ヒンナだぜ


「おい、尾形。」

帰宅の支度をしているところに突然やって来て話しかける月島常務を、怪訝な表情で振り向いて見つめる尾形。
怪訝な表情と言っても、月島にはいつもの無表情に見えているのだが。

「今から嫁と、一緒に帰るところなんですが。嫁と。」
「嫁をそんなに強調して嫌がるな。」

いつも眉間にシワを寄せているような不機嫌フェイスの月島常務だが、今回の彼は特に機嫌が悪いように見える。
何か特別機嫌を損ねるようなことをしただろうか、と尾形はここ数日月島常務に対してやった、思い当たる節の数々を思い起こす。
そんな尾形に対し、月島は言った。

「お前の嫁は、一体祐季に何を吹き込んだんだ。」
「は?」

手を口元に添えながら月島常務がコソコソと小声で話すものだから上手く聞き取れず、尾形は顔を近づける。
側から見れば男2人がコソコソ話しているという怪しい光景だが、月島にとってそんなことを気にしている場合ではないのだ。

「よく聞こえなかったんでもう一度お願いします。」
「……お前の嫁が俺の嫁に何か吹き込んだんじゃないかと言ってるんだ。」
「吹き込むって、月島常務の嫁さんがどうかしたんすか。」
「最近ずっと様子がおかしいんだ。以前のあいつなら絶対身につけないような、ブラの前部分とパンツの両サイドに紐リボンがついてるという大胆な下着を着ていたり、背中がバックリ開いたデザインのワンピース姿で出迎えたり、別の日には胸の大きさが強調されるような服を着ていたし、以前よりもだいぶエロい。
…あれは絶対、尾形の嫁から何か仕込まれてる。」
「あら。新婚ホヤホヤの新妻がエロくなるのはいいことじゃないですか。」
「!」

そこへ丁度、尾形の嫁・夏也乃が用事を済ませて戻って来た。
ニコニコと笑顔を向けながら、夏也乃は言葉を続ける。

「祐季さん、私が選んだ服や下着をちゃーんと着てるんですね!」
「やっぱりお前が選んだのか……。」
「盛り上がるでしょう?」
「…………大胆な格好をしていながら恥じらう姿に興奮して盛り上がりすぎて、終わってからいつも拗ねられている。」
「あら可愛い。ヒンナヒンナ。」

それは一体何に対する感謝なんだ、と頭の中でツッコミを入れると、月島は大きなため息をついた。
人事部のフロアには、気づけばもう尾形夫婦と月島しか残っていない。
すぐに帰るよりもこのまま月島常務の話を聞く方が面白いと判断した尾形夫婦は、近くにあった椅子を引き出して座る。

「いいじゃないですか、可愛い奥さんがエロ可愛く誘ってくれているんですから!」
「そうですよ月島常務。一体何が問題なんです。うちなんかもう、下着や服がどうこうのレベルじゃないですよ。全てがエロいんで。
着ているものがどうのでそんなだと、これから先が思いやられますよ。」
「これから先って何だ。これ以上何をさせようというんだ。」
「ナニ?」
「ナニでしょうね。」
「お前ら……。」
「あ、夫婦ですし……ナニはもうやってますね。」
「やってますわね。」

ふははうふふふと笑い合う夫婦を見る月島の目は座っている。
笑い終わり、尾形夏也乃は目線を上にやって少し考える素ぶりを見せると、月島の方を向いた。

「…だけど、祐季さんが着てるエロエロな下着や服を私が選んだって、今の今迄知らなかったんですか?」
「ああ。最初にそういう下着を着た姿を見た時は、理由を聞いても俺が喜ぶと思ったからとしか言わなかったし、別の日に胸を強調する服を着て玄関で出迎えた時は、似合わないのかと落ち込まれ、いつもの部屋着に着替えようとするから慌てて止めた。」
「止めたんですね〜。」
「普段はあんな大胆な誘い方を全くされないというか、誘われること自体がないから、寧ろ嬉しいし興奮する。」
「むっつり。」
「むっつりだ。」

尾形から指で指され、尾形の嫁からはニヤニヤした顔を向けられ、月島は何だか恥ずかしくなって「そういうお前らだってそうだろ」と言い返せば、「自分たちはオープンであってむっつりではない」という潔く清々しい主張をされ、月島はなす術がなかった。

「…じゃ、そろそろ帰りましょっか!」

パン!と夏也乃が手を叩いたのを合図に、3人は帰る用意を進める。
会社を出たところで、別れ際に尾形から「お疲れ様ですむっつり常務」と言われ、夏也乃からは「私に根掘り葉掘り聞かれて恥ずかしながら話す祐季さんが最高にヒンナなんで、末永くイチャイチャして下さいね〜!」と言われ、「さっさと帰れ〜!」と返す月島の笑顔は、無理に笑ったことで口元が歪んでいた。

尾形夫婦にいいようにされている感があってすごく悔しかったが、帰宅していつものようにエプロン姿で出迎えた妻を見たら悔しさなんてどうでも良くなってしまった月島は、夕食を食べてからすぐにイチャイチャしたのだった。

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