episode 3
蘇る悪鬼 天邪鬼
何かを見つけた様子だったが、紫原の身体で全く見えない。花子さんがいた、というわけでもなさそうだ。一体なにがあったのかと、由美は恐る恐る身を乗り出した。
「…どうも」
「黒ちんだー………え、なんでこんなとこにいんの」
「は?え?黒子っち!?」
「やーん!テツくんだったのー?」
「テツ、お前……」
「やぁテツヤ。ここは男子トイレじゃないよ」
「そういう問題ではないのだよ赤司…」
どうやら生身の人間だったようだ。しかし紫原の言うように、何故幽霊でもない普通の人間がこんなところに入っているのだろうか。幽霊がいたらそれは怖いが、人間がいるというのも少し気味の悪い話である。ここが女子トイレか男子トイレかはこの際どうでもよい。黒子テツヤと呼ばれたその人は、読んでいたであろう本に栞を挟み、個室から出てきた。少々混乱していた由美は、彼が何者なのか説明が欲しいという視線を桃井に投げかけた。
「由美ちゃん、この人は黒子テツヤくん!同じ二年生だよ!」
からの疑問を察知した桃井は、黒子の腕を取り の前に連れてきた。色素の薄い髪色に、肌も白い。なんだか透明感のある子だ、と由美は思った。
「初めまして、二年E組の黒子テツヤです。すみません、驚かせてしまったようで」
「い、いえ!今日帝光中に転校してきた、白戸由美です。こっちは、弟の悠」
「初めまして。あの、黒子さんはなんでトイレに?」
誰もが疑問に思っていた事を、悠が訊ねた。すると黒子は「そのことですか」と言いながら、青峰と黄瀬の頭上を意味深な目で見つめる。黒子の視線に嫌な汗が背を伝うのを感じた二人は、ゆっくりとその目線を辿った。
あーそーぼー…
そこには天井からぶら下がるおかっぱ頭の少女。まさか、この子が本物の花子さんなのか。大きな瞳をパチパチ瞬かせるその少女は、うずくまる青峰と黄瀬の間を笑いながらすり抜け、黒子の前にやって来た。
「あまり驚かさないであげてくださいね、花子さん。ああ見えて小心者なんですよ」
ふふふ、ごめんね。とってもいい反応だったから、楽しくなっちゃって
「では、僕はもう行きますね。何やら彼らも事情があって来たみたいですから」
そっか。また遊びに来てね、テッちゃん。あなた達も
普通に霊と会話する人間を初めて見た。しかも結構な顔見知りらしく、黒子と花子さんは仲良さげに話している。花子さんはバイバイ≠ニ言うと由美達ひとりひとりの顔を見て、手を振りながら消えていった。
「黒子くん…花子さんと親交が深いんだね」
「ええ。彼女の他にも、二ノ宮金次郎さんとは本を貸し借りする仲です。詳しいんですよ、彼」
「なるほど、最近テツが楽しそうだった理由はソレか…」
「黒子っち…すげー…」
* * * *
黒子も加わり、トイレを後にした由美達は再び別の部屋でユーリの捜索をしようと歩み始めた。すると真っ暗な廊下の奥からチカチカと光が溢れているのが見えた。なんだ、と凝視した刹那、本来室内でするはずのないエンジン音が皆の耳を支配したかと思えば、特攻服に身を包んだ首のない霊が、バイクに跨り目の前を走り去って行った。
「今度はなんスか!?」
「首がなかった…!」
驚きの連続で休む暇もない。その矢先、バイクが走り去った方向からハサミを持った浮遊体が現れる。大きな目玉でギロリと睨みをきかせれられれば、由美達は一目散に逃げ出した。
「くっそ…!何体いるのだよこの校舎には!」
「もう無理っスー!」
