じれったいじれったい


経営部のエリート・鯉登が、どうやら広報部の正蔵寺に気があるらしい。
株式会社鶴見酒造の本社の一部では、そんな噂が流れていた。

社員たちによれば鯉登による正蔵寺へのアタック行為が始まったのは、恐らく昨年末に行われた忘年会の後とのこと。
昨年末の忘年会では、いつもなら参加しない正蔵寺が珍しく参加しており、大広間の隅で一人、おつまみを食べながらお酒を飲み進めていたらしい。
そんな彼女に絡んだのが、すっかり酔っ払った鯉登であった。

ご機嫌な鯉登は、いつもの色黒な肌を赤くした状態で正蔵寺に近寄ると、「ないごてこげなとこで一人で飲んじょる!! 注いでやるから飲めぇ!!」と、薩摩弁混じりのデカい声で話しかけた。
正蔵寺は正蔵寺で、まるで面白いものを見るかのような顔でグラスを差し出し、一升瓶から容赦なく注がれた日本酒をちびちびとではあるが、飲み干した。
そして、へべれけな鯉登が鶴見社長について薩摩弁で熱く語るのを、うんうんと相槌を打って聞きながら、おつまみとお酒を飲み食い。
よくもまぁ聞いていられるものだと周囲が同情を抱きつつも感心する中、事件は起こった。

何と、鯉登が吐いたのである。それも、正蔵寺のスカートにである。
流石に怒るだろうとフリーズする周囲。
しばしの沈黙の後、正蔵寺は、

「何しよっとですか!! そげんたくさん飲むかいですよ!!」

怒った。
怒ったというよりは叱ったという感じだが、普段は聞くことのない正蔵寺の訛り、それも九州訛りに面食らう周囲。
鯉登もまさか彼女から九州訛りで叱られるとは思わなかったのだろう。
目を見開いたまま口をあんぐりと開けた状態で、顔を青くさせたり赤くさせたりで、かなり面白い状態になっていた。




……そういうことがあってから、鯉登は自分と同じ九州の生まれである正蔵寺に親近感を覚えたのか、何かと用事をあれこれ作って彼女に会いに、わざわざ広報部まで出向くようになった。
最近だと用事のレパートリーが使い古されてていい加減"出がらし"状態だからなのか、「正蔵寺に会うために来た!」とストレートに言う始末である。

「…だけど付き合ってないんですよ、あの2人。」
「ふぅん。」

昼休み、鶴見酒造・人事部の尾形と鬼頭は、会社近くの定食屋に来ていた。

「いや、『ふぅん』じゃないですよ〜。社内では結構人気の話題なんですから〜。」
「相手に伝わってねぇ時点で、あのお坊っちゃんに勝ち目はないな。」
「祐季さんの様子だと、鯉登ちゃんのことは可愛い弟か、下手すると息子、はたまた孫みたいなものだとしか思ってなさそうなんですよね。」
「詰んでるじゃねぇか。」

「ははッ」と笑いながら箸でカレイの煮付けをほぐす尾形の顔は、実に楽しそうである。

「個人的には早いとこくっついて欲しいんですけどねぇ〜。」
「……正蔵寺の性格だと、洒落た高級レストランにでも誘って美味いもん食わせて酒飲ませて、そのまま勢いで告ればいけるだろ。」
「あー、祐季さんそういうやたら格式高いとこ連れてくと色々気を遣わないといけなくてガチガチに強張るタイプなんで、ストレスになっちゃうかも……。」
「全て金とコネで解決してきたであろうお坊っちゃんには難易度が高いだろ。
そもそも異性として見られてない。
酒に強いから酔わせる作戦が効かない。
他人の色恋には鋭いのに自分のこととなると破滅的に鈍い。
超がつく程ガードが固い。
完全に詰んでるな。」

骨の間の身をつまみながら、笑みを深くする尾形。
そんな尾形は今一緒にいる鬼頭と交際中であり、"お坊っちゃん"の鯉登と違ってトントン拍子に、凄腕スナイパーの如く確実に正確に相手のハートをキャッチしたクチである。

「鯉登ちゃんはまた祐季さんの九州訛りを聞きたいそうなんですけど、『仕事中なので駄目です』の一点張りで。」
「忘年会はいいのか。」
「あ、もう昼休み終わっちゃう……。えーと、伝票は……」
「もう払ってある。」
「早っ!」







後日、何がどうなってそうなったのか。
鯉登と正蔵寺は、恋人同士になった。
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