episode 2
帝光中旧校舎 君はどこに
転校初日。由美は学校近くまで幹久に送ってもらっていた。赤司とは先日友達になったものの、まだ学校への不安が消えたわけではなかった。悠の通う帝光小は、今日が丁度開校記念日で休日なため、明日が初日となる。なので今日は家で留守番だ。
「本当にいいのか?」
「大丈夫だって!お父さんこそ転勤早々遅れないでね?」
「ああ。校長先生にちゃんと挨拶するんだぞ」
「うん。いってらっしゃい!」
中学校の前に着き、車から降りた由美に幹久が言った。ここから坂を下ればすぐに悠の通う帝光小学校が見える。由美を一人置いていくことに渋っていた幹久だったが、娘の見せた頼もしい表情に安堵した様子で去っていった。
車が見えなくなるまで手を振り、よしと一息入れた由美は、早速先生に挨拶をしに行こうと足を進めた。
「姉ちゃん!」
門の手前で、聞き慣れた声に足が止まる。振り向けばそこには今日休みのはずの悠が少々息を切らせて立っていた。何故だと疑問に思ったが、それは彼の持っていた小さな手提げを見た瞬間、解決した。走って来てくれたことに申し訳ないと思いながら控えめに口を開いた。
「もしかして…お弁当?」
「ん。全く、転校初日から弁当忘れるなんてホントおっちょこちょいだよなー姉ちゃんは。こんなんで大丈夫かよ?」
「き、今日は緊張してたから忘れちゃったの!…ごめんね悠、せっかくの休みなのに走らせちゃって」
「いいよ別に。家にいたって暇だし」
頭を撫でると、悠はふいと横を向いてぶっきらぼうに言った。ほんのりと赤くなった耳が可愛らしい。姉思いの優しい弟を持って幸せだ、としみじみ思う。帰ったら悠の好きなホットケーキを作ってあげよう、そう心に決め別れようとしたそのときだった。
ミャー、という鳴き声が悠の背負っていたリュックから聞こえる。まさか、と思い中を覗くと、そこには飼い猫のユーリがすっぽりおさまっていた。無言のまま悠に視線を向ければ、ヤバイと言いたげな顔で目を逸した。
「なんで連れてきたのよ…逃げたらどうするの?」
「だって…連れてけって、鳴いてたから」
「馬鹿なこと言うんじゃありません。ほら、逃げないよう早く…あっ!」
「やべっ…!」
リュックのジッパーを締めようとした瞬間、ユーリがぴょんと飛び出しそのまま逃げてしまったのだ。これはまずい。すぐさま駆け出した二人は、周りの視線など気に止めず、ユーリのあとをただひたすらに追いかけた。
* * * *
「ユーリ?ユーリ、出ておいで」
小さな石段をのぼったところまでは見えていたのに、ユーリを見失ってしまった。どうやらここは新校舎の裏のようで、気がつけば由美と悠は旧校舎の前にいた。やたら重い空気が漂っているのは気のせいか。不気味な校舎の姿と相まって、由美の気分は下がる一方だ。辺りを見回しながら、じりじりと旧校舎との距離を縮めていく。 が雑草をかき分け捜していると、「姉ちゃん、あれ!」と悠が慌てた様子で指差していた。その先にあったのは、旧校舎の少し開いた玄関扉からするりと中に入っていくユーリの姿だった。
「うそ、旧校舎に入っちゃった…」
最悪の展開だ。なんとなく予感はしていたが、何故こうも嫌な予感ばかり当たってしまうのだろうと は頭を抱えた。だがこのまま放っておくわけにもいかない。家族の一員であるユーリを取り戻すまで引き下がるものか、そう腹を括った由美はずんずんと旧校舎の昇降口へと向かった。悠もそのあとを追う。
間近で見ると改めて怖い。廃校舎は、人生において最も遭遇したくないもののひとつだっただけに、いくら覚悟を決めたとはいえ恐怖心は膨れ上がるばかりだ。
「立ち入り禁止」と書かれたプレートを外そうと手を伸ばしたとき、突風が木々を揺らすと同時に、プレートを繋いでいた紐とドアノブに巻かれていた鎖が外れ、勢いよく扉が開いた。それはまるで“入ってこい”と、校舎に言われているようで。
「…………ただの風だよ。姉ちゃん、行こう」
「…う、うん」
そう言いながら由美の手を掴む悠は、少し震えていた。無理もない、まだ小学四年生なのだから。ここは姉である自分がしっかりしなければ、と悠の手を引っぱり早足で校舎内に入れば、開いていたはずの扉が閉まる音が響き、身が竦んだ。悠の手をきつく握り、恐る恐る振り向こうと足を動かす。
「わっ」
「きゃあああああっ!」
「うぎゃああああっ!」