「喋る暇があったら走れ!」
半泣きの黄瀬を追い越し、叱咤する赤司。背後から聞こえるハサミの音に、全身に水をかけられたような冷たい恐怖を感じた。一心不乱に走っていると、玄関から漏れる光が見える。出口だ。しかし、誰かが足にバケツを引っ掛けてしまったようで、そこからドミノ倒しのように床に伏せる形で転んでしまった。駄目だ、もう間に合わない。ギュッと目をつむって頭を抱えた由美だったが、いつまでたっても来ない衝撃に疑問を感じ、身体を起こした。
「あれ…行っちゃった?」
「思い出した…テケテケに追われたときは地面に伏せるべきだって…本で読んだことがあったっけ…」
「桃井さん…知ってるならもっと早く思い出してほしかったです…」
肩で息をしながら黒子が言った。それに桃井は両手を合わせ謝る。もう本当に駄目だと思っていた由美は、息を整えつつ皆の無事に心底安堵し、大きくため息をついた。悠はもうギブアップだと言わんばかりに床に寝そべっている。
「…とにかく、一旦ここから出ようぜ」
立ち上がった青峰がノブを回したが、扉はピクリとも動かない。絶句した様子で振り向いた青峰の表情でわかったのか、桃井が走り、扉叩いて声を張り上げた。だがその行動も虚しく、この状況が変わる事はなかった。由美達は旧校舎に閉じ込められてしまったのだ。呆然と立ち尽くす由美だったが、どこからか聞こえる笑い声と覚えのある気配を感じ、フッと天井を見上げた。
おわっ!ニッヒヒヒヒ…
「…なにこれ」
突然由美に顔を向けられ驚いたのか、サッと身体を離した小さな幽霊。赤い光を纏っているが、その大きさのせいか、恐怖は全く感じなかった。
「これもお化けー?」
「さっきのより、随分小さいな」
友達になろうよ、由美ちゃん
「い、いきなりなんですか」
お母さんいなくて寂しいんだろう?
「お断りします。寂しくなんか、ないですから」
友達にならないとひどい目に合うよ
そう言って幽霊は由美の前から消えた。どこへ行った、と視線を巡らせていると、天井から証明が落ちてけたたましい音を響かせた。これが頭に当たっていたら、と考えると震えが止まらない。全員の表情に焦りが見え始めると、それに追い討ちをかけるように下駄箱が倒れ、玄関扉のガラスが割れた。
「…!姉ちゃん、アイツ、デカくなってる!」
ニーヒッヒッヒッヒ…友達になろうぜ?
再び姿を現したかと思えば、その身体は先程の倍になっていた。指をクイクイと誘うように動かし、霊は笑い続ける。
「…来いって言うの?」
「おい、姉ちゃん…!」
それを見た由美は、悠の制止も聞かずゆっくりと霊のもとへ歩き始めた。すると、しめたと言いたげな目でニヤリと不気味な笑みを浮かべ、また指を動かした。赤司は眉を寄せその動作の意味を考えたが、隣にあった傘立てが音をたてているのに気づきハッとした。
「由美!」
「え…」
強い力に手を引かれ、そのまま倒れ込んだ。咄嗟に閉じた目を開けば、目の前にはホッとした様子の赤司。どうやら彼が助けてくれたようだった。由美を襲ったのは三本の傘で、壁に半分以上も突き刺さっている状態がその勢いを物語っている。
「よかった…由美、怪我は?」
「大丈夫…ありがとう、赤司くん」
…フン、惜しかったな
吐き捨てるように言った霊に、一斉に目を向けた。その姿は廊下いっぱいにまで膨れ上がっており、声も地響きのような重さで、全身に振動が伝わってくる。
誰が人間なんかと友達になるか。ましてやお前には、積年の恨みがある!
