ユキという女

「男しかいないむさ苦しい第七師団に、まるで一本の薔薇が咲いたようだ。」

鶴見中尉がそう言って微笑むのを、照れることなくただ無表情で軽く会釈するだけで済ませる女性を見て、鶴見中尉に心酔している鯉登少尉や宇佐美上等兵は、「愛想のない女だ」と思った。

第七師団の敷地内でこの女性が倒れているのをつい先日、通りがかった鯉登少尉と月島軍曹が見つけて鶴見中尉に報告し、妙齢の女性にしては短い頭髪で、着物ではなく洋服という見慣れない出で立ちだったことと、見たこともない所持品がいくつか一緒に転がっていたため、鶴見中尉は彼女を第七師団で保護することに決めたのだ。

保護したその日に囚人ではあれど医者でもある家永に診てもらったところ気絶しているだけだということで、結局その日のうちに意識が戻ることはなかったが、女性は翌日の昼頃に目を開けた。

鶴見中尉が直接会って話を聞いてみてわかったことは、この女性…名前をユキと名乗ったこの女性は、今の明治時代より随分と遠い未来からやって来たということであった。
陸軍中将で天才的な武器の開発者でもある有坂が日頃言っていた"飛行機"というものについての知識があり、彼女のいた時代では石炭ではなく電気が動力源であること。東京から大阪の間を1時間と少しで移動する"新幹線"という交通手段があること。電話は個人個人が持ち歩いており、好きな時にかけることが出来ること、などなど……。
鶴見中尉でなければ耳を貸す軍人はいなかったであろうと月島軍曹が考える程のかなりの情報量であり、途方もない話ばかりであった。
そんな不思議な女性・ユキ。
おなごにしては珍しく文字の読み書きが可能で、書く文字は読みやすく、その話し方からはどことなく教養の高さが感じられる。
食事を取る時の姿勢が綺麗で、口にほうばって食べることはあれど咀嚼しながら喋ることはなく、肘をついて食べることもせず、ナイフとフォークも問題なく使えていた。
肩の辺りまでの長さしかない黒髪にはツヤがあり、肌は白い。赤いふちの眼鏡がよく似合っている。その声はやや低めの落ち着いたもので、いわゆる"小鳥のさえずりのような声"とは異なるものの、聴いていて心地の良いものである。

これだけ聞けばどこぞの御令嬢かと問いたくなるものだが、気になるところがただ一点あった。
彼女は、とにかく笑わない人物であったのだ。
鶴見中尉も鯉登少尉も月島軍曹も、誰も彼も彼女の笑顔を見たことがない。
町で和菓子などの店に入れば看板娘が眩しい笑顔を見せ、遊郭へ行けば遊女たちが妖艶な笑みで迎えてくれる。
女たちからは笑顔を向けられることが多い軍人や兵たちは、毛色の違うユキに少々、いや、結構面を食らった。

鶴見中尉や月島軍曹はそんなに気にしなかったが、鯉登少尉はどうも気になって仕方がない様子である。
故郷の薩摩にある実家では幼少期には女中たちから「坊っちゃん」と呼ばれて不自由のない裕福な暮らしを送り、将校となった今では行くとこ行くとこでその地位と顔の良さから女に困ることはなく、こちらから寄らずとも向こうから頬を染めながら媚を売られることも多い鯉登少尉。
そんな鯉登少尉が鶴見中尉から「話し相手になってあげなさい」と言われてユキにあてがわれている部屋に行ってみたところ、鯉登が客人だからかお茶とお茶菓子で迎えてはくれたものの、数分何も話しかけられることなく、それどころか彼女は鯉登の顔を見ようともしなかった。

(女からこんな扱いを受けたのは初めてだ……。)

ズズ、と茶を啜りながら、眉間にシワを寄せる鯉登。
ユキは先程から、机で何かを書いている。
自分には全く目もくれず、一体何を書いているのだと鯉登少尉が手元を覗き込むと、そこには鶴見中尉や月島軍曹、そして鯉登少尉の似顔絵が並んでいた。
彼女は、第七師団の面々の似顔絵を描いていたのだ。

「キエエエエエエエッ!!!!」
「!」

今迄静かだったのに突然猿叫を上げられ、流石にビクつくユキ。
しかし鯉登は彼女よりも鶴見中尉の似顔絵に釘付けである。




「見ろ月島ァ!」

鯉登少尉が嬉しそうに、一枚の紙を見せる。
その紙には、鶴見中尉が鯉登少尉の頭を撫でている絵が描かれてあった。
「何ですかこれは」と月島軍曹が問うと、鯉登少尉はふふんと得意げに腰に手を当て、ユキが描いてくれたことを教えた。

「鶴見中尉殿と私を並べて描いてくれと頼んだら、これを描いてくれたのだ!
…愛想も可愛げもないつまらん女だと思っていたが、中々優しいところがあるではないか。
それにな、」
「?」
「奴の笑顔も優しいものであったぞ。」
「え、笑ったんですか!?」

思わず驚く月島に、鯉登はまたしても得意げである。胸ポケットから、ユキが描いたのだろう。鶴見中尉の似顔絵を数枚取り出して見せてくる。

「もっと鶴見中尉殿の絵を描いてくれと頼んだら、キョトンとしたような顔の後に笑ったぞ。
恐らく、ユキの笑顔を最初に見たのは私だな!」

「中々愛らしかった」と小さな声で呟く鯉登の頬は、少し赤いような気がした。