episode 20
話すメリー人形 恐怖の影A
病院内は走らず、なんて事を今は気にしていられなかった。悠とも途中で合流し受付に申し出ると、幹久は集中処置室にいると告げられた。階段を駆け上がり、「処置室T」というプレートが下がった部屋にたどり着く。心臓がバクバクと煩く鳴り続けている。走ったせいで息が上がると共に、じわりとした痛みも滲み出てくるのが分かった。
「お父さん!」
「あぁ 、悪かった。お父さんちょっと失敗しちゃってな…すまんすまん」
そこには、リクライニングベッドに背を預け苦笑する幹久がいた。頭と腕に巻かれた包帯が痛々しい。 は悲痛に顔を歪めすぐさま幹久の元に駆け寄った。その後に悠も続く。
「父さん!」
「悠も来てくれたのか。今何時だ、学校はいいのか?」
そんなこと、どうでもいい。知らせを受けた時は心臓が止まる思いだった。母が亡くなってから、男手一つで育ててくれた父。いつも優しくて穏やかで、母の分まで一心に愛情を注いでくれる父。そんな人が突然いなくなってしまっていたら。そう考えるだけで胸が締め付けられる。
と悠はベッドに顔を埋めむせび泣き、幹久はそんな二人の頭を笑って撫でていた。
「悪かった悪かった、心配かけちゃったな。もう大丈夫だから」
優しく髪を撫でる大きな手に、 も悠も涙を止める術を見い出せなかった。その手の感触を味わえる有り難みをひしひしと胸に受けながら、白い布団に涙を染み込ませていく。
その時、病室の扉が静かに開かれる音を聞いた幹久は、入口に立つ鎌田と赤司、黒子、紫原の姿を確認すると深く頭を下げた。鎌田はそのまま幹久の元へつかつかと歩いていく。残った三人はその場から動こうとせず、 と悠の震える背をじっと見つめていた。
「先生すみません」
「いや、とんでもない。お加減はいかがですか?」
「念のため、一日だけ泊まっていくように言われまして。悪いな 、悠と二人だけになってしまうが」
その言葉に は無言で頷いた。幹久は安堵したように微笑むと、入口に立つ赤司に顔を向ける。その表情は先ほどとは一変、申し訳無さげに眉尻を下げていた。赤司は幹久の口が開くのを待った。
「…征十郎くん」
「はい」
「その…時々覗いてやってくれないかな。迷惑じゃなかったら」
「迷惑だなんてとんでもないです。僕で宜しければ、安心して任せてください」
赤司は元よりそうするつもりだった。父が無事だったとは言え、 はまだあの人形の驚異に追われる身なのだ。それを危惧せずしてなんとする。赤司は全てから を守る決意を秘めた双眸を幹久へ向ける。そんな赤司の意向を感じ取ったのか、幹久は「ありがとう」と言ってもう一度深々と頭を下げた。
あまり病室に長居はできないと、 は泣き腫らした顔を持ち上げて、制服の裾で頬に余る涙を拭って立ち上がった。それに倣い、悠も何度か鼻を啜る音をたてて顔を振り上げた。散々泣いた。もう涙は出さない。そう心に決めて、静かに病室を後にした。
「――でも、大きな怪我じゃなくて安心しました」
黒子が を振り向きながら言った。確かに、病院に一泊する程度の怪我で済んだのは不幸中の幸いだったと言えよう。しかし はふつふつと煮えたぎる怒りを感じながら、それを両の拳に込めて口を開く。
「許さない。あいつがお父さんを…絶対許さな…」
途中でぷつりと切れた言葉に、赤司達が咄嗟に を見た。目を瞠って、何かと対峙するように一点を注視している。四人はその視線をゆっくりと辿っていった。
突き当たりに設置してある椅子。そこには、メリー人形が首を傾げて を待ち構えていた。相変わらず、人形のフリは上手いようだ。
「…ねぇ黒ちん、あれ」
「メリーさん、ですね」
「なんだお前ら、この人形がどうかしたのか?」
「せっ、先生ダメです!そいつから手を離して…!」