「恨み…?」
由美を指差しながらムクムクと大きくなっていく霊に、後退りを始めた。鈍色の身体に赤い蓬髪と髭、青く異常に長い舌、鋭い爪の生えた手と地割れを起こせそうなほど大きな足。お化けなんて言葉では片付けられない。恐ろしい化物が影を落としていた。勢いよく牙を剥いたのを合図に、由美達は一斉に走り始めた。
突き当たりを曲がってすぐの部屋に慌てて逃げ込む。見つからないよう息を潜め、どうにかやり過ごせば全身から一気に力が抜ける。
部屋を見渡した由美は、ここが校長室だということに気がついた。薄暗くて見えづらいが、歴代校長の写真が壁にずらりと並べてある。近づいて見てみようと奥に進めば、足元からずっと捜し求めていた鳴き声がした。
「ユーリ…!こんなところで何してたの…」
額縁を小さな舌で一生懸命舐めていたユーリを抱き上げた。壁から落ちた校長の写真だろうか。目を凝らして見れば、そこに写っていたのは誰かによく似た女性。お母さん、と口に出したところで、引越してきた日に幹久が「お祖母ちゃんが校長先生をやっていた」と言っていたことを思い出した。
「似ていたって聞いてたけど…こんなにそっくりだったなんて」
「なんスかそれ?」
「私のお祖母ちゃん。昔ここで校長先生をやってたんだって」
「へぇー、由美ちんのおばあちゃんってすごい人だったんだ」
由美は写真を抱きしめ、そっと目を伏せた。幼い頃亡くなった祖母のことはあまり覚えていなかった為、写真の中で微笑む彼女を見て生前の頃を想像した。母――百合子の面影もまた重なって見える。細かい埃を払おうとポケットからティッシュを出そうとしたが、誤って手を滑らせた由美は額縁を床に落としてしまった。裏板が外れ、中から古びた本が飛び出し、パラパラとページが捲れた。
「これ…あの化物じゃねぇか?」
「ホントだ…あまのじゃく?」
本を覗き込んだ青峰と桃井が言った。左ページには、今この校舎を徘徊しているだろうあの化物そっくりの絵が描かれている 。由美は本を拾い上げ、右ページの文章を読み上げた。
「三月十五日、あまのじゃくが出た。魔法陣で火を囲んで“じゃくじゃく眠れ”と呪文を唱えたら裏山の大楠のなかに入って霊眠してくれた…霊眠って?」
「幽霊を浄化して眠らせることよ。…これと同じことをすれば、あまのじゃくを眠らせられるんじゃない?」
桃井の言葉に、光が見えた。そのとき、あの笑い声が室内を支配し見ーつけた≠ニ壁を割りあまのじゃくが顔を出した。元々老朽化していただけに、それはいとも簡単に破壊されてしまう。じりじりと距離をつめようとするあまのじゃくに、黒子が焦りを見せながら皆を振り返る。
「時間がありません、とにかくやってみましょう。僕、魔法陣なら描けます」
「だが、火はどうする!ここにそんなものは――」
「…理科室」
緑間の疑問に、口元に手を当てた赤司がポツリと呟いた。理科室といえば、あれしかない。
「…そっか!アルコールランプ!」
赤司の言葉で答えを導き出した由美が声をあげた。そうと分かれば自然と身体は理科室へと動き出す。追ってくるあまのじゃくを少しでも突き放す為、全員が必死に走った。
理科室の机を倒し、魔法陣を描く十分なスペースを確保すると、すぐさま黒子が床にチョークを立て魔法陣を描き始めた。冷や汗を浮かべながら早く、早くと言うようにチョークを走らせる。その間に黄瀬がアルコールランプを見つけ、黒子のもとへ駆けつけた。
「あったっスよ!」
「魔法陣もできました!」
逃がすかああああ!!
黒子の言葉と同時に、理科室の窓が一斉に割られ、あまのじゃくが入り込んできた。邪魔な机や椅子をたやすく放り投げ、刻々とそれは近づいてくる。
「みんな!魔法陣の中へ!」
由美が全員を見回して言った。魔法陣の中央に置いたアルコールランプに青峰がマッチで火を点けようとするが、なかなか点火しない。それを見たあまのじゃくはくつくつと笑いながら、こちらにゆっくりと足を進めてきた。目の前にまたあまのじゃくが立ち、その大きな手が由美達に向かって来ようとしたそのときだった。
「点いたぞ!」
「じ、呪文を始めるよ…!」
由美は祖母の額縁から見つけた本を左手で抱きしめながら成功を祈り、呪文を開始した。ふと、右手に温もりを感じる。今は目の前のことで精一杯だった は、それが誰なのかを確かめる余裕はなかった。
「じゃくじゃく眠れ、じゃくじゃく眠れ…!」
そう唱えれば、ランプに点火した火が大きく燃え上がり、魔法陣が青白い光を放つ。それに触れようとしたあまのじゃくの手は弾き返された。そのまま呪文を続けると、あまのじゃくの身体はみるみる塵になっていく。
「じゃくじゃく眠れ、じゃくじゃく眠れ!!」
ぐあああああ!お前達…どこでその呪文を…!くそ、やめろおおおおお!!
