episode 4
華に誓う決意 私は負けない


「よし、お弁当できた」

由美の朝は早い。百合子が亡くなってからは、由美がこの家の家事を任されていた。詰め終わった父と自分の弁当を包み、朝食をテーブルに並べ始めた。今日のおかずは焼き魚と出汁巻き卵に冷奴。素晴らしき日本の食卓だ。

「いっただっきまーす」
「ちょっと待った!…なにしてるの」

テーブルに置いた焼き魚にがぶりと噛み付こうとしていたあまのじゃく。だが由美は箸で焼き魚を持ち上げ、それを既の所で回避した。まだユーリが流暢に言葉を喋っているのを聞くと、少し身構えてしまう。ちょこんと椅子に乗っているその姿は愛らしいのだが、口を開けば「呪う」だの「くたばれ」だの、聞きたくない言葉ばかりを飛ばしてくる。
キリキリと胃が痛むような日々は、一体いつまで続くのだろうか。

「なにって、朝飯だろ?」
「これはお父さんの。ユーリのご飯はあっちにあるでしょ」
「けっ、あんなモン食えるかよ。全く我ながら情けないぜ…人間共を震え上がらせていたあの大妖怪あまのじゃく様が長き眠りから目覚めたと思ったら、こんな窮屈な身体に封印されちまうなんてよ」
「…こっちだって、大事なユーリのなかに入っちゃうなんて思わなかった。早くユーリの身体から出てほしいんだけど…」

猫らしい仕草をしながら淡々と話していたが、由美の言葉を聞いたあまのじゃくは音もなくテーブルに乗ると、毛を逆立て、今にも彼女に掴みかからんとする勢いで口を開いた。

「お前をこのままにしておくものか。身も心も凍る恐怖を味わわせてやる!俺をこんな身体に押し込んだ、お前をんぐ…!」

そのまま由美に向かって飛び上がろうとしたあまのじゃくだが、突然現れた第三者によって防がれた。あまのじゃくの口には大きい煮干が三尾突っ込まれており、もごもごと口を動かしなんとか噛み砕こうとしていた。

「由美、おはよう」
「え…赤司くん!?おは、おはよう…?」

由美の横にはいつの間に入ってきたのか、赤司が爽やかな笑顔を浮かべて立っていた。相変わらずの泰然とした姿に、煮干を噛み砕いたあまのじゃくが忌々しげに彼を見る。パラパラとこぼれ落ちる煮干のカスがテーブルに広がった。

「食卓を汚すな」
「うるっせぇ!お前が食わせたんだろうが!大体、なんでお前がここにいるんだよ」
「由美、そろそろ時間だよ。お父さんと悠を呼んできな?」
「う、うん」

赤司は然りげなく由美を二階に向かわせる。パタパタとスリッパの音を立て、二階へ上がったのを確認すると、先程まで由美に見せていた表情とは一変、冷め切った目であまのじゃくを見下ろした。互いの目が合う。鉄糸が弛みなく張り巡らされているかのような空気が部屋を包んだ。

「彼女を傷つけるのは僕が許さない」
「…あんな弱っちい小娘をそこまで大事にする理由が分かんねぇな」
「さぁ、どうしてだろうね?自分で考えな」
「んなくだらない事、俺様が考えるわけねぇだろ」
「とにかく、僕の目はお前をしっかり見ている。それだけ覚えていてくれたらいい」
「けっ、腹にどす黒いモン抱えたような顔しやがって…俺よりお前の方がよっぽどタチが悪いぜ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」

赤司の挑戦的な瞳に、あまのじゃくは口元を釣り上げた。彼に恫喝しても無意味だということは分かっている。人間にしておくのは勿体無い、などと密かに思ったのは秘密だ。部屋の緊張感を破ったのは、征兄ちゃんだ!という悠の声だった。幹久と由美もそれに続きリビングに入って来た。赤司とあまのじゃくは何事もなかったかのように、纏っていた空気を消した。


* * * *


悠と赤司と並び、まだ慣れない景色に目移りさせて学校への道を歩いていたが、後ろにはぴったりとユーリ――あまのじゃくがついてきていた。家から出るときから気になっていたが、封印したとはいえ、“あれ”に後ろを歩かれると怖いもので。由美は歩みを止め、控えめにあまのじゃくを振り返って言った。

