてきた声に、四人の表情が一瞬にして強ばる。 は既に恐怖のどん底に突き落とされているようで、頭を振り乱しながらその場に蹲った。赤司は を守るように肩を抱く。
「やだ、やだ…もうやだ…!」
「今、屋上って言いましたよね…」
「…うん」
黒子と紫原は互の背中を合わせ、屋上にいるというメリーさんを視線で捜す。開放感のある屋上の筈なのに、今はただただ息苦しい。
その時、カツカツと屋上へ上がってくる足音がしたかと思えば、 と黒子の担任である鎌田が血相を変えて飛び込んできた。
「 こんなところにいたのか…!急げ、中央病院だ!お父さんが事故に遭われたそうだ!」
世界が、真っ黒に覆われた瞬間だった。
《後書きスペース》
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