苦しむあまのじゃくの目線の先には、由美の持っていた本があった。目を見開き何か叫ぼうとしていたが、そのまま光と共に消えていった。
全てが終わり、へなへなとその場に座り込んだ。そのとき、 は右手が持ち上がっていることに気がつくと、その先へ視線を伸ばす。由美の手を握ったのは、赤司だったのだ。
「赤司、くん…終わった…終わったの?」
「ああ。終わったよ、全て」
一人だけ立ったままだった赤司が柔らかく微笑む。その言葉に、由美も微笑みを返した。
「俺達すげー。お化け追い払っちった」
「そのお化け日記のおかげね、由美ちゃん」
「うん。でもこんな日記がどうして額の中に……あ…お母さんだ。お母さんの名前が書いてある…!ここにニ年一組神山百合子って、お父さんと結婚する前のお母さんの名前」
「じゃ、これ…母さんの日記なのか…?」
「そうだよ悠。お母さんは私達を見守ってくれてるんだよ…!」
震える肩の悠を抱きしめながら、天国にいる母にありがとう、と呟いた。
* * * *
「やーっと出られたっスね!」
「あーもう旧校舎になんか入んねぇぞ俺は…」
久しぶりの外だ。なんだか随分と長い時間旧校舎にいたような気がする。非日常的な体験ばかりしてしまったからだろうか。ぞろぞろと新校舎へ向かう途中、聞こえてきたチャイムの音に全員足を止めた。
「学校…忘れてましたね」
「どうしよう遅刻しちゃう!みんな、急ぎましょ!」
桃井の一言で走って新校舎に向かったが、正面にある時計を見た瞬間、呆然と立ちすくむこととなった。針が指していた時刻は五時。もう夕方になってしまっていたのである。
「旧校舎にいたのは三十分程だと思っていたが…」
「心霊スポットの魔力ってやつっスか?」
「なんて言い訳すりゃいいんだ…」
「私、転校初日だったのに。やってしまった…」
「お化けと戦っていたなんて言っても、誰も信じないでしょうし…」
はぁ、と各々ががっくり肩を下げるなか、紫原は空を仰いでマイペースに菓子を食べていた。
「いいじゃん怒られるくらい。俺達はあまのじゃくを霊眠させたんだよー?」
「…待て、敦。そういえば裏山の大楠、この間切り倒されなかったか?」
「あれ、そうだっけ」
「…そうよ赤司くん!それにあの大楠だけじゃなく、裏山はそこらじゅう宅地開発されてるわよ!」
赤司と桃井の言うことが正しいとすれば、霊眠させたはずのあまのじゃくはどこへ消えたのか。由美はまたしても絶望の淵に立たされた思いだった。
「じゃあ、あまのじゃくはまだどっかにいるってことかよ!?」
「どうしよう…早く捜さなきゃ!」
うるせぇな…!俺ならここにいる!どうやら俺を閉じ込めるのに失敗したようだな。こうなったら学校中の人間達を恐怖に陥れ、失われた妖力をすぐに手に入れてやるぜ
あまのじゃくの声に一時騒然としたが、だんだんと由美達の視線が一点に集まっていった。皆、呆気にとられたような表情を浮かべている。
「なんだお前達…この俺が怖くないのか…!なんだこの手は!?」
「ユーリが喋ってる…」
「まさか、ユーリの中に取り憑いたってこと?」
表情豊かに、手足を動かし暴れるユーリ。どうやら本当にあまのじゃくが取り憑いてしまったようだ。とりあえず封印はされているようだが、問題はその器だ。大事な家族にあまのじゃくなんかが入っていては、これからの生活が一気に不安になる。
「これ、どうしたらいいんでしょうか」
「けっ、簡単だよ。楠を切り倒したように、この猫を殺せばいい!」
「そんなことできるわけないじゃない!」
「…なら俺はこの猫の身体に住み着くしかない。きっと後悔させてやる」
由美の気迫のこもった言葉に、あまのじゃくはユーリのオッドアイで彼女を睨んだ。由美はそれに一瞬怯んだが、負けじとあまのじゃくを睨み返す。口元に笑みを浮かべると、あまのじゃくは悠の腕を乱暴に抜けて垣根の奥に消えていった。
「…様子を見ながら、猫を元に戻す方法を考えるしかないようだな」
「そんな…」
緑間がため息混じりに呟く。由美は絞り出すような声で悲観した。全員、暫くその場から一歩も動けなかった。
「面白い…裏山にはあの日記に書かれている奴らがみんな霊眠している。母娘二代で俺の自由を奪った恨み…思い知らせてやろう」
牙を剥いたあまのじゃくに呼び覚まされるように、ざわざわと裏山が騒ぎだす。
次なる魔の手は、もう既に由美達に向かって動き始めていた。
《後書きスペース》
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