「…なんでついてくるの」
「お前達が俺の前を歩いてるだけさ」
「私達は、学校に行くんだけど」
「俺だって学校に行くところさ」
「猫なのに?」
「学校のお化けが学校に行ってなにが悪い」
「それもそうだな」
「なに普通に納得してるの悠…」

ぽん、と拳で左の手のひらを軽く叩いた悠。由美は呆れた、という表情を片手で覆いながら、ガックリと肩を落とした。

「白戸由美です。よろしくお願いします」

学校に着いた由美は、職員室で先生に挨拶を終えたあと、教室で自己紹介をしていた。クラスは二年E組。緊張のせいか、身体が固まってしまい、なんとなく声も裏返った気がする。だがクラスメイトは、そんな由美の緊張を吹き飛ばすようなあたたかい拍手で迎えてくれた。教室を見回すと、窓側の一番後ろの席に見知った顔を発見した。黒子だ。そういえば、昨日E組だと言っていた。彼もまた微笑みながら拍手をしている。由美は自然と頬が緩むのを感じた。

「いいなー、私も由美ちゃんとテツくんと一緒のクラスになりたかった」
「さつきちゃん、D組だったっけ?」
「そうなの、大ちゃんと同じね。一応隣のクラスだけど体育とかは別なんだよー!もうひどーい先生!」

昼休み。廊下の窓に寄りかかりながら桃井と会話をしていた。由美をぎゅうぎゅうと抱きしめ嘆きをこぼす桃井に、由美は彼女の背中を優しく撫でた。喜怒哀楽がはっきりしている桃井とは、一緒にいて楽しかった。華のような笑顔を向けられるとこちらまで笑顔になってしまう。彼女と仲良くなるまでの時間は必要としなかった。

「それで、由美ちゃん。あまのじゃくの様子はどう?」
「今はまだおとなしいけど、私に恨みがあるって言ってるから…あんまり悠長にはしていられないかな」
「そっか…あ!お化け日記になにか書いてないかな?倒す方法が書いてあったんだもん、きっと追い出す方法も書いてあるはずよ!」

人通りの少ない屋上へ続く階段に場所を変え、二人並んで座った由美と桃井は一緒にお化け日記を読むことにした。昨日の一件のあと、家に帰ってきちんと埃を払ったから今は比較的キレイである。

「それにしても、お母さんがこんなにすごい力を持ってたなんて…私なんて霊感全然ないからなぁ」

ページを捲りながら、母の成し遂げてきた偉業に感嘆の声をあげた。こんな数多の霊をたった一人で霊眠させたなんて、由美には到底考えられないことだった。霊達の絵を見ると、いかにも危険といった雰囲気のものがちらほらうかがえる。この絵だけで、自分の体温が数度下がってしまいそうだ。

「えーと…あ、あった!“霊眠させた依代を壊すと、そのお化けはまた彷徨い出てしまう”」
「あまのじゃくが出てきちゃったのも、裏山の大楠が倒されたからだもんね」
「うん。…“しかしまたそのとき慌てて霊眠させようとすると、そのお化けは人や動物に取り憑いてしまう。必ず先に霊眠場所を決めること。もしこれを破ったときは学校にいるお化けを全て霊眠させるまで取り憑かれた者を元に戻すことは不可能となる”……そんな…」

つまり、現状ユーリの身体からあまのじゃくを追い出す方法はない、ということになるのだろうか。そのとき、真剣な顔で「裏山」と小さく呟く桃井。由美が彼女に顔を向けると、目を合わせ言葉を続けた。

「この日記を読む限り、百合子さんは書かれている全ての霊を裏山に霊眠させていた。でも今、あの山は開発されようとしている」
「まさか…この本の霊が、全部学校に?」

全ての霊が解放されてしまったとしたら、当然霊眠させるのは自分しかいない。じわじわと下から這い上がってくる恐怖。これからの趨勢に、ぶつけようのない不安を感じた。そんな様子を見た桃井は、由美の両手を包み、その揺らぎ無い瞳を向け大きく頷いた。手の温度から伝わる、大丈夫だよ、という言葉。凍りついた心がみるみる溶けていくのが分かった。

――ありがとう、さつきちゃん


《後書きスペース》


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