結婚記念日〜尾形夫婦の場合〜


第七師団本部の敷地内にあるとある建物。
尾形上等兵の部屋ではあるが、部屋と呼ぶには広い。部屋、というより家、といった佇まいだ。

何故ならここに住むのは、彼だけではない。尾形百之助の妻・夏也乃も共に暮らしているため、鶴見中尉が「夫婦で住むには狭いだろう」と配慮した結果、それまで尾形が一人で寝泊まりしていた宿舎の一部屋から、今の立派な自宅にグレードアップ出来たのだ。
…まぁ、尾形が第七師団の師団長であった父・花沢中将の、妾の子とは言え実の息子である、ということも大きいだろう。

その日も夫婦は、会話が忙しなく飛び交うことはないものの、穏やかな一日を迎えていた。

「……ねぇ、百之助さん。」

トントンと根菜を切っていた夏也乃は、居間で銃の手入れをしている尾形に声をかける。

「…ああ。」

僅かな間を置いて返事をする尾形。

「今日は、何の日でしょうか?」

振り返り、包丁を持ったまま笑顔でこちらを見る妻の姿に、尾形は必死に答えを探す。
その必死さを顔には出さないが、視線はバッチリ妻が握っている得物に刺さっていた。

「……包丁をしまえ。」
「あら、何もしませんわよ?」
「…………。」

猫のような目を手元に向けているのを見て、夏也乃は可愛いと思ったが、あまり怖がらせたら可哀想だと、素直に包丁をまな板の上に置く。

「ヒントが欲しいですか?」
「ひんと?」
「あ、ヒントというのは、答えを出すのを助ける、こう……遠回しな、こう……手助け的なあれです。」
「くれ。」

あっさりヒントを要求する夫。しかし夏也乃はそれすら愛おしくて仕方がない。
満面の笑みで口を開いた。

「今日は結婚記念日ですわ!」
「おまっ……!」

ヒントではなく答えを言われてしまい、今迄の時間は何だったんだ、手助けを要求した自分は何だったんだ、などと尾形は何とも言えない気持ちになったが、何を言ってもこの妻は「そんなところも好き!!」と受け入れるため、尾形は手入れし終わったばかりの銃を持ち、玄関へ向かう。

「どちらまで?」
「山。」
「お夕飯までには帰って来て下さいね?」
「ああ。」







言われた通り、尾形は夕飯の時間より割と早くに帰って来た。
2羽の仕留めた鳥を手土産に。

「食うだろ。」
「まぁ。それなら今夜はお鍋にしようかしら。」
「ああ。…………結婚記念日だからな。酒も買ってある。」

懐から酒瓶を取り出す夫の姿に、夏也乃はこれ以上ないくらいの嬉しさを覚えた。
口数は決して多くない尾形だが、自分から酒を用意しているということは今夜を祝おうという気があるのだろう。
愛想がなく、表情は殆ど変わらない男だが、こういうところがたまらなく愛おしいと思う妻。

今夜は盛大に祝おう。
2人並んで鳥の毛をむしりながら、尾形夏也乃は嬉しさを噛み締めそう決めた。
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