五人が強い眼差しを向ける人形を手に取った鎌田に、 はぎょっとした。その慌てぶりに鎌田は訳も分からずぽかんとしていたが、赤司が落ち着き払った声で曰く因縁を語り始めた。
鎌田はその奇想天外な内容に終始あっけらかんとしていた。しかし、学内でも非常に優秀と名高い赤司が冗談でこんな話をするとは思えない。周りの四人も、信じてくださいと言わんばかりの瞳を鎌田に向けている。真偽は定かではないが、大事な生徒の話に耳を傾けるのもまた教師の役目だ。
「…分かった。そこまで本気で言っているのなら、先生がいいところに連れてってやろう」
ピンと人差し指を立てて、得意げに言う鎌田。「行くぞ」と背を向ける鎌田に、 達は唯々として従った。
「――人形寺?」
車に乗って二十分程で目的地に到着した。目の前には大きな門がそびえ立っている。扁額に記された「人形寺」という文字を声に出した は、ここが寺だということを理解した。何となく鎌田の思わんとする事が判った は、期待と不安両方を抱えたまま寺の門をくぐった。
寺中に入ると、橙と濃紺の袈裟に身を包んだ住職が出迎えてくれた。用意された座布団に正座し、座卓を間にして住職と向かい合う。鎌田は一礼すると、人形を静かに座卓へと差し出した。
「では、よろしくお願いします」
「はい。お預かりしましょう」
住職は後ろに待機していた修行僧の少年に手で指図し、人形を奥の部屋に運ばせた。
「あの、ここは人形のお寺なんですか?」
「いや。ここは普通の寺じゃよ」
の問いかけに、住職は鷹揚に笑った。「人形寺」という名前から、てっきりそれを専門に扱う寺だと思い込んでいたが、どうやら違うらしい。 の言葉を引き継ぐように、今度は悠が口を開く。
「それじゃあどうして…」
「一緒に焼くのは忍びないと、亡くなられた人の大事にしていた人形を預かったのが最初だったかのう。噂を聞いて遠くからも人々が訪ねて来るようになってな…まぁ最近では人形もいろいろと様変わりしたが、持ち寄られる数は一向に減らん。時が移っても、人が人形に込める思いは変わらない。そういうことなんじゃろうなぁ」
にも大切にしているぬいぐるみがあった。幼い頃、誕生日プレゼントとして両親から貰った桃色のサテンリボンを首に巻いたティディベア。勿論、今も大事に机に飾ってある。当時は出かける度に持ち歩き、思い出を共有することを何よりも嬉しんでいた。
ふと、あの人形は元は誰の手にあったのだろうという疑問が浮かび上がった。もしかしたら、大切にされていなかったのかもしれない。そう思うと少し同情してしまいそうだったが、今までにされてきた事を忘れたわけではない。何とも言えぬ複雑な心境に、僅かな眩暈を覚えた。
「どうだお前ら、これで安心だろ?」
「はい。言うなれば専門家にお任せしたわけですしね」
門を出た鎌田が五人を振り返る。黒子はそれに首肯し、安堵したような声音で言った。
とぼとぼと一番後ろを歩いていた に気付いた鎌田は、きょとんとして問いかける。
「どうした 、まだ心配か?」
「あ、いえ、あの…ありがとうございました」
「今頃はメリーさんも新しい友達と仲良くやってるかもしんないねー」
流石に境内ではお菓子を口にしなかった紫原は、開放感に満ち溢れた顔でスナック菓子の袋を開けた。ポリポリと咀嚼する音を立てながら嬉々として言う。
案外、紫原の言う事は本当かもしれない。あの寺にどのような人形があるか判らないが、彼女の気に入る遊び相手はすぐに見つかるだろう。人形同士惹かれ合うものもきっとあると、 は寺を一瞥して鎌田の車に乗り込んだ。
* * * *
「じゃあ、戸締り気をつけてな」
「はい。おやすみなさい先生」
「ありがとうございました」