ぽん、と肩をたたかれたと同時に、大声をあげ腰を抜かしてしまった由美と悠。悠を守るように抱きしめカタカタと震えていれば、上からふってきた笑い声。見上げると、そこにいたのは由美と同じ制服を着た金と青の派手な髪色を持つ男子生徒二人。ぽかんとする由美をよそに、金髪の男子生徒がスッと手を差し出してきた。
「なにも脅かすことないじゃないっスか。青峰っちってばひどーい。君達、大丈夫?」
「あ…はい……なんとか」
青峰と呼ばれた男子生徒は、まだ笑っているらしく肩を震わせてしゃがみ込んでいる。手を借りて立ち上がると、金髪の彼は由美の制服についた埃を払ってくれた。「ありがとう」と言うと、彼は太陽のような人懐っこい笑みを浮かべた。一緒に立ち上がった悠は完全に彼らを警戒しているようで、鋭い目つきで睨みつけている。
「あー、わりーわりー。でも脅かしたくなるだろ、こういうとき」
やっと笑いがおさまったのか、青髪の男子生徒がガシガシ髪を掻きながらこちらに歩み寄ってきた。褐色の肌が印象的で、背も随分と高かった。名前を聞かれ、由美は転校してきたことも一緒に伝えた。彼らもまた、黄瀬涼太と青峰大輝だと名乗った。同じ二年生らしい。黄瀬の顔をどこかで見たような気がしていた由美は、「一応モデルやってます」という彼の言葉に、そういえば、と納得した。
「で、あんたら二人は何用で来たんだよ」
「おうおう、威勢のいい小学生だな。俺らは注意しに来てやったんだよ」
「注意?」
不貞腐れた悠の問いに、青峰は悠の頭に軽く拳を置いて答えた。
「そ。立ち入り禁止って書いてあるの見えなかったっスか?まぁ、俺らも入っちゃったけど」
「…ユーリがここに入っちゃったんだ」
「ユーリ?」
「うちで飼ってる猫のこと。そうだ、あんたら捜すの手伝ってよ!」
「ダメだ。入るなって言ってんだろ?」
人が増えたのをよしとした悠だったが、青峰はその言葉を一蹴した。その瞬間、悠の眉間には先ほどよりも深い皺が刻まれる。見た目で判断するのは失礼だと思うが、この二人はそこまで真面目そうには見えない。むしろ旧校舎を遊び場にしていそうな印象なのに、そこまで頑なにこの校舎を拒否する理由とは。思い当たる節はなきにしもあらず。「猫を捜すだけだ」という悠の言葉に、二人は気まずそうに目を合わせ、おずおずと口を開いた。
「…出るんスよ、ここは」
「え…?」
「出る」という言葉が何を指すかは、幾ら鈍い人間でも分かってしまうだろう。真剣な表情の彼らからはピリピリとしたただならぬ空気を感じる。とても冗談で言っているようには思えなかった。けれど悠は、その空気を打ち破るように声をあげた。
「でも、ダメなんだ!ユーリは特別な猫なんだよ!母さんのお葬式があった日にうちに来て、代わりに家族になったんだ…」
だんだんと萎んでいく声に、由美はどうしようもない切なさに襲われ、悠を力強く抱きしめた。自分も気持ちは一緒だ。いつどんなときがあろうと、ユーリは大切な家族の一員だという事実は変わらない。しかし、彼らの言っていることは正しい。何も間違ってはいない。危険な目に合うということを知っていて教えてくれたのだ。捜索の手伝いを断った彼らを恨むなんて、誰ができるだろうか。黙ったままの黄瀬と青峰に由美は一礼し、ユーリを捜しに行こうと一歩踏み出した。
「待って」
その声は、青峰でも黄瀬でもない。ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りを伝うように、目線を向けた。
「赤司、くん…?」
「赤司っち!?それに、緑間っちに紫原っち、桃っちまで!」
「おめーらいつの間に入って来たんだよ…」
色とりどりの髪色の人達の先頭にいたのは、つい先日友人になった赤司だった。突然の登場に驚きを隠せない由美と悠は、ただただ彼らをじっと見つめることしかできない。奥にいた桃色の髪の女子生徒がひょこっと顔を出し、可愛らしい笑みを浮かべ由美の手を取る。美少女とは、彼女のような子を指すのだろう。
「私、同じ二年生の桃井さつき!転校生の白戸由美ちゃんと弟の悠くんでしょ?よろしくね!私のことはさつきって呼んで!」
「え、なんで名前知って…」
「桃井の情報網は怖いからね、気をつけなよ二人共」
「もう!ひどーい赤司くんってば」
桃井にさらっと名前を言われ当惑した様子の由美と悠に、赤司はくすくすと笑いながらこちらに歩み寄る。そういえば、彼が友人の話をしてくれたときに、すごい情報通がいると言っていたことを思い出した。
「それより赤司、ラッキーアイテムが旧校舎にいるというのは本当か」