すっかり日も落ち、時刻は午後八時を回ろうとしていた。 家の前で全員が鎌田の車を降りたのは、 が赤司達を夕食に誘ったからだ。こんな時間まで付き合わせてしまったのだ、何かお礼をしないと落ち着かない。
は鞄から家の鍵を取り出しながら歩き、玄関に着いたところで皆を振り返った。
「ごめんねみんな、心配かけて。本当にありがとう」
「 が元気になったのなら、僕はそれでいい」
「よかったね ちーん」
「これで安心して眠れますね」
向けられる言葉たちに自然と頬が緩む。 は鍵を回してドアノブを引いた。開け放たれた扉の奥は、勿論暗い。
――口は息を吸った。しかし「さぁ、入って」という言葉は出ないまま は“何か”に全身を巻かれ、勢い良く家の中に引きずられていった。
「姉ちゃん!!」
赤司がすかさず駆け寄ろうとしたが、その瞬間にドアは固く閉ざされた。悠は力強く扉を叩き、赤司は何度もドアノブを引くが、扉はまるで縫い付けられたかのようにぴくりともしなかった。
まだだ。まだ終わっていなかった。メリーさんの追尾から逃れたのは、本当に一瞬だけだったのだ。
「こんにちは、あたしメリー。一緒に遊びましょうよ」
何が起こったのか頭の整理がつかない だったが、後ろから聞こえる声に咄嗟に振り返った。暗闇から小さな足音を立てて歩み寄ってくる人形の青い眼は真っ暗な中でも炯々としており、 を逃がさないという思念が伝わってくる。
「うそ…なんで…!?」
はすかさず後ずさり、メリーさんと距離を取った。わなわなと震える を更に追い立てるように、今度は周りから数多の人形が姿を現した。動物のぬいぐるみやプラスチックのロボット、日本人形など種類は多岐にわたる。恐らくメリーさんが人形寺から連れてきたのだ。どこを見回しても人形だらけ、 は四面楚歌に陥った。
「何して遊ぶ?」
「そうだ、僕は右手を取られたから腕取りごっこにしよう」
「私は車に轢かれたから車轢かれごっこにするわ」
「俺は目玉を毟られたから毟りごっこだー!」
「私は頭を引っこ抜かれたので引っこ抜きごっこにします…」
聞きたくもない言葉の羅列が飛んでくる。まさか、メリーさんの言う“遊び”とはこのことなのか。嫌な汗が額から落ちるのを感じながら は耳を塞いだ。人形達は腰が抜けて立てずにいる を見下ろしながら愉しげに笑っている。
「さん、はい」
「かーごーめかごーめ、かーごのなーかのとーりーはー…」
手を取り合った人形が を囲み、「かごめかごめ」を歌いながらぐるぐると回り始めた。音吐朗々な歌声だが、こんな状況下では不気味なものにしか聞こえない。過呼吸気味になり肩を上下させていた は、いつの間にか自分の呼吸音しか室内に残っていないことに気がつき、ハッとして顔を上げた。
目の前にはメリーさんが立っており、 を指をさして首を傾げていた。
「 ちゃんの、負ーけ」
あぁ、殺される。今度こそ殺されてしまう。
「それじゃあ、毟りごっこに決定!」
メリーさんが高々と手を上げて宣言すると、 を囲んでいた人形達が塗りつぶしたような影になって襲いかかってきた。全身を縛られ、吊るされるように天井付近に掲げられた。口もきつく塞がれてしまい、くぐもった声しか出せない。
と、影のひとつがするりと の眼前に迫った。それは音をたてて鋭い爪先を持った手に変形し、じりじりと距離を詰めていく。 は汗びっしょりになった全身で抵抗し、必死に声を出し続ける。しかしそれは何も変える力を持たず、無力なものでしかなかった。
迫る手が の眼球に触れようとしている。もう、ダメだ。
「…やーんぴ。あたしいっち抜っけたー」
突然のメリーさんの宣言に人形達は次々と野次を飛ばした。 は目を瞠ったまま固まり、鼻で大きく息を繰り返す。
「だって ちゃんたら全然楽しくなさそうなんだもの。失礼しちゃうわ。帰りましょ、みんな」