「ああ。今から皆で捜すんだ、いいね?」
「なっ…マジかよ赤司、ここどこだか分かってんのか!?」
「なに、大輝は一人で旧校舎を見て回りたいのか?」
「そ、そんなことないっスよねー!ほら青峰っちも頷いてるっスよ!」
不満げな声をあげた青峰に、赤司は睥睨することで同意を得ようとしたが、割り込んできた黄瀬により青峰が無理矢理頷かされることでひとまずその場はおさまった。眼鏡の彼が発したラッキーアイテムという言葉が引っかかるが、これは一緒にユーリを捜してくれると捉えていいのだろうか。首をかしげる由美に、今までずっとスナック菓子を口に運んでいた一際背の高い男子生徒が由美の横に立った。
「今日の蟹座のラッキーアイテムが猫の首輪なんだってー。赤ちんが居場所知ってるって言うからついて来たけど…なるほど、そういうこと。あ、俺紫原敦ー。よろしく由美ちん」
「はぁ…。あの、そういうことって?」
「んー?その猫、由美ちん達のペットとかなんでしょ?」
「う、うん。でも、どうして赤司くんはユーリがここにいるって知ってたんだろう」
「それは…まぁ、赤ちんだし」
ポリポリと音を鳴らしながら菓子を頬張る紫原。独特のテンポだが、感は鋭いらしい。
「さて、捜しに行こうか。…その前に真太郎、自己紹介」
「…二年C組の緑間真太郎だ。協力する代わりに、その猫を見つけたら首輪を貸してほしい」
「白戸由美、です。約束は守るよ。だから…」
「安心しろ。必ず見つける」
「ラッキーアイテムがかかってるから、だろ」
小さく呟いた悠の言葉に反応した緑間は、自身より六十センチ以上も身長が低い悠にザッと目線を向けた。それに負けじと悠も緑間に睨みを返す。二人の背後に龍と虎が見えるのは気のせいだろうか。無言の睨み合いが続いたが、これでは埒があかない、と桃井が二人を引き離した。離れる際に、悠の放った「変人メガネ」という小学生らしい暴言に緑間は青筋を立てたが、持ち前の理性でなんとかおさえたようだった。
そのとき、ユーリの声が廊下の奥から聞こえた。赤司が由美に頷くと、それを合図に歩き出す。まだ午前中だというのに、まるで校舎全体が暗幕に覆われたように暗い。ピチョン、ピチョンと水道の蛇口から滴る水の音が、やけに響いて聞こえた。黒色のユーリを見逃さないよう、注意しながら進んでいくと、木製の机の下にあるバケツの影に隠れ、小さく鳴いているユーリを見つけた。
「ユーリ!」
「どうしたの?おいでユーリ」
手を出そうと身を乗り出したが、横から聞こえた唸り声に目を向ける。犬だ。どうやらユーリはこの犬に威嚇され、怯えているようだった。悠が「おい!」と犬を追い払おうとすると、こちらを振り向いた凶暴そうな犬の顔が、人間の顔に変わった。
「うるせぇんだよさっきから犬犬って」
「ひっ!」
凄みのある顔で、はっきりと言葉を話した犬。思わず後ずさる由美達をじっと睨みつけながら悪態をつくと、その犬は姿を消した。皆が呆然としているなか、ユーリはするりとバケツの裏を抜け、校舎の更に奥へと行方をくらませる。
取り敢えず部屋という部屋をくまなく捜そうということになり、一番手前にあった引き戸に由美が手をかけた。どうやらここは女子トイレのようだ。蜘蛛の巣がいたるところに張っており、湿っぽい空気に由美は顔をしかめた。
躊躇なく入っていく面々に対し、入口で立ち止まる男が二名。
「あれ、大ちゃんにきーちゃん、なんで入って来ないの?」
「女子トイレはちょっと…」
「なんかこう、いかにも出そうな雰囲気だろうが」
「なーに言ってるのよ!さ、入った入った!」
桃井に背を押され、青峰と黄瀬はなだれ込むように女子トイレに入った。
「さつきテメェ、だから…!」
「トイレのお化けと言ったら…」
「はーなこさーん」
「なんで呼ぶんだよ紫原ああああ!!」
「え、ダメだった?」
口元を引きつらせ弁明しようとした青峰と黄瀬だったが、それは紫原によって跡形もなく粉々にされた。少しイキイキしている紫原とそれを心底楽しそうに見ている赤司を、二人は恨んだ。
はーい…
室内に響いた少女の声と同時に、個室の扉が嫌な音をたてて開いていく。驚いた拍子に壁に張り付いた青峰と黄瀬。後ずさる緑間と 、それにくっつく桃井と悠。扉の真正面にいた赤司と紫原は、個室の中を見て「あ」と小さく声をあげた。
《後書きスペース》
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