その声で の拘束は解かれ、人形達はぼやき続けながらその姿を消していった。一体どういうことなのだ。気まぐれなのか、はたまた何か理由があるのか。脳内が錯綜し、早鐘を打つ心臓は未だ収まる気配はない。吐き気を催しそうになったが、生唾を飲み込んでなんとか耐えぬいた。
床に下ろされた は一点を見つめ呆然としていたが、メリーさんに名を呼ばれ怖々と顔を上げる。
「このハンカチ記念に貰っとくわね。あたし大事にするわ。それじゃあ ちゃん、また遊びましょうね。ばいばーい」
大きく手を振って消えていくメリーさんの手には、スカートのポケットに入れていた筈の白いハンカチがあった。ゴミ捨て場で初めてメリーさんを見たとき、彼女の頬に付いていた汚れを拭き取ったハンカチと同じものだ。いつの間に落としていたのだろうか。
何故メリーさんが持っていったのか判らないが、とにかくあのハンカチがなければ助からなかった。もし落としていなかったら今頃は――いや、これ以上考えるのはよそう。
「 !」「姉ちゃん!」「 ちん!」「 さん!」
頬から顎に伝った汗がポタリと落ちたのを合図に今までビクともしなかった玄関ドアが開き、赤司達がなだれ込むように入ってきた。
背中で大きく息を乱す に、四人は彼女を襲った恐怖の残滓を感じ取る。赤司は の背を撫でるように擦り、悠達三人はそれを心配そうな表情で見つめていた。
「大丈夫か、 」
「何で…どうして、こんな…」
訥々と息の合間から声を絞り出す。赤司は の背を撫でる手は止めず、一瞬だけ切なげに眉根を寄せてから口を開いた。
「さっき、メリーさんが僕達のところに電話をしてきたんだ。これから と遊ぶんだって。あの子は、本当にただ君に遊んでほしかっただけなのかもしれないね…」
――ただ、遊んでほしかった。
メリーさんの本懐は判らず仕舞いだったが、もし赤司の言う事が本当だったとしたら? は最後に垣間見たメリーさんの姿を思い出した。白いハンカチを大事そうに抱えていた彼女に、 はただただ疑問符を浮かべるばかりだったが、ここに来て何となくだが判った気がした。
それは、証だ。メリーさんは繋がりを求めていたのかもしれない。それが“寂しさ”から来るものだとは気づかないまま、純粋に貪婪に追い続けた。相手を恐怖に落としていることにも気づかず、ただ自分の思うままに。感情はあったが、十全ではなかったのだ。
「よし、できたー!」
家の素焼き瓦屋根の上で、メリーさんは穏やかな夜風を受けていた。 のハンカチを首元で結び、マントのような格好にする。満足気に両手を上げたところで、後ろからかかった「おいコラ人形」というぶっきらぼうな声にプラチナブロンドの髪を優雅に靡かせて振り向いた。
「あら猫さんこんばんは、何か御用?」
声の正体はあまのじゃくだった。メリーさんはスカートの裾を上げて丁寧にお辞儀をするが、あまのじゃくはそれを軽くあしらうように鼻を鳴らす。
「何か御用?じゃねーよ。油売ってないでとっとと失せろ。あんまりお痛が過ぎると取って喰っちまうぞ!」
「あらやだ、いじわるな猫ちゃんね。言われなくったって帰りますわよーだ」
あまのじゃくの突き刺すような声音に怯む様子など微塵も見せず、腰に手を当て、頬を膨らませるようにふてくされた彼女は光の粒子を散りばめながら消えていった。
ある意味ああいった霊が一番厄介なのかもしれない、とあまのじゃくは呆れ顔で空を仰ぐ。
「フン…ったく、 もまたエライのに気に入られたもんだぜ。ま、俺も人のことは言えねぇが、な」
密かな呟きは屋根から落ちることなく、あまのじゃくの溜息と共に夜空に吸い込まれていった。
《後書きスペース》
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